源頼家公 二代目鎌倉殿であり、御曹子として育った若き将軍。 輝かしい未来があったはずなのに、伊豆の修禅寺に送られることになりました。 病で寝込んでいる間に、妻の実家の比企氏は滅ぼされ、妻も我が子も亡くなっていた。 勝手に死んだことになって、鎌倉殿の座も失った。 想像できないほどの衝撃と苦しみだったと思います。 伊豆の修禅寺での幽閉生活は、近所の子ども達ともふれ合ったり穏やかな日もあったとか。 静かな日々も長くはなく、頼家公は暗殺されてしまいました。 あまりにも残酷な殺害の仕方なので、こちらのブログには書けず、 ぜひ、こちらの動画、記事をご覧ください。 上リンクより引用しました💠 頼家公の亡くなった時のお顔を写したと頼家公の死面といわれる面が残っています。 この頼家公の死面は、明治-昭和時代前期に活躍した 劇作家,小説家の岡本綺堂が、 新歌舞伎の傑作の「修禅寺物語」を書くきっかけになった