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筒美京平 ジャニーズの検索結果1 - 21 件 / 21件

  • 紅白雑感/後半

    前半 https://anond.hatelabo.jp/20210104090522 NiziUグループ自体はジブラの娘がラップしてることしか知らなかった。流行ってるらしい。 驚くほど歌詞が単純なんだよな。「聴き手を笑顔にしたい」ってことしか言ってない。でもその直球の励ましが却って洗練された仕事に感じる。あどけない女子が直向きに踊って歌って「元気出して」って言ってる、アイドルって結局それで十分なんじゃないか。 こういう応援ソングが受けるのも不安な世相を反映しているのかなとも思ったり。 なんか全体的に見てNizi Projectってラブライブ!ぽい。ラブライブもそんなちゃんと見たことないから大それたこと言えないけど。パフォーマンスのバックストーリーとして青春群像ストーリーを展開してるとことか、わりとパフォーマンスの方向性がべたな「カワイイ系」の日本のアイドル像ぽかったりとかなんとなく雰囲気

      紅白雑感/後半
    • もうやりたいことないよ、全部やりつくしたからーー作詞家・松本隆が振り返る、ヒットの系譜(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)

      オリコンの週間ランキングで1位を獲得した楽曲は50曲以上、ベスト10入りした曲は130曲を超え、総売り上げ枚数は5000万枚以上にものぼる作詞家、松本隆(72)。太田裕美の「木綿のハンカチーフ」(1975年)、寺尾聰の「ルビーの指環」(1981年)、松田聖子の「赤いスイートピー」(1982年)、ランカ・リー=中島愛の「星間飛行」(2008年)など、数々の大ヒット曲を生み出してきた男が、その半世紀以上にわたる歩みを振り返る。(取材・文:宗像明将/撮影:殿村誠士/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部) 1969年に、細野晴臣、大瀧詠一、鈴木茂と「はっぴいえんど」(当初の名前はヴァレンタイン・ブルー)を結成し、その活動が終わった1973年に職業作詞家としてデビューした松本。日本のロック、歌謡曲、J-POPを生みだしてきた。 松本が、新しいヒットを共につくったと振り返る、思い出深い人物がい

        もうやりたいことないよ、全部やりつくしたからーー作詞家・松本隆が振り返る、ヒットの系譜(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)
      • サンデーといえばサイレンスだったのに - z is for zokkon

        山下達郎のサンデーソングブック聴きました。 問題のコメントは、直後からネットに全文の書き起こしが上がっていますね。 anond.hatelabo.jp いろいろ意外だった点がありました。 まず、松尾潔さんに対して少しは慇懃な敬意を見せるかと思いきや、もう全然会ってなくて年に数通のメールだけ、向こうがスマイルカンパニーに顧問料を払うという関係、と完全に切って捨てました。松尾氏のやり方がよほど腹に据えかねたんですね。 なかでも逆鱗に触れたのはたぶん、日刊ゲンダイに載った文章の締めくくりだったんじゃないでしょうか。達郎が作詞作曲したOPRESSION BLUESの歌詞を引用していました。最新作に収録した反戦の歌ですが、この文脈で使われるということは、「身近にいる被害者を守る姿勢を見せることもせず、弾圧だの銃声だの遠いところに関してきれいごとを訴えるだけでいいんですか」と啖呵を切られたのと同じです

          サンデーといえばサイレンスだったのに - z is for zokkon
        • 【懐かしい歌No.85 元祖グループアイドルのソロデビューヒット】「さらば恋人」堺正章(1971) - さえわたる 音楽・エンタメ日記

          現在も司会者・タレントとして、幅広い活躍を続けている 堺正章。 喜劇俳優を父に持つ「2世タレント」の走り的存在でもあります。 現在でこそ「司会者」のイメージが強い彼。 その昔「マチャアキ」の愛称で親しまれ、森光子主演の国民的ドラマだった「時間ですよ」に、樹木希林(当時:悠木千帆)や天地真理・浅田美代子らと共に出演した名俳優であったこと。 それ以前に、今のジャニーズタレントなど足元にも及ばぬほどの爆発的人気を誇った「歌手」であったこと。 そんな「実績」の数々は、もはやご存知ない方々のほうが多いのかもしれません。 今を去ること半世紀以上前。 1960年代半ば、ニッポンに 「グループサウンズ」 と呼ばれるブームが巻き起こりました。 中でも人気を誇ったのが… ジュリーこと沢田研二(時に加橋かつみ)がリードヴォーカルを務めていた「ザ・タイガース」。 ショーケンこと萩原健一がメインだった「ザ・テンプタ

            【懐かしい歌No.85 元祖グループアイドルのソロデビューヒット】「さらば恋人」堺正章(1971) - さえわたる 音楽・エンタメ日記
          • 小泉今日子と近田春夫 松尾潔『おれの歌を止めるな』を語る

            小泉今日子さんと近田春夫さんが2024年1月27日放送のJ-WAVE『TOKYO M.A.A.D SPIN』の中で松尾潔さんの著書『おれの歌を止めるな ジャニーズ問題とエンターテインメントの未来』について話していました。 (近田春夫)今月の課題図書なんですけども。本当、言うとね、姫野カオルコさんの『顔面放談』を……・ (小泉今日子)やろうと思っていたんですけども。 (近田春夫)でもたまたま時節柄、松尾潔が出した方が結構面白かったので。 (小泉今日子)『おれの歌を止めるな ジャニーズ問題とエンターテインメントの未来』。近田さんもね、対談でね。 (近田春夫)最後のところに田中康夫と松尾潔とサンデー毎日でやった対談が収録されているんですけども。 (小泉今日子)講談社さんから出版されています。こちらの話を先にしたいよねっていうことで。『顔面放談』は次回に回させていただきます。すいません。松尾さんと

              小泉今日子と近田春夫 松尾潔『おれの歌を止めるな』を語る
            • 70/80年代シティ・ポップの名曲ベスト100 | 歌謡ポップスチャンネル

              70年代Ranking 70s監修 金澤寿和 50 RAINY WALK山下達郎 山下達郎が「Ride On Time」でブレイクする直前、79年10月に発表した通算4枚目のアルバム『MOONGLOW』の収録曲。達郎お気に入りであるノーザン・ソウルのミディアム・グルーヴを、細野晴臣=高橋ユキヒロのYMOリズム・セクションが軽くハネるように料理している。元々はアン・ルイスに提供するため制作が進められたが、気に入ったので自分で歌うことにしたそうだ。当時の山下達郎の曲作りのパートナー、吉田美奈子の詞にも注目を。 49 City Lights by the Moonlights惣領智子 70年代前半に米国で活動し、ポール・マッカートニーから楽曲提供を受けたグループ:ブラウンライスのシンガーだった惣領智子。そんな彼女のセカンド・ソロ・アルバムのタイトル曲がこれ。作編曲はバンド・リーダーで当時の夫、惣

                70/80年代シティ・ポップの名曲ベスト100 | 歌謡ポップスチャンネル
              • 再考・筒美京平論 洋楽と邦楽の二項対立を超えた存在感:朝日新聞デジタル

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                  再考・筒美京平論 洋楽と邦楽の二項対立を超えた存在感:朝日新聞デジタル
                • 筒美京平さんの(わたしの)好きな曲ランキング ベスト10 1980年代編 - sugarless time

                  プロローグ 1980年代 ベスト10 10位:ギンギラギンにさりげなく-近藤真彦 9位:ついてるねノってるね-中山美穂 8位:卒業-斉藤由貴 7位:夏のクラクション-稲垣潤一 6位:抱きしめてTONIGHT-田原俊彦 5位:仮面舞踏会-少年隊 4位:センチメンタル・ジャーニー - 松本伊代 3位:夏色のナンシー - 早見優 2位:なんてったってアイドル - 小泉今日子 1位:Oneway Generation - 本田美奈子 まとめ プロローグ 2020年10月7日に作曲家「筒美京平」さんが亡くなったことが報じられました。 ご冥福をお祈りしますとともに残してくれた作品を振り返ります。 前回1970年代について書いたので今回は1980年代編です。 www.sugarless-time.com 1980年代にテレビやラジオから流れていた曲、素直に受け入れられなかった曲も多々ありますのでレコード

                    筒美京平さんの(わたしの)好きな曲ランキング ベスト10 1980年代編 - sugarless time
                  • 【懐かしい歌No.48】「序曲・愛」野口五郎(1981) - さえわたる 音楽・エンタメ日記

                    60年代、歌謡界に「御三家」という呼称が登場しました。 当時人気歌手だった橋幸夫・西郷輝彦・舟木一夫の3人を指した言葉です。 それぞれに代表作と言える大ヒット曲を持っていました。 そして、70年代に突入すると、「アイドル」の名称とともに再び男性人気歌手が揃いました。 郷ひろみ・西城秀樹・野口五郎。 彼らは「新・御三家」と呼ばれ、親しまれました。 郷ひろみは、1972年「男の子女の子」で「元祖・ジャニーズ」のイメージを前面に鮮烈デビュー。 「よろしく哀愁」「哀愁のカサブランカ」「Gold Finger'99」など、節目節目で話題作を輩出。 今も紅白で「エキゾティック・ジャパン」を歌い続け、「ザ・芸能人」として現役感の強い活動をしています。 西城秀樹が惜しまれつつ63歳の若さで亡くなったのは、ご存知の通りです。 彼も同じ1972年のデビュー。 彼もまた「激しい恋」「傷だらけのローラ」「ギャラン

                      【懐かしい歌No.48】「序曲・愛」野口五郎(1981) - さえわたる 音楽・エンタメ日記
                    • SMAP「Dear WOMAN」 | 西寺郷太のPOP FOCUS 第18回

                      西寺郷太が日本のポピュラーミュージックの名曲を選び、アーティスト目線でソングライティングやアレンジについて解説する連載「西寺郷太のPOP FOCUS」。NONA REEVESのフロントマンであり、音楽プロデューサーとしても活躍しながら、80年代音楽の伝承者として多くのメディアに出演する西寺が私論も盛り込みつつ、愛するポップソングを紹介する。 第18回では資生堂「TSUBAKI」のCMソングとして広く愛されたSMAPの楽曲「Dear WOMAN」にフォーカス。ほかにはないグループの強みや、彼らが音楽シーンにもたらした多大な影響とはなんだったのか。日本中を元気にしてきたSMAPの魅力に迫る。 文 / 西寺郷太(NONA REEVES) イラスト / しまおまほ SMAPらしさを完璧に落とし込んだマスターピースずいぶんと長い間、多くの作詞・作曲家、ミュージシャンにとって「もしも自分の書いた曲や歌

                        SMAP「Dear WOMAN」 | 西寺郷太のPOP FOCUS 第18回
                      • 少年隊「ABC」 | 西寺郷太のPOP FOCUS 第2回

                        × 643 この記事に関するナタリー公式アカウントの投稿が、SNS上でシェア / いいねされた数の合計です。 108 206 329 シェア NONA REEVESの西寺郷太が日本のポピュラーミュージックの名曲を毎回1曲取り上げ、アーティスト目線でソングライティングやアレンジについて解説する連載「西寺郷太のPOP FOCUS」。NONA REEVESのフロントマンであり、音楽プロデューサーとしても活躍しながら、80年代音楽の伝承者としてさまざまなメディアに出演する西寺が、私論も展開しつつポップソングの魅力を伝える。 第2回では、初回の「星屑のスパンコール」に引き続き、少年隊の楽曲にフォーカス。西寺がアイドルソングの最高峰と絶賛する「ABC」について紹介する。 文 / 西寺郷太(NONA REEVES) イラスト / しまおまほ 1987年の少年隊1985年12月12日、大きな期待を集めなが

                          少年隊「ABC」 | 西寺郷太のPOP FOCUS 第2回
                        • ジャニーズ事務所からの「ミリオンヒットを」という要望…苦心する作詞家・松本隆を救ったKinKi Kidsの“姿”とは | 文春オンライン

                          はっぴぃえんどでの活動を終え、1973年に職業作詞家としての活動を始めて以来、数々の名曲を世に送り込んできた松本隆氏。作詞家として、常に時代の最先端を走り続けてきた同氏だが、「89年のWinkから94年の明菜までが僕の休憩期間だった」と語るように、意外にも作詞から離れていた時期がある。そんな松本氏が、実質的な活動休止状態から再びシーンの中心に舞い戻るきっかけとなった一作が、KinKi Kidsのデビューシングル『硝子の少年』だった。 松本氏が作詞活動を再開した経緯、そして、久々の作詞に込めた思いとは。音楽評論家の田家秀樹氏が、日本を代表する作詞家の軌跡を追った評伝『風街とデラシネ 作詞家・松本隆の50年』(KADOKAWA)の一部を抜粋し、紹介する。(全2回の2回目/前編を読む) ◆◆◆ KinKi Kidsのデビュー曲「硝子の少年」で復活! 97年、シーンに復帰した松本隆が再びヒットチャ

                            ジャニーズ事務所からの「ミリオンヒットを」という要望…苦心する作詞家・松本隆を救ったKinKi Kidsの“姿”とは | 文春オンライン
                          • 西寺郷太が伝えたい少年隊と錦織一清の功績 ポッドキャストでは語りつくせなかった、それぞれの偉大さ

                            Amazon Music『西寺郷太の最高!ファンクラブ』インタビュー 2021.05.17 12:00 NONA REEVESの西寺郷太がMCを務めるAmazon Music独占配信のポッドキャスト番組『西寺郷太の最高!ファンクラブ』(毎週火曜更新)が、5月11日よりスタートした。 同番組は、毎回様々な音楽ジャンルやアーティストの熱狂的なファンをゲストに迎え、ゲスト自身がMCである西寺にその熱を直接プレゼンテーションしていくというもの。初回は番組開始を記念した特別編として、少年隊のリーダーであり、俳優・演出家として活動する錦織一清氏がゲストとして登場。西寺自身が大ファンである“少年隊”、そして錦織氏の魅力について熱弁している。 リアルサウンドでは、同番組のスタートに合わせ西寺郷太へインタビュー。番組内では本人を前にしていたからこそ言えなかったであろうエピソードを、大いに語ってもらった。(編

                              西寺郷太が伝えたい少年隊と錦織一清の功績 ポッドキャストでは語りつくせなかった、それぞれの偉大さ
                            • アーティスト名別・五十音記事検索 - オトニッチ

                              あ行 あ い う え お か行 か き く け こ さ行 さ し す せ そ た行 た ち つ て と な行 な に ね の は行 は ひ ふ へ ほ ま行 ま み め も や行 や ゆ よ ら行 ら り る れ ろ わ行 わ あ行 あ aiko アイドルネッサンス あいみょん 赤い公園 秋山黄色 ACIDMAN 新しい地図 阿部真央 雨宮かのん 嵐 ALI AliA 有安杏果 [ALEXANDROS] アンジュルム andymori 安藤裕子 い イギー・ポップ eastern youth 家入レオ THE YELLOW MONKEY いきものがかり =LOVE 泉谷しげる Eve 忌野清志郎 indigo la End う 打首獄門同好会 ukka うんこミュージアム え eill 映画 瑛人 H ZETT M AKB48 SKE48 ELLEGARDEN erina149 エレファン

                                アーティスト名別・五十音記事検索 - オトニッチ
                              • キンキ、オザケン…追悼・筒美京平の名曲だけで、「最高の紅白歌合戦」を想像してみると(金子 大輝) @moneygendai

                                10月7日、作曲家の筒美京平が逝去した。阿久悠、松本隆ら名作詞家とタッグを組んで制作した曲の数々は、誰もが一度は口ずさんだことのあるものばかりだ。アイドル百花繚乱の70年代からJ-POPが確立した00年代まで、長きにわたる活躍だっただけに、氏の楽曲の歌い手が一同に会することはないだろう。 そのなかには、活動休止、または鬼籍に入られてしまったアーティストもいる。もし、「筒美京平の楽曲オンリー」の紅白歌合戦が放送されたら、どれだけ華やかなことか。せめて想像のなかだけでも、夢の競演を楽しんでみたい。 妄想紅白、いざ開幕! 1【紅】仲間由紀恵 with ダウンローズ『恋のダウンロード』 2【白】TOKIO 『AMBITIOUS JAPAN!』 ーー待ちに待った大晦日「妄想紅白歌合戦」。紅組のトップバッターを務めるのは、奇跡の再結成(?)、仲間由紀恵withダウンローズ。auのCMタイアップソングと

                                  キンキ、オザケン…追悼・筒美京平の名曲だけで、「最高の紅白歌合戦」を想像してみると(金子 大輝) @moneygendai
                                • 近藤真彦、田原俊彦、少年隊…数々の大ヒットを生み出した天才・筒美京平の“凄さ” 「ジャニーさんが本当にやりたいのはこれなんだなと…」 | 文春オンライン

                                  筒美京平は日本歌謡曲史上、最大のヒットメーカーだ。記憶に残るあの曲この曲、まさに名曲の宝庫である。 しかし、筒美の素顔は秘密のベールに閉ざされていた。その秘密に分け入ったのが、生前親交があった音楽家の近田春夫氏である。近田氏による『筒美京平 大ヒットメーカーの秘密』(文藝春秋)から一部抜粋して、孤高の天才の創作の秘密を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む) ◆ ◆ ◆ ジャニーズ事務所との蜜月 ──80年代の京平さんといえば、ジャニーズ事務所との蜜月を語らないわけにはいきません。田原俊彦と近藤真彦には、彼らのイメージを決定づける楽曲を提供しています。 近田 トシちゃんの声とマッチの声って、両極端ぐらいに個性が分かれるじゃない?  だから、あの2人がお互いの曲を取り替えっこして歌っても、あのよさは出ないんだよ。 ──完全に当て書きですよね。 近田 マッチの方は、京平さんっぽさが薄い。「スニ

                                    近藤真彦、田原俊彦、少年隊…数々の大ヒットを生み出した天才・筒美京平の“凄さ” 「ジャニーさんが本当にやりたいのはこれなんだなと…」 | 文春オンライン
                                  • 川原伸司インタビュー ② 理想はジョージ・マーティン!音楽プロデューサーの仕事とは?

                                    『川原伸司インタビュー ① 激動の80年代!アミューズやジャニーズにまつわる制作秘話』からのつづき フリーの音楽プロデューサー、作曲家として活躍を続ける川原伸司へのロングインタビュー。第2回は約半世紀に及ぶキャリアで培った仕事術と音楽観についてお届けする。 バンドのことはよく分からないけど、川原に任せておけば安心だ ― 1974年、ビクターにアルバイトで採用された川原さんは2010年の定年までにビクターとソニーを2回往復(1986年、ソニーに移籍→ 1989年、ビクターに再入社→ 1994年、ソニーに再入社)。その後はフリーとして活動されていますが、およそ半世紀に及ぶキャリアで、大滝詠一と井上陽水、松田聖子と中森明菜など、ある種、競合関係とも言えるプロジェクトに関わるなど幅広い仕事をされてきました。 川原:もともと一神教が苦手なタチでね(笑)。1つのことを経験したら、その対極にあるものを見

                                      川原伸司インタビュー ② 理想はジョージ・マーティン!音楽プロデューサーの仕事とは?
                                    • 船山基紀、筒美京平も厚い信頼を寄せた〈イントロの魔術師〉が自身の編曲仕事を振り返る | Mikiki by TOWER RECORDS

                                      ポップ・アートとしての歌謡曲を変革し続けた〈イントロの魔術師〉 筒美京平氏逝去をきっかけに、今改めて熱い注目を集めている昭和歌謡。そんなタイミングでファンを唸らす素晴らしい集成ボックスが登場した。70年代から今日まで萩田光雄と共に歌謡界最強の編曲家として活躍してきた船山基紀の仕事をまとめたCD4枚組(全72曲)『船山基紀サウンド・ストーリー~時代のイントロダクション~』だ。元々編曲も自分でやっていた筒美は70年代半ば以降は編曲を随時他人に任せるようになったが、とりわけ篤い信頼の下で頻繁に起用されたのが萩田と船山だった。世界に冠たるポップ・アートとしての昭和歌謡は、大胆にして複雑精緻な編曲あってこそ完成されたわけで、もし筒美、萩田、船山の3人がいなかったら、その形は今とは全然違うものになっていたはず……そう言い切ってもいいほど、彼らの業績は偉大だ。 「萩田君は、僕が思っていた通りのアレンジを

                                        船山基紀、筒美京平も厚い信頼を寄せた〈イントロの魔術師〉が自身の編曲仕事を振り返る | Mikiki by TOWER RECORDS
                                      • 筒美京平さんが語っていた仕事観 アイドルと時代を掴む力

                                        日本に“アイドル”という言葉が定着していく1970年代、稀代の作曲家・筒美京平さん(享年80)は南沙織『17才』や岩崎宏美『ロマンス』など10代歌手のヒット曲も量産していた。著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)の中で、アイドルの立ち位置や大衆の受け止め方の変容を詳細に分析しているライターの岡野誠氏が、筒美さんの数少ないインタビュー記事を軸に「筒美京平とアイドル」を考察する。 * * * ヒット曲を作る──。その一念で仕事に没頭した筒美京平氏は日本のアイドルシーンを語る上で、欠かせない人物である。 筒美氏が日本グラモフォンに入社し、研鑽を積んでいた1960年代、若者から喝采を浴びる橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦は“御三家”と呼ばれ、ジャニーズ事務所のフォーリーブスは“ヤングポップス”などと形容されていた。“アイドル”は元来、外国人のスターなどに用いられていたからだ。

                                          筒美京平さんが語っていた仕事観 アイドルと時代を掴む力
                                        • 第140回 酒井 政利 氏 音楽プロデューサー | Musicman

                                          今回の「Musicman’s RELAY」は須藤 晃さんからのご紹介で、音楽プロデューサー 酒井政利さんのご登場です。和歌山で青春時代を過ごされた酒井さんは立教大学卒業後、映画制作を目指し松竹入社。その後、音楽業界へ転身され日本コロムビア、CBS・ソニー(現 ソニー・ミュージックエンタテインメント)の音楽プロデューサーとして南沙織、郷ひろみ、山口百恵など数多くのアイドルやアーティスト、そして名曲を送り出してきました。現在もメディアを横断してご活躍されている酒井さんに、その輝かしいキャリアや数々のエピソード、そして、ご自身のプロデュース術まで、じっくりお話を伺いました。 2016年8月17日 掲載 (インタビュアー:Musicman発行人 屋代卓也/山浦正彦) プロフィール 酒井 政利(さかい・まさとし) 音楽プロデューサー 日本コロムビア、CBS・ソニー(現:株式会社ソニー・ミュージックエ

                                            第140回 酒井 政利 氏 音楽プロデューサー | Musicman
                                          • 紅白歌合戦2020動画を無料で視聴する方法まとめ - おうちクエスト

                                            更新日: 2021年1月10日 「過去の紅白歌合戦が見たい、再放送が見たい」「気になるあのシーンをもう一度みたい」「嵐の最後の曲を聴きたい」という人は多いのではないでしょうか。 安心して下さい。2020年 紅白歌合戦が見逃し配信されることが確定しました! 本記事では令和2年度 第71回 NHK紅白歌合戦を見逃した方に向けて、再放送・見逃し配信動画を無料で見る方法をまとめました。 最初に結論! 動画配信サイト「U-NEXT」なら第71回 紅白歌合戦2020 の見逃し配信動画を無料で見ることができます。詳細は公式サイトをご覧ください。 【U-NEXT】NHKオンデマンドも視聴可能な動画配信サービス 紅白歌合戦2020見逃し配信動画を無料で見る方法について 紅白歌合戦2020の見逃し動画は前半・後半の動画2本で公開予定 紅白歌合戦2020はテレビで再放送するの? U-NEXT:紅白歌合戦の見逃し

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