ノア🇨🇺キューバ @Noah_cuba 社会主義国に半年暮らしてみた結果 ・バス代2円 ・映画代4円 ・アートや芸術に強い ・何でもシェアする文化 ・ノスタルジックな雰囲気 ・TikTok見れない ・ガソリン手に入らない ・警察は絶対 ・友人は亡命 ・合言葉は祖国か死か ・ロシアと北朝鮮が身近な存在に 価値観変えたい人は試住してみて🙆♂️ pic.twitter.com/5ATqYUQyot 2023-04-19 20:21:19
昔、私が子供の頃は、まだ東西冷戦の時代であり、世界には社会主義国がたくさんあり、私が通っていた学校には、社会主義国を理想の国と信じる左翼教師が普通にいた。 実際、私が子供の頃は、「社会主義国の電球は切れない。資本主義国ではモノが売れなくなると困るからわざと電球が切れるように作っている」と得意げに語る教師がいた。 それから私が中国に留学すると、学生宿舎の電球は2週間に1回は切れたので、日本で教師たちが言ってたのは全くのウソだとわかったw https://t.co/YqA1jDiwWO — 黒色中国 (@bci_) 2024年12月10日 その頃を思い出して、Xでこんなポストを書いてみたのが、次々にいただく反応を見るに、どうも私がいた地域だけの特殊事情ではなく、日本全国でこのような左翼教師?がいたのがわかったので、この20世紀後半の日本の学校教育に関する貴重な証言を、こちらに記録しておきます。
<貧しくとも豊かな生活が昔の中国にはあった。だが私の祖国はあれから大きく変わった。移り住んだ日本で、まさか理想の社会主義を見つけるとは思ってもみなかった> ご存じの読者も多いと思うが、中国は完全なる社会主義国だった。1978年に改革開放が始まるまでは、贅沢こそできないが、皆が平等に暮らせる社会がそこにはあった。 1963年に浙江省紹興市で生まれ、23 歳で来日するまで紹興と北京で生活していた私にとって、思い出深いのが配給制度だ。肉の配給は月に1回、つまり肉にありつけるのは1カ月に1度だけだった。年に1回は「布票」と呼ばれる布の引換券が配られ、それを元に布を購入していた。その布を使って母が、ミシンで新しい服――いわゆる人民服――を作るのだ。 こんな話をすると同情する人もいるかもしれないが、私自身に嫌な記憶はない。むしろ配給は待ち遠しいイベントだったのである。そんな、貧しくとも豊かな生活が昔の
社会主義とは貧富の差がない社会の実現を目標とする思想・社会体制です。しかし実際には、社会主義国でも経済格差が生じています。たとえば中国やベトナムは社会主義国ですが、いずれの国にも世界的に億万長者と称される大富豪が存在します。中国ではジャン・イーミン(Tik Tokを運営するバイトダンスの創業者)やジャック・マー(Eコマースの巨大企業アリババグループの創業者)、ベトナムではファム・ニャット・ヴオン(不動産を中心とするコングロマリットのビングループ創業者)などが挙げられます。一方で、いずれの国でも僻地の農村には日々の暮らしにも困るような貧しい人々がいるのも実態です。 グローバル化が進展するなか、社会主義国に限らず世界各国で所得格差が拡大する傾向にあります。そこでまずは、一般的な格差の問題点や原因についてみてみましょう。経済発展を持続させるうえで、ある程度の格差が生じるのは仕方がありません。しか
ロシア革命後に雨後の筍のように成立した社会主義政権 二月革命によりロマノフ王朝が崩壊し、内乱を経てボリシェヴィキによる政権が成立するまで、ロシア国内とその周辺国では、数多くの政権が成立しました。ボリシェヴィキ系、メンシェヴィキ系、民主主義勢力、少数民族系、傀儡政権などさまざまな勢力がありました。社会主義政権というだけでもさまざまありまして、今回は革命後に成立したいくつかの特徴ある社会主義政権を見ていきたいと思います。 1.水兵・建設労働者ソビエト共和国(1917年~1918年) Work by FugeeCamp 3か月間存在したエストニアのロシア水兵の政権 水兵・建設労働者ソビエト共和国は1917年12月から1918年2月までの短い間に、現在のエストニア・ナルゲン島にあったソビエト共和国です。 ドイツとソ連との間に結ばれたブレスト=リトフスク条約によって、ロシアはバルト諸国を含む多くの地
こんにちは 一昨日、岸田総理の年頭所感について記事にしました。 そのときに、私が「日本って世界で最も成功した社会主義国って皮肉られたりする」と書いたことに対して、以下のようなコメントをいただきました。 一番成功している社会主義国といわれたのは30年前な。今は一番失敗してる新自由主義国な。 コメントありがとうございます。 ここで「新自由主義」という、私にはよくわからない言葉が出てきています。 ちょっとウィキペディアで調べてみました。 新自由主義 - Wikipedia かなり長い上に、定義が色々とあるようでわかり難いです。 概説にある、 自己責任を基本に小さな政府を推進し、均衡財政、福祉・公共サービスなどの縮小、公営事業の民営化、グローバル化を前提とした経済政策、規制緩和による競争促進、労働者保護廃止などの経済政策の体系。競争志向を正統化するための市場原理主義からなる、資本主義経済体制をいう
貧しくとも豊かな生活が昔の中国にはあった。だが私の祖国はあれから大きく変わった。移り住んだ日本で、まさか理想の社会主義を見つけるとは思ってもみなかった。 【周 来友(ジャーナリスト・タレント)】ご存じの読者も多いと思うが、中国は完全なる社会主義国だった。1978年に改革開放が始まるまでは、贅沢こそできないが、皆が平等に暮らせる社会がそこにはあった。 1963年に浙江省紹興市で生まれ、23 歳で来日するまで紹興と北京で生活していた私にとって、思い出深いのが配給制度だ。肉の配給は月に1回、つまり肉にありつけるのは1カ月に1度だけだった。年に1回は「布票」と呼ばれる布の引換券が配られ、それを元に布を購入していた。その布を使って母が、ミシンで新しい服――いわゆる人民服――を作るのだ。 こんな話をすると同情する人もいるかもしれないが、私自身に嫌な記憶はない。むしろ配給は待ち遠しいイベントだったのであ
1922年12月30日、ソビエト社会主義共和国連邦(通称:ソ連)が建国されました。この日、ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、南カフカースの4つの共和国が統合し、世界初の社会主義国家が誕生したのです。これは、社会主義が理想とされた時代の幕開けでもありました。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。 コンテンツ制作責任者 おとぼけ(田畑 雄貴) PC関連プロダク
中国の習近平国家主席が打ち出した「共同富裕」は格差縮小を目指す政策だが、これはある意味で「日本社会が理想に近い」そうだ。中国メディアの百家号は22日、「日本の共同富裕の道」と題して、日本が共同富裕を 中国の習近平国家主席が打ち出した「共同富裕」は格差縮小を目指す政策だが、これはある意味で「日本社会が理想に近い」そうだ。中国メディアの百家号は22日、「日本の共同富裕の道」と題して、日本が共同富裕を成功させた方法を論じる記事を掲載した。 こんな記事が中国で出てたらしいんだけど、言われるまでもなくそうだろうなと思ってました。 日本は最も成功した社会主義国なんて言われるくらいですから😅 私も資本主義の皮をかぶった社会主義国だと思ってるので正直違和感がない(笑) さらに記事は「年功序列」も日本の「共同富裕」が成功した一因だと主張した。今では年功序列制度は崩れてきているが、記事は年齢と肩書によって給
家事が「外注化」されていたハンガリー「1990年代にアメリカを訪れたときのことです。人々が実際に自分たちで夕食をつくっているのを目にして驚いたことを覚えています」と、中央ヨーロッパ大学でジェンダー研究の准教授を務めるエヴァ・フォドルは言う。「私の想像をはるかに超えていました!」。 フォドルは国家社会主義が支配するハンガリーで、都会に暮らす聡明な共働きの両親に育てられた。「学校の食堂で昼食をとり、家に帰って夕食にサンドイッチを食べていました。つまり、母はまったく夕食をつくっていませんでした。食堂から食べ物を持ち帰る人たちもいました」と彼女は言う。 フォドルの両親は、洗濯物を公共の洗濯サービスに持ち込んでいた。「ほとんど無料」で洗って戻してくれるのだ。彼女が知っていた子どもの多くは、一定の年齢になると幼稚園に通った。それが彼女のような中流家庭の暮らしだった。 小さな町や農村地域の家庭では、選択
雑貨や料理を通じて、“あの頃”を生きた人たちの生活に触れる 2冊の著者であるイスクラさんは、旧社会主義国の雑貨を販売するウェブショップを営んでいる。以前から買い付けのため定期的に海外へ渡っていたが、はじめから食に強い興味があったわけではなかったという。仕事部屋のインテリアを東ドイツ風のアイテムで揃えたり、社会主義時代の食器を使うようになってから、徐々に当時の労働者たちの食事情に目が向いていったそうだ。 「“味わう”ということは最も手軽に異文化に触れる方法です。私は偶然に日本に生まれ、この国の食べ物で育ちました。一方で同じ時代を全く違う政治体制と経済で生きてきた人が育んだ文化があり、当時のものを集め調べていくとなぜか懐かしさが伴います。どのようなものが人々に親しまれてきたのかを見聞きするうちに、そこに生きる人たちなりの幸せの形がそこにあったのだということから抜け出せなくなり、ずっとずっと“生
政府のバラマキ見てると 働いて納税し、 社会保険料を納めるのが、 アホらしく なってきて、辞めちゃうか・笑 自民党(私は投票してない)厳しさあっても、 日本をリードする党と思ってただけに、 岸田総理って自民党だっけ?思っちゃう。 そうしないと 票を取れない選挙制度なら、 もう、ウルトラマンが現れて、 国会を宇宙の彼方に持ってってほしい。 スミマセン言い過ぎました・笑 さて公的年金も、50後半で なんとなく解って、 現役時代は漠然としていました。 サラリーマン歴は40数年です。 年金、65歳が基準で 支給を受けられますが、 70歳まで遅らせると、42%も増えます。 75歳まで遅らせると、84%も増えます。 逆に60歳から支給を受ける事も出来ますが、 24%ほど減ります。 当初、素直な少年の心を持った還暦ですから・笑 求められるなら、老後の安心を得るために、 65歳~70歳近くまで、出来るだけ
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