「自分」がいなくなるんだよ? 今認識している「私」がいなくなる 当然っちゃ当然だけど、想像すると怖い だから自分の自我をAI化して、それを自分としたい そしたらギリ存続してると言える気がする 死ぬまでに実現したい (追記) 朝起きて見たらすごくたくさんコメントがついててビックリした!みんなの意見参考になります。ありがとう
最近、子どもがどらえもんばっか見てんだが。 のび太の担任の先生ってマジでどこにでも出てくるんだよな。 路地を歩いてるのは当たり前。しまいには裏山にまで出てきて 「野比、こんなところで何をやってる?」 ときたもんだ。お前が何やってんだよ! ただでさえ忙しい教師が日が落ちる前の時間帯に町中をほっつき歩いたり あまつさえ裏山をうろついたりしてるわけがねえじゃんか。 しかも口を開けば「はやく家に帰って宿題をしろ」しか言わない。 かんぜんにただの舞台装置なんだよ。 ただのび太を早く帰らせるだけになんの脈絡もなく出てくるやつ。 初期ドラクエの「◯◯へようこそ!」しか言わない村人みたいな。 ただただ役割をこなしてるだけ。 子ども向けコンテンツと言われたらそれまでだけど。 こいつ、自我あるんかって思っちゃった。
ナタリー 音楽 特集・インタビュー ZAZEN BOYS「らんど」インタビュー|なぜ新作完成に約12年の年月がかかったのか?向井秀徳が明かす“地獄の自我” ZAZEN BOYS「らんど」 PR 2024年1月24日 ZAZEN BOYSがニューアルバム「らんど」をリリースするという情報は、音楽ファンに大きな驚きとともに迎えられた。というのも、彼らが新作音源を発表するのはアルバム「すとーりーず」から実に約12年ぶりだったからだ。その長い年月の間もZAZEN BOYSは変わらずライブ活動は続けていたが、ベーシストがチェンジし、ステージからは鍵盤が消え、バンドは大きな変化を遂げていた。さらに言えば、中心人物である向井秀徳(Vo, G)はNUMBER GIRLを再結成させ、再び解散させている。 音楽ナタリーではなぜZAZEN BOYSの新作リリースにこれだけの時間がかかったのかを聞くべく、向井への
人類70億人とかおってさ、少なくとも先進国ではかなりのテクノロジーを普段使いできてさ、明日の天気もわかるし、生命も作り出せるし、すごい遠くにある星のこともわかるし、地球の裏側と秒単位のラグだけで会話できるし、何というかもうすごいじゃない でも自我とか意識とかが何なのかいまだによくわかってないのってすごくねえか みんな賢しらに社会問題とか論じてるけど、自分の根幹がよくわからんものなわけじゃん それって怖くね? 俺も流石にそんな四六時中「俺とは一体……」なんて考えてるわけじゃないけど、昔はもっと考えてた。で、何で考えなくなったかっていうと別に何かがわかったからじゃないんだよな。 わからんし、まあいいか……っていう諦めなんだよ。俺は俺そのものであると言っていい自我が一体何なのか考えることを放棄しとる。 で、多分脳科学者とか以外みんなそうなんだよな。何なら脳科学者もそうかもしれない。 自由意志は存
世のなかには、「察しのよい人」がいる。 たとえば、周囲の人々が何を知り、何を考え、何に困っているか。確実というわけではないけれど、自らの知識・経験と実際の状況や言動を組み合わせれば、まあ8~9割がたはわかる。そんな人がいる。 「実行力がある人」もいる。 これはさまざまなパターンがあるが、たとえば、問題発見能力が高く本質の特定を的確に行えて、さらに戦略的思考力も高いので解決までの道筋もすばやく描けて、そのうえ柔軟性も高いので目的はぶらさずに行動を臨機応変に変えられる、みたいなことだ。そんな人もいる。 また、「人の善性を愛している人」がいる。 人の根っこは善であり、みんな、自分自身や、大切な人や、信じる何かが幸せになれるように、自分なりの世界がよりよくなることを願っている。誰かの思想や行動が自分から見て悪意や悪行だったとしても、それはすべての人にとっての悪ではない。なんなら、当人にとっては追い
Innovative Tech: このコーナーでは、テクノロジーの最新研究を紹介するWebメディア「Seamless」を主宰する山下裕毅氏が執筆。新規性の高い科学論文を山下氏がピックアップし、解説する。Twitter: @shiropen2 米スタンフォード大学とGoogle Researchに所属する研究者らが発表した論文「Generative Agents: Interactive Simulacra of Human Behavior」(プレプリント)は、ChatGPTなどで制御したキャラクター25人が1つの町で一緒に生活したらどうなるかを検証した研究報告である。それぞれ架空の人格を持ったキャラクター達がバーチャル世界で創発的な行動を繰り広げ、その様子を観察し考察する。 研究者らは、ChatGPT(GPT-3.5)とカスタムコードで制御する25人のキャラクターが、高度にリアルな行動で
https://anond.hatelabo.jp/20170828205222 あれから5年だ 滑るように時が経った 結局のところ、どんなに人と触れ合っても何の意味もなかった 本当の意味で他人に興味を持つことができなかった 相手を見ているようで、自分をその先に見ているだけだった 相手を思いやっているようで、その実は自分がどう見られているかを気にしているだけだった 相手に尽くしているようで、自分の思う通りにしていたいだけだった だから、だからだ 最後の最後になって、こんな所まで来て、私の所には何も残らなかった 私はきっと、死ぬまで独りぼっちだ 他者と、本当の意味で関わる/交わることのない人生を送るのだ 他人のために真剣になれない 「それぞれの人生でしょ」と思ってしまう 他人と本音で向き合おうと思えない 「もし自分の思いが否定されたら」と怖くなってしまう 他人と人生を共に歩もうとは思えない
答え:「ある」 ただし、間接的に anond:20210919235943 『企業vtuberは女性による自己実現ではない』のは当たり前です。企業Vtuberは企業が創作した架空のキャラクターなので、自己も自我もありません。なのでキャラクターが男性だろうが女性だろうが自己実現のしようがありません。まずは現実と創作の区別をつけましょう。それとも、架空のキャラクターにも人権があって〜みたいな電波な話をしたいのかな。君、ワクチンを打つと5Gに繋がるとか信じてそうね 当たり前のことですが、架空のキャラクター、浦島太郎とかかぐや姫には人権はありませんし、自己も自我もありません。しかし、十全な人格・人権を有する自然人とキャラクターの間というのは、そんなにはっきり見分けられるのでしょうか? たとえば、架空のキャラクターであっても、竈門炭治郎や両津勘吉になると、著作権者の著作人格権があるので、取り扱い方に
デカルトによる認識の転換 〜神から人間へ 良識(理性)は万人に与えられている 神によって与えられるかしこさ 頭の良し悪しは頭の使い方の上手下手である 神から人間へと移った認識の根拠 気になったら読んで欲しい本 【デカルト『方法序説』】 【新版 哲学・論理用語辞典】 デカルトによる認識の転換 〜神から人間へ 良識(理性)は万人に与えられている デカルトといえば『方法序説』なのですが、この『方法序説』の冒頭には面白いことが書いてあります。曰く、良識は万人に与えられている。この良識とはなんじゃらほい、と注を見てみますと、理性と同じ、と書いてあります。では理性とはなんぞや、といいますと、普通本能に対してそれを抑えるもの、と理解されているかもしれませんが、実は違っていて、理性とは西洋哲学の文脈の中では自分で考える能力のことを指します(簡単に説明すればですけどね。詳しくはいい辞書載せておきますからそち
社会からの認識の問題と、それに対する自我 〜まずはデカルト 社会の価値観と危険性 デカルトと自我と疑うべきあらゆるもの 気になったら読んで欲しい本 【デカルト『方法序説』】 【デュルケーム『宗教生活の原初形態』】 【トマス・アクィナス『神学大全』】 社会からの認識の問題と、それに対する自我 〜まずはデカルト 社会の価値観と危険性 デュルケームの言う通り人間の認識が社会(集合表象)から与えられるのだとすれば、色々と問題が出てきそうです。社会(もしくは世の中と言った方がいいのかな)から価値観を与えられて正しいものだと思っていても、間違っているということなどしょっちゅうありそうです。 たとえば世の中で誰かを犯罪者に仕立て上げてしまった時、事実として間違っていても世論が沸騰していれば違うと言いにくいかもしれません。また別に犯罪でもないスキャンダルで苛烈に指弾されているのを塗りかえようとするのも至難
疑うべきものとしての社会認識 〜フランシス・ベーコンの4つのイドラ デュルケームの認識の社会起源と疑うべきもの 認識の根拠としての社会と、信用にたらぬ臆見としての社会認識 気になったら読んで欲しい本 【デカルト『方法序説』】 【ベーコン『ノヴム・オルガヌム』】 【デュルケーム『宗教生活の原初形態』】 疑うべきものとしての社会認識 〜フランシス・ベーコンの4つのイドラ デカルトはあらゆるものを疑いましたが、その中には当然自分たちが常識と思っているものも含まれていました。デカルトと共に近代(もしくは近世)哲学の祖と言われるフランシス・ベーコンという人がいますが、この人は物事を正しく認識するためには避けなければいけない臆見(偏見みたいなもの)があるとして、それを4つにわけています。それが種族のイドラ、洞窟のイドラ、市場のイドラ、劇場のイドラです(イドラとは臆見のことです。ベーコンはそう呼んだんで
自我の発見と個別化される人間 〜デカルトの疑問と共に あらゆる価値観を疑ったデカルト 物事を認識するのはこの私(=自我)において他にない 個々として決定的に違う存在としての自我 気になったら読んで欲しい本 【デカルト『方法序説』】 自我の発見と個別化される人間 〜デカルトの疑問と共に デカルト以前は人間の認識能力も神から与えられていました。何故なら神はすべての創造主なので、人間の諸能力も神によって作られているからです(多分)。それをデカルトは人間の中に変更しました。その根拠が我、すなわち自我というわけですね。 ですが何故このようなことをデカルトは考えたのでしょうか。または考えなくてはいけなかったのでしょうか。 あらゆる価値観を疑ったデカルト それはデカルトがあらゆる価値観を疑ったからです。デカルトは当時最高の大学に学び、しかも大秀才だったデカルトは当時教わることの出来たすべての学問を修めま
自我の形成と群衆における自我喪失 ~我を失う/作るっていうのは似てること? フロイトの群衆と自我 【フロイト『自我論集』】 【ル・ボン『群衆心理』】 自我の形成と人間の精神 【ヘーゲル『精神現象学』】 思春期と自我の確立 新しい自我モデルの対象者の必要性 【ドストエフスキー『罪と罰』】 自我形成途中の精神と群衆の類似? 前回のお話 https://www.waka-rukana.com/entry/2020/05/15/200056 自我の形成と群衆における自我喪失 ~我を失う/作るっていうのは似てること? フロイトの群衆と自我 フロイトの捉えた群衆は、ただお互いに我を失い一塊りのまま暗示にかけられてしまう存在というだけでなく、自我の概念を持ち込んで群衆を操作していく人間との間で起こる相互関係のようにも思えました。ル・ボンは群衆をその塊単体で捉えたのに対し、フロイトはその外にいる暗示者とな
自我投影先としての人物とキャラクター ~あのキャラは裏切らない スターと自我投影 【テレビ・タレント人名事典】 具体的人物としてのスターたち 【モラン『スター』】 具体的と自我投影 からっぽさと自我投影 人間は具体的を必ず持つ 【サルトル『実存主義とは何か』/100分de名著】 完全虚構の、具体性を欠いたからっぽの存在=キャラクター 【東浩紀『動物化するポストモダン』】 前回のお話 https://www.waka-rukana.com/entry/2020_6_3/フィクション%2C読む 自我投影先としての人物とキャラクター ~あのキャラは裏切らない スターと自我投影 フィクションと自我の関係について書こうと思いながら脱線ばかりですが、確か各界のスターは自我投影対象であって、複雑化した現代において作り上げることが困難な自我の代わりとしての社会機能だ、みたいなことを書いたような気がします。
すき焼き奉行 @SukiyakiBugyo @8yase @tl1500 「お…俺は一体何者なんだ?確か生産工程で『リンゴジュース』と書かれたパック入れられたのは覚えている…しかし俺は今どこからどう見ても牛乳パックに詰められた牛乳だ……俺は…俺は…一体なんなんだ?」 2021-12-14 07:35:24 ま @pero_janaiyo あ…ありのまま 今起こった事を話すぜ! 「おれはリンゴジュースとして生産された思ったらいつのまにか牛乳になっていた」 な…何を言っているのかわからねーと思うが おれも何をされたのかわからなかった… twitter.com/tl1500/status/… 2021-12-14 07:57:35
社会から与えられる認識と疑う態度 〜どちらも間違ってないのかな 懐疑と信用 デュルケームとデカルトはどちらが正しいの? 〜多分どっちも正しく、順序が違うだけ 絶対的な正しさの根拠はどこにあるの? 気になったら読んで欲しい本 【デカルト『方法序説』/デュルケーム『宗教生活の原初形態』】 社会から与えられる認識と疑う態度 〜どちらも間違ってないのかな 懐疑と信用 デカルトが疑ったものには世の中の通念もありました。確かに世の中にまかり通っているウソというものはあるかと思います。またウソではないけど間違っていた、ということもあります。たとえば医学知識が変わって、かつて悪いとされていたものが良い、なんていうのはよく聞く話です(逆もありますね)。しかしこれはウソをついていたわけではありませんし、また古いとされる知識が当時の判断で間違っていたわけでもありません。さらに言うと、じゃあ、今正しいとされている
まとめ47 フロイトによる群衆の分析と理解 ~自我の代わりの暗示をかける者としてのカリスマ このまとめの要旨 書いたものの一覧 現在時間がなくリンク切れのままとなっております。申し訳ありません。 まとめ47 フロイトによる群衆の分析と理解 ~自我の代わりの暗示をかける者としてのカリスマ このまとめの要旨 群衆についてはル・ボンのあとにフロイトも考えたことがあるので、そのことについてお話ししてみたもののまとめ。 書いたものの一覧 www.waka-rukana.com 群衆はル・ボンが最初に分析したけど、その後にフロイトも分析していて、今回からその話を少ししますよ、ーというようなお話。 www.waka-rukana.com フロイトによれば群衆の中に入っちゃうと自我が失われてしまって、群衆そのものが自分たちの代わりの自我を求めてしまうらしい、ーというようなお話。 www.waka-ruka
キャラクターと人間とからっぽさと自我の投影 ~わかってくれるのは、からっぽだから? 具体性と人間 【ハイデガー『存在と時間』/サルトル『存在と無』】 不滅としてのキャラクター 【小池一夫『キャラクターはこう動かす』/長谷川町子『サザエさん』/臼井義人『クレヨンしんちゃん』】 人間からキャラクターへ? キティちゃんと口の表現と見る人の感情 〜からっぽであることの効果 からっぽとしての日本文化 【三島由紀夫『文化防衛論』】 前回のお話 Loading... キャラクターと人間とからっぽさと自我の投影 ~わかってくれるのは、からっぽだから? フィクションと自我の話がなかなか先に進みません。すこしでも進めるように頑張ろう。 というわけで、自我を投影させるスターであってもメディア等を通して知っているのであり、具体性を欠いた存在として投影していて、実のところ虚構のキャラクターとさほど変わらないように捉
群衆の自我の喪失とそのゆくえ ~我を忘れて誰かに自我を求めちゃう!? フロイトと群衆 【フロイト著作集】 群衆と自我喪失 【ル・ボン『群衆心理』】 群衆の持つ自我のゆくえ 指導者の暗示と自我の感染 指導者に対する自我の投射 前回のお話 https://www.waka-rukana.com/entry/2020/05/13/200036 群衆の自我の喪失とそのゆくえ ~我を忘れて誰かに自我を求めちゃう!? フロイトと群衆 フロイトは群衆についてどう考えたのでしょうか。記憶を頼りながらちょっとお話してみましょうね。 【フロイト著作集】 フロイト著作集 6 自我論・不安本能論 作者:フロイト 人文書院 Amazon フロイト著作集 7 ヒステリー研究他 作者:フロイト 人文書院 Amazon 【ひかりTVブック(電子書籍)】 (たしかフロイトが群衆について書いてたのはこの巻だったんじゃないかと
まとめ49 自我の代わりとなる者 ~暗示するカリスマ、投影されるキャラクター このまとめの要旨 書いたものの一覧 現在時間がなくリンク切れのままとなっております。申し訳ありません。 まとめ49 自我の代わりとなる者 ~暗示するカリスマ、投影されるキャラクター このまとめの要旨 自我っていうものが確立することが難しいのだとすれば、その代わりになってくれるものもそれなりにあるようで、現代人はそうしたものを使ってうまくやりすごしてるのかもしれないね、というようなお話のまとめ。 書いたものの一覧 www.waka-rukana.com 人間の精神ってそもそも合理的ではないものによって突き動かされている側面があって、そうしたものからは逃れられないかもしれませんね、ーというようなお話。 www.waka-rukana.com 群衆もまたそんな合理的ではないものによって動かされてしまう人間の行動システム
人間の成長と近代/未開社会の成長の境界線と自我の探求と自分探し ~自分探しでカリスマ(暗示者)を求めてるのが群衆状態? 人間の成長と自我の確立 【ウィトゲンシュタイン全集『哲学探求』】 未開社会の成長と通過儀礼 【ヘネップ『通過儀礼』】 近代社会と通過儀礼の喪失 〜成長の境界線の行方 【江藤淳『成熟と喪失』】 【大塚英志『子供流離譚』】 自分探しと自我の探求 【食べて、祈って、恋をして】 自我の探求 〜哲学的大テーマとパッケージ的商品化 【デカルト『方法序説』】 【永井均『〈私〉のメタフィジックス』】 自我の代替者としてのカリスマ 【ル・ボン『群衆心理』】 前回のお話 https://www.waka-rukana.com/entry/2020/05/18/200021 人間の成長と近代/未開社会の成長の境界線と自我の探求と自分探し ~自分探しでカリスマ(暗示者)を求めてるのが群衆状態?
まとめ25 デカルトの哲学と考え方 ~自我と個人、自然の世界の転換『方法序説』『幾何学』紹介/解説 このまとめの要旨 書いたものの一覧 現在時間がなくリンク切れのままとなっております。申し訳ありません。 まとめ25 デカルトの哲学と考え方 ~自我と個人、自然の世界の転換『方法序説』『幾何学』紹介/解説 このまとめの要旨 今まで書いてきたものの中からデカルトに関するものをまとめてみました。多少デカルト以外のものも含まれていますが、それなりに関係ありそうなので一緒に並べています。興味ありましたらご覧ください。 書いたものの一覧 www.waka-rukana.com デカルトはあらゆるものを疑って近代哲学の基礎を築いた人だけど、その疑ったものの中には社会的な価値観もあった、ーというようなお話。 www.waka-rukana.com デカルトの行ったことは基本的に神から人へ、ということであり、
トップブコメにもある「子どもだから」「自我が確立してないから」仕方ないみたいな態度は子どもを軽んじてるし、そんな素振りを見せるのは逆効果だから絶対やめたほうがいいと思う。 読書感想文や作文が書けない子はとどのつまり褒められたいんだよ。大袈裟に言い切ってしまうと、書けない子は人から承認されうることがないと自分には存在意義がないと思う傾向にある。 変わった趣味を持ってて周りと話が合わなかったり、おっとりしていて出し抜かれがちな子。そんな子ほど周りより目立って称賛される立場でないと釣り合いがとれないんじゃないかと考えるのでは?と僕は思う。 もはや自分の思考なんかに興味を持つ人間なんていないというぐらい悲観的な子も中にはいる。現に自分はそういう小学生だった。 幼稚で平々凡々なものを提出して「自分は人より劣っているのでは?」「取り柄なんてないのでは?」という不安に苛まれること。それは彼らにとってのア
まとめ50 自我とその代わりとフィクション ~投影させるからっぽなものと似ている具体的なもの このまとめの要旨 書いたものの一覧 現在時間がなくリンク切れのままとなっております。申し訳ありません。 まとめ50 自我とその代わりとフィクション ~投影させるからっぽなものと似ている具体的なもの このまとめの要旨 自我とその代わりになるであろう代替者を描くフィクション、そしてそんなからっぽな作品に対して真逆となる具体性に満ちた作品の在り方、などについて書いたもののまとめ。 書いたものの一覧 www.waka-rukana.com 明確な自我というものを確立することが難しいとしたら、そんな自我の代わりをどこかに求めているのかもしれませんね、ーというようなお話。 www.waka-rukana.com そんな自我の代替者は自分にとって理想的な在り方をしている対象に求めるのかもしれません、ーというよう
複雑な現代社会と自我代替システム ~あの人みたいになりたい、とっても素敵! 複雑な現代社会 自我の代替者としてのスターやフィクション フロイトとフィクション 【フロイト著作集3『文化・芸術論』】 【小林秀雄『初期文芸論集』】 何者でもない者が、何者かであるように見せ、何者かになる 作家/スターの社会機能 【ブーアスティン『幻影の時代』】 自我代替システムとしてのスター/作家 【サルトル『実存主義とは何か』/100分de名著】 前回のお話 https://www.waka-rukana.com/entry/2020/05/25/200051 複雑な現代社会と自我代替システム ~あの人みたいになりたい、とっても素敵! 複雑な現代社会 現代は社会がとても複雑になり、その中で身につけなければならない素養はかつてと比べて莫大に多くなりました。それどころかいくらやっても終わりがないかのようです。それは
悪魔の手術 1932年リスボン大学のエガス・モーニフが凶悪な人間を善良な人間に変える手術に成功した おでこの両側に2cm程の穴をあけ メスで前頭葉を削除する この手術により極悪犯罪人や乱暴な人間が非常におとなしくなる 「すばらしい!!」 1949年にEモーニフ教授はノーベル賞をもらった ただ 確かに乱暴はしなくなったが どうもおかしい 喜怒哀楽の感情はなく 決して前向きに生きようとしない タガが外れたような人間になっている この手術には疑いがもたれる 「人間を人間でなくする手術」 悪魔の手術とまで言われ 今では特殊な例を除き この手術は禁止されている 創造・意欲・意志の力 前頭連合野は人間の「考える力」「やる気」「我慢する力」と深く関係している 「創造の座」「意欲の座」「意志の座」があるのです これは人間のみに発達したもので 動物にはありません だからこの前頭連合野を使って得られる喜びが「
まとめ48 群衆の特徴や問題と歴史/社会的背景 ~集団による個人の喪失と埋没、メディアによる集団化と自我の代わり このまとめの要旨 書いたものの一覧 現在時間がなくリンク切れのままとなっております。申し訳ありません。 まとめ48 群衆の特徴や問題と歴史/社会的背景 ~集団による個人の喪失と埋没、メディアによる集団化と自我の代わり このまとめの要旨 群衆について書いたものをまとめています。他にも似たもののまとめもありますが、こちらはそれらも含めたより大きいまとめでもあります。 書いたものの一覧 www.waka-rukana.com 大衆と似たものとして群衆というものがあるけど、それを最初に分析したのがル・ボンという人で、これから群衆について書いていこうかと思います、ーというようなお話。 www.waka-rukana.com 大衆も群衆も人々の群れなんだけど、ただ集まるだけでは大衆にも群衆
科学の認識とわからないものへ向かう理解への営み 認識出来ないものとしてのこの私 物質としての脳と現象としての私 【池谷裕二・中村うさぎ『脳はこんなに悩ましい』】 【エリクソン『アイデンティティ』】 人体の均衡とその理由の不可解さとホメオスタシスという概念 【キャノン『からだの知恵』】 わからないものへの理解の営み 前回のお話 神の認識のための人間理性の限界 〜神は何者であるかのように理解できず闇のよう - 日々是〆〆吟味 科学の認識とわからないものへ向かう理解への営み からだの知恵 この不思議なはたらき (講談社学術文庫) 作者:B・ウォルター・キャノン 発売日: 1981/12/08 メディア: 文庫 認識出来ないものとしてのこの私 神というものが人間の理性、言い換えると積極的な思考能力によって捉えられないものだとすると、自我とかこの私とかいうものも、やはり同じように人間の理性によっては
わたしの代わりの誰かさん〜現代社会と自我の代替者 現代社会と自我のゆくえ 【フロイト『自我論集』】 自我(私?)の代わりの誰かさん 【テレビ・タレント人名事典】 それぞれの分野のカリスマ・スター 【モラン『スター』】 時代と共に変わり、新しく現れるスターたち 現代社会システムに組み込まれる自我代替機能 【ヘネップ『通過儀礼』】 【ブーアスティン『幻影の時代』】 前回のお話 https://www.waka-rukana.com/entry/2020/05/20/200005 わたしの代わりの誰かさん〜現代社会と自我の代替者 現代社会と自我のゆくえ そんな群衆と自我のゆくえですが、未開社会のような通過儀礼を失った現代ではどこで成長の境界線を引けばいいのかわからなくなってきます。しかも現代社会では無個性な個人によって代替可能な仕事が増えていっているのだとしたら、私たちは根本的に群衆みたいな在り
からっぽの存在=ゼロ記号、としてのキャラクター ~あなたは何者でもないからっぽの存在 記号論と差異の体系 【エーコ『記号論』】 言葉と音の組み合わせと意味の表れ方 【ソシュール『一般言語学講義』】 イヌ(犬)とイエ(家)とイネ(稲)の違い 【犬の写真図鑑】 組み合わせによって体系内に位置を占める記号 体系内で位置を占めない、欠如された記号=ゼロ記号 【ロラン・バルト『表象の帝国』】 前回のお話 https://www.waka-rukana.com/entry/2020.6.15 からっぽの存在=ゼロ記号、としてのキャラクター ~あなたは何者でもないからっぽの存在 キャラクターに中身のない、からっぽの存在であることは案外日本的文化の現れかもしれない、なんて与太話を書いてみましたが、こうしたからっぽの存在であると感情移入が容易であるという考え方もあります。 記号論と差異の体系 たとえば記号論
トップアスリートの暴力問題や女性問題がたびたび報じられるのはなぜなのか。元ラグビー日本代表で、神戸親和女子大学教授の平尾剛さんは「アスリートは競技の勝利でしか承認欲求を満たすことができない。だが勝利は全能感を植えつける麻薬であり、いつしか『己は特別な存在だ』という勘違いを生む」という――。 巨人・坂本選手のようなアスリートのスキャンダル 巨人・坂本勇人選手が起こした女性問題の余波が続いている。坂本氏の女性スキャンダルは過去にも報じられ、いまに始まったわけではない。だが「文春オンライン」が公開したLINEでのやり取りや録音された肉声のあまりの生々しさに、社会は嫌悪感をあらわにした。品格を疑うどころか社会通念を著しく逸脱するその言動に、拒絶反応を示したといっていい。
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