篠原 匡 ニューヨーク支局長 日経ビジネス記者、日経ビジネスクロスメディア編集長を経て2015年1月からニューヨーク支局長。建設・不動産、地域モノ、人物ルポなどが得意分野。趣味は家庭菜園と競艇、出張。 この著者の記事を見る
昨年10月から7回にわたって連載を進めた「シアワセのものさし」。魔法の腕を持つ高知県在住のデザイナー、梅原真の生き様を通して、地域再生の哲学や地場ブランドの作り方、根本となるアイデンティティの重要性などを見てきた。 連載を見てもわかるとおり、梅原の手によって魅力的な商品を手に入れた地域は少なくない。ただ、それ以上に、梅原は多くの人の心に種を植えた。事実、彼の生き方に感化され、新たな人生を歩み始めた人は数しれない。梅原の遺伝子は数多くの人に継承されているといっていいだろう。 これから3回、梅原によって人生のトビラを開けた人々の“その後”を描く。いわば、「外伝 シアワセのものさし」。外伝ではあるが、登場人物のその後の人生は様々な示唆に富んでいる。1回目は明神水産で「藁焼き鰹たたき」を仕掛けた明神宏幸。その後の人生は波瀾万丈というに相応しい。 梅原とともに「藁焼き鰹たたき」を売り出した明神は持ち
多くの人々が山間僻地の道の駅に訪れるのはなぜか。恐らく、その最大の誘因は商品力だろう。 風呂に置くだけでヒノキの香りが漂う「四万十ひのき風呂」、旧十和村(現四万十町)の特産である栗を使った「四万十栗の渋皮煮」、独特の香りを誇る香り米「十和錦」、地元のショウガを使った「ジンジャーシロップ」、四万十の茶葉を使った「しまんと緑茶」など、「四万十とおわ」にしかないオリジナル商品が60アイテムもある。 それは、併設する「とおわ食堂」のメニューでも同様だ。十和村で採れた椎茸のタタキや四万十川の青のりの天ぷらが入った「とおわかご膳」、四万十川の漁師が採った天然ウナギの「四万十川の天然鰻丼」、十和村産の豚を使った「とおわポーク丼」など、ここで提供する料理は四万十流域の食材を使ったものだけだ。 とおわ食堂に軒を連ねる「とおわ市場」も鮎や川エビ、野菜、キノコなど、地元で採れたものしか扱わない。だからだろう。2
懐かしの味、アイスクリンや土佐佐賀の天日塩を使った天日塩アイス、旧吾北村のユズ、土佐市の文旦、室戸市のポンカン、香我美町山北のミカン、旧十和村の栗など、高知県の素材を使ったアイスクリンやシャーベットを全国で販売している。 売上高は3億2000万円(2009年10月期)。規模で見れば、中小企業の域を出ない。だが、ここ数年の急成長が著しい。 2002年10月期に6000万円だった売上高は翌年度に1億円を突破した。それ以降も確実に売り上げを増やしている。しかも、売上高の95%は高知県外で稼ぎ出したもの。高知県は県内産品を県外で販売する「地産外商」を進めている。高知アイスはその代表格に数えられる存在になった。 高知アイスの急成長。そのきっかけを作ったのはこの連載の主人公、梅原真だった。農林漁業と地域のために絵筆を振るう。そんな気骨溢れるデザイナーである。 1988年に創業した高知アイスだが、その後
“漁師が釣って 漁師が焼いた”。ストレートなコピーと赤いパッケージが印象的な明神水産の「藁焼き鰹たたき」。一本釣りのカツオを土佐伝統の藁焼き製法で仕上げたこの商品、高知県民はもとより、県外にも幅広いファンを持つ。カツオタタキ商品の草分けと言える存在だろう。 この商品デザインやコピーを手がけたのは高知県在住のグラフィックデザイナー、梅原真(59歳)である。農林漁業と地域に関する仕事しか受けない。だが、ひとたび絵筆を執れば、どのプロジェクトの成功裏に終わる――。そんな凄腕のデザイナーだ(前回参照)。 明神水産の藁焼き鰹たたきは、そんな梅原の伝説の先駆けになった商品である。1986年に売り出したところ、売上高は倍々ゲームで増加。わずか8年で20億円を超えるまでになった。一本釣り船の船主だった明神水産の快進撃。梅原のプロデュースが大きな要素を占めていた。 なぜ藁焼き鰹たたきが成功したのか。今回はそ
グローバル資本主義や世界経済のあり方を根底から問い直した金融危機。その余熱が冷めやらぬ今年1月、「この国のゆくえ」という連載を始めました。これから訪れる新しい時代。この国がどういう国を目指すべきなのか、それを考えてみたいと思ったからでした。 あの連載は4月に終わりましたが、その後も暇を見つけて、日本の未来が見えそうな地方や企業に足を運びました。そして、2カ月前、ある人物に出会いました。 坂本龍馬や中岡慎太郎、武市半平太など幕末の風雲児を生み出した土佐の国に生きるグラフィックデザイナーでした。一次産業と地域に関する仕事しか受けない。大企業の依頼も断っている。それでいて、この人が関わると、どんなプロジェクトの成功してしまう。そんな不思議な力を持ったデザイナーでした。 業界では有名なようですが、恥ずかしいことに、私は存在すら知りませんでした。でも、少し話を聞いただけで、その計り知れない人間の深さ
中山間地域と農業の実体をあまりにも知らなすぎる論評が出ること自体が、輪をかけて日本の農業を誤解したものにしている。限界集落に住む農業者が医療サービスを受けられないことは深刻であるが、住民のほとんどは、管につながれて病院で屍化しながら生きようとは思っていない。ある日突然、脳内出血で死んだとすれば天寿を全うしたと喜びさえするであろう。筆者が言う(1)資源管理機能、(2)生産補完機能、(3)生活扶助機能といったものがなくなって、実生活に支障があるかと言えば、「ない」とほとんどの人が答えるだろう。食の自給率など知ったことか、困るのは消費者であって、自分たちは充分満足できる低農薬、有機栽培野菜、安全な山菜、ヤマメ、イワナを採取することを楽しみ、食べている。農業後継者が居ないことは消費者にとって重要であっても、現状の住人にとっては生死に関わる重要な案件ではない。少なくとも年寄り同士相互扶助しながら楽し
気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 日本の国土の約7割を占める中山間農業地域(注)が、行政サービスのコストを引き上げている。中山間農業地域は環境と国土などの面から重要な機能を果たしているが、税収の自然減、少子高齢化を考えると、この地域のために行政の予算を今後も大量につぎ込むことはほとんど不可能だ。 ところが、中山間農業地域の活性化は、地方自治体ではなく農林水産省の役割と決められている。農水省は、効率的運営を目指す地方自治体の努力に水を差してはいないだろうか。 (注)農水省の用語で、平野の外縁部から山間部を指す。 前々回の記事「農水省改革チームの提言は国家を動かすか?」で、農水省が改革チームを発足させ、実施に乗り出したと書いた。石破茂農水大臣はまさか本稿によって勇気づけられたわけ
日本在来種の綿「和綿」。その存続と織物の復活を目指す鴨川和棉農園のワークショップは今年で11年目を迎える。 参加者は老若男女、農業や工芸とは無縁の初心者や趣味の人、繊維業界人、起業家、専門家まで実にさまざまだ。年間約6回開催、1回の参加者数約15人を単純計算しても、これまで延べ約1000人が日本独自の綿の感触を体験したことになる(*1)。 今回の参加者には、今年からオーガニックコットン製品(輸入)を扱う予定だという香川県の卸商の男性もいれば、京都から来た元商社マンもいる。 卸商の男性は、綿はもちろん有機綿も100%輸入だと思っていたが、国産もあると知って勉強のために参加したと言う。また、元商社マンは原綿(綿花)輸入に携わってきて、農業の実情や市場による価格の乱高下など、綿を取り巻く世界的状況を見るにつけ、国産の可能性に目を向けるようになったと言う。 ほかには、染色の専門家、単純に和綿に興味
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く