ブックマーク / qushanxin.hatenadiary.org (8)

  • 若年弱者問題 - 狂童日報

    ひきこもり」「ニート」「フリーター」とか、若年の不安定低賃金・無業層(若年弱者)が問題になったのは、おそらく2000年ぐらいからではないかと思う。この問題に興味を持ってきた人であれば、議論がだいたい三段階くらいで進んできたことが理解できると思う。もちろんこれはマスメディア上のもので、学問的なものではない。 第一段階は、単純な否定や叱責・説教である。つまり「きちんと就職しない若者がいるなど信じられない」というものである。そこでは「就職しなくてもえる時代になった」という素朴な解説が多かったように思われる。そもそも、「フリーター」が増えていること自体が、当事者を含めてたいした問題だと思われていなかった。今でも、こうした考え方をしている人は少なくないし、確かに一定の真理を含んでいるところもないではない。 第二段階は、若者の深層心理や行動パターンから説明しようとするものである。要するに、「ひきこ

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  • 誰か法人税大増税案を! - 狂童日報

    16日の下に載せておいたけど、どうも上とつながりが希薄なので改めて。 共産党や社民党のような「税金は大企業から採ればいい」的な単純な議論にも問題があるにしても、どうして国債発行や消費税の前に法人税を上げるという議論が盛んにならないのだろうか?前にも書いたが、徴税は「余裕のあるところから(金持ちからではなく)」が大原則である。経済は無知なので全くわからないのだが、ビールやタバコなどの商品にちまちま数パーセントの税金をかけるよりも、何兆何千億とお金の動いているところから1パーセントでも増税したほうがはるかに効率がいいし、企業もそこまで懐が痛む話ではないだろう。銀行業界が空前の好景気らしいが、大量の税金を投入して破綻を救ってきた国民はどうして怒りの声を上げないのだろうか?これは経済の専門家に任せるしかないが、国債発行や増税は仕方がないと諦めたりとか、公務員の数や給料を減らすなんという大した効き目

    誰か法人税大増税案を! - 狂童日報
  • 北朝鮮ミサイル問題 - 狂童日報

    北朝鮮のミサイル基地を先制攻撃しようという言う意見が、公然と出され始めているようだ。はっきり言ってやめるべきである。憲法の問題以前に、莫大な税金を使う上に成功率はきわめて低く、さらに国際的な支持もあまり得られないだろう。先制攻撃は金銭的にも外交的にもリスクがあまりに高すぎる。外交下手の日がこのリスクを処理できるとは考えられない。しかし、これに反対する側はというと非常に弱い。「もっと外交的努力を」「より慎重な議論が必要」という綺麗事に終始している、というか逃げているのである。 しかし、もっと当のことが語られなければならないのではないだろうか。つまり、北朝鮮のミサイルを脅威と考える限り、それによって一定多数の日国民が犠牲になる可能性を受け容れるべきだということである。 そもそも北朝鮮の何が「脅威」なのだろうか。核兵器やミサイル、独裁体制などなどと答えるかもしれないが、それらは質的な問題

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  • 論理の飛躍 - 狂童日報

    エコノミストの常套句は「個人の活動の自由度が高まり、競争が激化すれば経済の活力は上がる」である。 最近経済学を専攻しようとする大学生は減少傾向にあるらしいが、むべなるかなである。第一に、このテーゼにはあまりに飛躍がありすぎる。エコノミストはこれを普遍的なテーゼとして語りたがるが、「自由化=景気の向上」というロジックがうまく当てはまるのは、言うまでもなく、あくまで具体的な状況に限られる。経済の専門家の多くがこれを「飛躍」だと思っていないとしたら、そもそも経済学理論に重大な欠陥があるのではないかと思ってしまう。竹中大臣を批判するような人も、このテーゼ自体が間違いだとは言っていないように思われるが、私はこの出発点からして間違えていると考えている。少なくとも「自由化=景気の向上」のロジックがうまく機能する具体的な状況を説明しなければ、このテーゼは単なる宗教であって経済理論ではない。 第二に、このテ

    論理の飛躍 - 狂童日報
    shin-ohara
    shin-ohara 2006/07/04
    >>「個人の自由」を論理的に突き詰めれば、「ニートや引きこもりになる自由」や「競争に参加したくない自由」は、経済の活力とは無関係に尊重されなければならない...
  • 福井総裁の辞任問題 - 狂童日報

    福井総裁の辞任要求が高まっているらしい。私はこの問題で辞任すべきとは思わないが、やはり気が重くなるのは村上ファンドの理念に共鳴して投資していたという事実である。 村上ファンドは企業買収で騒いで株価が高くなったら売り抜けるという手法は、今は色々批判されている。会社は株主だけのものではなく、従業員とその家族、地域社会などによって支えられなければならない、というむしろ世間の常識に属するあまりに当たり前すぎることが改めて認識されはじめている。単調なまでの教科書的な「株主中心主義」を甲高い声で叫ぶ村上に、なぜ日銀総裁に就任することになるような人物が危険だと思わなかったのか。動機はともかくとして、そういう人物を支持していたという事実は、要するに福井総裁も経済というものを村上の言うような単調なものとしてしか考えてなかった可能性があることを示している。だとすると、経済的な合理性を理路整然と語られると途端に

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  • 死の大切さ - 狂童日報

    子供をめぐる殺人事件の報道で「命の大切さを・・・」を云々する人が依然として多い。 しかしこれが間違いであることは、皆はもうわかっているはずである。このことは、かつてオウム事件でわれわれは既に学習したはずではなかっただろうか。サリンの実行犯は「命の大切さ」をこれ以上ないくらい真面目に考えていた医者だったという深刻な事実を、どうして誰も忘却してしまったのだろうか。長崎で同級生を殺したという事件や、マンションから子供を突き落としたという事件の犯人も、真摯に「命の大切さ」を語っていたことがわかっている。最近も少年が自分の家族を放火で殺すという事件が起きたが、これも医者の息子だったというのが示唆的である。 むしろ常識的に言っても、「命を大切に」という観念が強まると、「命」を脅かすと思われるような相手に対する寛容さがなくなり、「そういう奴は殺しちまえ!」という感情が正当化されやすい。またある者が社会へ

    死の大切さ - 狂童日報
  • 愛国心について - 狂童日報

    最近教育法の改正問題でまた愛国心に関する議論が盛り上がっているが、二つの傾向があるように思った。 一つには、あるべき愛国心を「自然に湧き出る感情」と理解している点である。つまり、「自然な感情」なのだから教育でも教えるのは当然と言う人と、「自然な感情」は教育で教えるべきものではないと人と、立場が対立する両方が愛国心は「自然に湧き出る感情」と考えているのである。しかしナショナリズムに関するを少しでも読んだ人には自明のことだが、愛国心は教育やマスメディアといった人為的な制度を通じてのみ形成されているという意味では「自然な」ものではない。一生山奥で生活している人に愛国心があるわけがない。我々が愛国心を「自然なもの」と考えるとしたら、教育やマスメディアを通じて「日」や「国家」といったカテゴリーで社会や世界を観察する作法に慣れ親しんでいるという意味で「自然」なのである。「うさぎ追いしかの山」の

    愛国心について - 狂童日報
  • 相手を実名で批判するのは良いことか - 狂童日報

    ニート」概念を批判している後藤和智という人が、批判は「実名」を出して行なうべきだと述べていた。この意見に一瞬頷きかけたが、ちょっと考えてそれは違うと思うようになった。 そもそも、名指しで批判された人は、それを読んでどう思うだろうか。これは断言できるが、考えを改める人はまずいない。実際批判の内容は「こいつらは馬鹿で偏見だらけでしょうがない」というもので、そもそも議論するにも値しないという扱いなのだ。批判された側は、内容を読む以前に批判者に対する憎しみとルサンチマンを溜め込むことになる。そうすると、批判した側が相手に受け入れさせたい意見とは、真逆の方向へ相手を追い込んでいくことになる。 はっきり言うが、明らかにレベルの低い議論のレベルの低さを実名で逐一とりあげてあげつらうのは、罵倒であり、侮辱ではあっても批判ではない。そういう議論の流行を問題にしたい場合は、「論壇誌やマスコミでは・・・という

    相手を実名で批判するのは良いことか - 狂童日報
    shin-ohara
    shin-ohara 2006/06/13
    「批判」という言葉は難しいな、と。非難(「ぶっ潰す」)と啓蒙(「免疫化」)と分析(「有益な議論」の下準備)が一語に収束してるのがな、とか思うし、対象が概念の場合と人の場合とでもズレが出るだろうし。
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