タグ

ブックマーク / www.rekishijin.com (1)

  • 渋沢栄一は明治当時「大久保利通」をどのように見ていたのか? | 歴史人

    経済の礎を築いた一人として知られる渋沢栄一は、幕末から昭和の初めまでの間に数々の偉人たちと交わり、その感想や見識を多数の著書に残している。そのなかで維新三傑のひとりである、大久保利通については「底の知れぬ人物」として、非常に高く評価していたようだ。 大久保利通は、薩摩藩の下級藩士・大久保次右衛門利世(おおくぼじえもんとしよ)の長男として生まれた。西郷隆盛とは幼なじみの間柄で、同じ町内で育った。ふたりの父親同士も親しく、大久保は学問において町内でも抜きん出た存在だったという。 ところが、1850(嘉永3)年に薩摩藩藩主・島津斉興(しまづなりおき)の後継者問題で、斉彬(なりあきら)を擁立しようという派閥に味方した父が喜界島に流罪。子の大久保も連座して処分を受けている。 翌年に斉彬が藩主の座に就くと、大久保は斉彬に見いだされて徒目付(かちめつけ)に抜擢。斉彬の死後は一時的に身分を危うくする一

    渋沢栄一は明治当時「大久保利通」をどのように見ていたのか? | 歴史人
    shinchi
    shinchi 2021/08/06
  • 1