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ブックマーク / yuhka-uno-no-nikki.hatenadiary.jp (8)

  • アスペだけど、差別語について考えてみた - yuhka-unoの日記

    どうもこんにちは、アスペの宇野ゆうかです。最近アスペルガー症候群の診断が下りました。以前別の病院で発達の検査をして、「グレーゾーンではあるかもしれないけど、アスペルガーど真ん中じゃない」と言われて、ああそうなんだと思っていたのだけれど、去年、自分がアスペルガー症候群だとはっきりわかる出来事があって、以前の病院での検査結果を、発達障害に詳しい精神科医に見てもらったら、「君アスペルガー症候群やね。典型的」と言われてしまいました。まぁ、やっぱりね。言語性IQと動作性IQの数値の差が開いていたから、そんな気はしてたよ。 撮り鉄はアスペ で、これなんだけど。 まぁ確かに、アスペルガー症候群の人は、幼少期におもちゃとかを一列に並べて遊ぶ「ものならべ」をする特徴があって、同じものが整然と並んでいるのが好きな傾向はあるし、興味が偏っていてオタク気質な人が多い傾向もあるから、鉄道マニアになるAS症候群の人が

    アスペだけど、差別語について考えてみた - yuhka-unoの日記
    shinchi
    shinchi 2013/02/28
  • 無意識に理想が高い人 - yuhka-unoの日記

    死にたくなるぐらいなら何々しろと言う人々へ。 上の増田のエントリとそのブコメを読んで、色々思ったこと。 私は、病や精神破綻を起こしやすい人は、無意識に理想が高い傾向があると思う。もう少し正確に書くと、人の認識している「普通レベル」が、実は一般的にはかなり高レベルで、その高レベルなことをしなければならないと思い込んでいるということだ。 だから、我侭というわけではなく、むしろその逆で、人は頑張りすぎるほど頑張っているのだが、人の認識では、自分は「普通レベル」に達することのできないダメ人間なんだと思い込んでいる。(ただし、その高い「普通レベル」を他人に押し付けると、他人をスポイルすることになり、我侭になってしまうが。) 私の場合は、気遣いと生真面目さについて、無意識に理想が高かった。『他人に対して気を遣って丁寧に接する母と、それができない私の話』で書いたように、家の外の人に対して気を遣い

    無意識に理想が高い人 - yuhka-unoの日記
    shinchi
    shinchi 2012/06/11
  • 「普通」の親が子供を追い詰める - yuhka-unoの日記

    このブログの中で、私は母と自分との関係の問題点について、沢山エントリを書いてきたけれども、私の母は、ごくごく「普通」の人だ。母ぐらいの世代の典型的日人と言ってもいい。表面上は非常に善良な一市民なのだ。 母は「普通」に依存していると言っても良い。批判されることや失敗を恐れる性格なので、「普通」の中に住み込むことで、安定と安心を得ようとするのだ。だから、自分のテリトリーを「普通」に保っておかないと、途端に不安になる。そのテリトリーとは家族だ。ただし、夫は自分より力が強いので、コントロールし切れない。母のコントロールの手は、必然、子供たちに伸びることになった。子供が少しでも、母にとっての「普通」から外れようとする兆候を見せると、母は無意識的に、子供を「普通」の枠の中に引き戻そうとした。そうしないと母は不安だったのだ。 私は幼い頃、幼稚園で、他の子は皆一緒に何かをしているのに、別室で一人で黙々と

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    shinchi
    shinchi 2012/02/15
    普通てなにか
  • いち若者の立場から、若者が何も主張しない理由を主張してみる - yuhka-unoの日記

    格差と若者の非活動性について (内田樹の研究室) Q1.現在、世界では、経済格差(世代間格差ではなく、金持ちとそうではない人との格差)や社会への不満に対して、多くの若者たちが声を上げ、デモを起こし、自分たちの意見を社会に訴えようと行動しています。翻って日ではここ数十年、目に見える形での若者の社会的行動はほとんど見られません。これだけ若者たちにしわ寄せが行く社会になっているのに、そして政策的にも若年層に不利な方向で進んでいるのに、若者たちはなぜ、社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのでしょうか? それは特に不満を感じていないからなのか、それともそうした行動に対して冷めているのか。あるいは社会的に連帯するという行為ができないのか。ネットにはけ口が向かっているだけなのか。内田さんはどのようにお考えでしょうか? なぜ若者が何も言わないのか? 答えは単純。「言っても無駄だと思っているから」。

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    shinchi
    shinchi 2011/10/21
  • 自分が嫌われないために気を遣う人は、身内を潰す。 - yuhka-unoの日記

    『相手のための気遣いと、自分が嫌われないための気遣い』に、予想外にブックマークが沢山ついた。で、 id:ekirei-9 理屈はわかるけど具体例がほしい という意見を頂いたし、ちょうど書きそびれたなと思っていたこともあったので、続きを書こうと思う。 母は、家に人が来るとなると、家の中を完璧に片付けていた。私の担任になった先生は、大抵誰でも「yuhka-unoさんの家は綺麗だね」と言ったものだし、その中の一人は、「yuhka-unoさんの家は、生活感がない感じやね」と言った。 学校の先生が来る時に家の中を綺麗にするのは当然として、母は消防署の人が火災報知器の点検に来る時や、電気屋の人が家電を修理しに来る時でさえそうだった。 母が留守で、私が火災報知器の点検に立ち会うことがあった日、私は布団を押入れに仕舞わず、畳んで部屋の角に置いておいた。火災報知器は、押入れの中にも設置されているからだ。押入

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    shinchi 2011/09/03
  • 相手のための気遣いと、自分が嫌われないための気遣い - yuhka-unoの日記

    毎日放送関西ローカルのお昼の時間帯に、「ちちんぷいぷい」という情報番組がある。良い意味でのゆるい雰囲気が持ち味で、私はけっこうこの番組が好きで見ている。 その「ちちんぷいぷい」の中に、大吉洋平という若手アナウンサーが、京都の様々な老舗で、一週間(五日間)修行をするというコーナーがある。前回が旅館で、前々回が和菓子屋だった。 和菓子屋での修行の回、従業員たちが新しい和菓子の案を出す時に、大吉アナは、「故郷を離れて働く子供が、親元を離れて初めて親のありがたみがわかって、親に感謝して贈るための和菓子」を提案したところ、和菓子屋の女将さんに、「悪いけど、お利口さん」と評されてしまう。一方、他の従業員は「焼肉を模した和菓子で、名前が『叙々苑』」を提案する。女将さん曰く、こっちのほうが面白い、と。その後、大吉アナは、ポッキーを木の枝に見立てた和菓子を作り、自分の殻を破ることができた。 次に行った旅館の

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    shinchi 2011/08/26
  • 頭が良い人になるには、「頭が良い人だと思われたい」という願望を捨てること - yuhka-unoの日記

    「頭が良い人だと思われたい」という願望を強固に持った人ほど、頭の良さから遠ざかってしまうのではないかと思う。「良い親だと思われたい」という願望を強固に持った親ほど、良い親から遠ざかってしまうように。 なぜなら、こういう人は「論理的=格好良い・感情的=格好悪い」という価値観に取り付かれやすく、自分の感情的な面を認められなくなるからだ。「良い親だと思われたい」人ほど、自分の悪い面を認められなくなるように。 「頭が良い人だと思われたい」という願望は、れっきとした感情なのだ。しかし、「論理的=格好良い・感情的=格好悪い」という価値観に取り付かれた人は、この感情を自覚できなくなる。自分の感情的な面はなかったことになり、理屈の下にある自分の感情を掘り起こすより、辻褄を合わせるために正当化の屁理屈ばかりが上手くなってしまう。 「論理的=格好良い・感情的=格好悪い」という価値観に取り付かれた人は、自分の感

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    shinchi
    shinchi 2011/07/21
  • 「辛い経験は糧になる」という言葉に感じる違和感 - yuhka-unoの日記

    『他人からの励ましやアドバイス』にも少し書いたが、私は「辛い経験は糧になる」という言葉に違和感を感じる。 結局、トラウマにしかならない経験だってあるんじゃないのかと思うし、乗り越えられるかどうかは、人の努力ももちろんあるが、運の要素もある。周りの人の助けが得られる環境かそうでないかは大きい。 「辛い経験は糧になる」という言葉が広く世間で言われているのは、基的に、乗り越えられた人しか世間に出て来れないからなんだろう。私の中にも、乗り越えられた部分と乗り越えられていない部分があるが、乗り越えられた部分については、世間に向かって語れるけれど、乗り越えられていない部分については、なかなか世間に向かって語ることはできない。 世間から見えるのは、乗り越えた人だけ。結局トラウマにしかならなかった人は、世間からは見えないということだ。 それから、「辛い経験は糧になる」という言葉は、『元いじめられっ子の

    「辛い経験は糧になる」という言葉に感じる違和感 - yuhka-unoの日記
    shinchi
    shinchi 2011/06/13
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