「十五年戦争の開幕 (昭和の歴史 4)」より。 鹵簿とは、儀仗を備えた行幸・行啓の行列のことを言います。 (P295-298) 桐生市鹵簿誤導事件 特殊な教団とは結びついていない国体観念の普通のあり方はどのようなものだったろうか。三四年一一月、群馬・栃木・埼玉の三県下で陸軍特別大演習がおこなわれた機会に、天皇が桐生市などへ行幸することとなった。桐生市は全市あげて準備を大わらわですすめた。天皇に校内を巡覧されることとなった桐生高等工業学校では、早くも六月から準備にとりかかり、行事のまだ二か月以上前の九月一一日以降は寄宿寮での刺身などの生物料理を禁止し、チフス予防注射や赤痢予防ワクチンをはじめ、健康診断を再三おこない、行内の清掃・消毒に努め、奉迎の練習をくり返し、万全の準備を終えて行幸を迎えた。 一一月一六日朝、御召列車が桐生駅に着き、分きざみで決められている行事日程にしたがって、鹵簿はまず桐