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  • やまとうた 和歌

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  • 山上憶良 千人万首

    父母等は不詳。粟田氏の支族山上臣の出身。一説に、近江甲賀郡居住の粟田従属の百済系渡来氏族かともいう(中西進)。 大宝元年(701)正月、第七次遣唐使の少録に任命される。この時無位で、名は山於億良とある。同年九月、文武天皇の紀伊国行幸の時の作と思われるものに長意吉麻呂の「結松を見て哀咽歌」(万葉集2-143・144)があり、これに追和した憶良の歌がある(2-145)。 同二年六月、遣唐使船出航。十月頃、長安に入る。同四年頃、大唐にて郷を憶う歌を詠む(1-63)。同年七月、遣唐使粟田真人らが帰国。憶良も同船か(または慶雲四年-707-帰国)。 和銅七年(714)正月、従五位下に叙され、霊亀二年(716)四月、伯耆守に任ぜられる。養老五年(721)には首皇子(後の聖武天皇)の侍講に任命され、退朝の後、東宮に侍す。一説に、この頃『類聚歌林』を編纂。神亀三年(726)、筑前守に任命され、筑紫に下向

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