大きい地図・ルート検索 ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI ) 志賀中学校の裏手、(たぶん)職員駐車場の隅から、参道が伸びています。 阿曇大浜 - Wikipedia 発祥の地は『和名類聚抄』によると、筑前国糟屋郡志珂郷から阿曇郷にかけての一帯(現在の福岡市東区志賀島から糟屋郡新宮町)といわれており、大和政権に帰属した段階で、摂津国に拠点を移している。 また『筑前国風土記』逸文には、「糟屋の郡、資珂の嶋」に関する以下の物語がある。気長足姫尊(おきながたらしひめ の みこと、神功皇后)が新羅へ向かった際に、船で夜に停泊し、陪臣の小浜に勅令を出して、火を探し求めさせた際に、早くに手に入れられたので戻って来た。それを同じ従者の大浜が、「近くに家があるのか」と尋ねたところ、「この島は打昇(うちのぼり)の浜と近く、地形も相続いている。殆ど同じ土地と言ってしまってよい」と答えた。