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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/madographos (24)

  • 公立義務教育学校の不平等 - 学校教育を考える

    ボロも味なもの (tsuguo-kodera) 2015-11-23 14:58:56 難しいテーマだと思いました。ぼろい校舎も良いものでした。私も団塊の世代の直上でしたので、卒業すると新校舎がたちました。高3のときだけ新校舎でした。 今となると新校舎時代より、ボロ校舎にまつわる思い出がたくさん懐かしく思い出されます。事を床に落とし、床下と下の教室の天井の間に蛆が湧いたこともありました。えらく怒られたことも今となれば楽しい思い出です。 そういえば貧乏ゆすりを悪ガキが示し合わせてすると女子が地震だ地震だと騒いで先生が慌てたことも懐かしい思い出です。箱物などぼろいほど思い出に残ります。 次は今は30代半ばの息子の話です。だから20年ほどですので、私に比べたら最近と言えるかも。でもクーラーなし。私の時代にあったストーブの暖房もなし、床は土の土間。オーバーも可の寒さ。その校舎に息子は中高と通いま

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    showgotch
    showgotch 2010/11/22
  • 教育と結果責任 - 学校教育を考える

    混迷する教育現場で, 日々奮闘していらっしゃる 真面目な先生方への 応援の意味を込めて書いています。 教育に関する論議がいつも不毛なのは, 教育という営みが, その結果に対する検証が不可能な営みだからである。 これこれこういう教育システムの下で, かくかくしかじかの教育を行ったために, このような人間や社会が形成されたという議論は, 証明不可能である。 にもかかわらず, あらゆる教育改革は, 教育の現状を問題の多いよくないものと断定し, この教育改革を行えば, 将来において,必ずやよい成果があがり, 明るい未来が待っているという論法を使う。 すなわち,未来社会において成果が検証されるはずだという論法である。 しかし,その教育改革の成果が検証されることはない。 いや,検証されたかのように言いつくろうことはあっても, 当の意味で検証されることはない。 教育というのは, いつも現在社会の価値観

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    showgotch 2010/06/07
  • 国立大学法人附属校の意味 - 学校教育を考える

    混迷する教育現場で, 日々奮闘していらっしゃる 真面目な先生方への 応援の意味を込めて書いています。 国立大学法人附属の学校というのがいくつかある。 これらは, いわゆる大学の教育学部附属の実験校である。 その実験は, 先進的な学校教育の在り方を模索するための実験であろう。 しかし,その実験の成果を生かす場が, 果たして当にあるのだろうか。 一部の実験目的が特殊化した学校を除いては, これらの学校に通う児童生徒のレベルは, 極めて高い。 なぜ,そのようなレベルの高い児童生徒を集めるのか, 理解に苦しむ。 レベルの高い児童生徒が集まったのでは, エリート教育の実験をするのでなければ, 実験は全く無意味なものとなる。 にもかかわらず, 全国の学校に, それらの学校で実験した成果を 普及させようとでも思っているのであれば, 事実,そうでなければ, これらの学校の存在意義はないのであるが, これ

    国立大学法人附属校の意味 - 学校教育を考える
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    showgotch 2010/04/11
    あれは教育実習と教員研修のための施設だからね。視点が逆
  • 教員養成6年制は愚策である - 学校教育を考える

    混迷する教育現場で, 日々奮闘していらっしゃる 真面目な先生方への 応援の意味を込めて書いています。 教員免許更新制を廃止して,教員養成を大学院2年間を含め6年制に移行しようという教員の指導力向上政策について考えてみたい。 教員免許更新制の功罪は,正式には1年しかやっていないのであるから評価不能なはずである。それはさておき,教員養成6年制に関しては,現場感覚でいけば疑問を感じざるを得ない。現場で見ていると,短大卒業,大学卒業,大学院修士課程修了,大学院博士課程修了などさまざまな学歴の先生がいるが,学歴差によって,教員の資質や指導力に際立った違いがあるかというと,ほとんど差がないか,逆に,大学院修了の方がよろしくない場合さえある。 要するに,大学や大学院には,そもそも教員の資質を向上させる機能は乏しいのである。だからこそ,東京都をはじめとする教育委員会が,自前で教員養成にのりだしているのであ

    教員養成6年制は愚策である - 学校教育を考える
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    showgotch 2009/10/26
    珍しくまともなことを言っている
  • 昔の名校長・今の名校長 - 学校教育を考える

    混迷する教育現場で, 日々奮闘していらっしゃる 真面目な先生方への 応援の意味を込めて書いています。 昔,名校長と呼ばれた人は,人情の機微に通じ,子どもはもちろんのこと,教職員の心の動きをよく把握し,自らは威厳をもちつつ,それでいて,めだたず采配をふるうタイプの人が多かった。作業着を着て人知れず校庭の雑草とりをしているようなタイプの人である。人が見ていようが,見ていなかろうが,そんなことにはお構いなく,自らが正しいと信ずる道を行う人格者である。だからこそ尊敬された。 今,名校長と呼ばれようとする人は,鼻息が荒い。自分が赴任する前の学校の状態をこてんぱんにこき下ろし,「なんたるざまか」と憤慨する。そして,自分が赴任してきたからには,大改革を断行し,学校を生まれ変わらせるといきまいて,保護者にもアピールをする。そして,ほんの少しの成果でも成果をあげたと吹聴するばかりか,果ては他の教員や子どもた

    昔の名校長・今の名校長 - 学校教育を考える
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    showgotch 2009/10/13
    保護者も地域の人も本当にそんなにバカなのかな?
  • 教育に独創はいらない - 学校教育を考える

    混迷する教育現場で, 日々奮闘していらっしゃる 真面目な先生方への 応援の意味を込めて書いています。 教育学者は,研究者である。研究者は,新しい知見を常に求められている,つまり,独創性がないといけないと思われている。 (研究者の世界では,「研究」と「勉強」は違う,「研究」とは未知の分野を開拓することなり,独創こそ命,と説かれている。しかし,英語では,どちらもstudyで通用する。このことはどう説明されるのであろうか。我が国語における独自の解釈ということであろうか??) 自然科学の分野はさておき,人間を相手にしている,それも教育という,それこそ人間をじかに相手にしている分野では,独創的な知見というものに果たして意味があるのかどうか,そもそも,独創的な知見というものが存在しうるのかどうか,はなはだ疑問である。独創的に見えるものも,実は過去の知的遺産をパラフレーズしたものであることが多いことに気

    教育に独創はいらない - 学校教育を考える
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    showgotch 2009/10/12
    時代によって変わるのは文化とテクノロジー。というか、独創性以前に新しいことばかりを追って歴史を踏まえてないこと自体が問題なんじゃないの?
  • 不思議なこと - 学校教育を考える

    混迷する教育現場で, 日々奮闘していらっしゃる 真面目な先生方への 応援の意味を込めて書いています。 知識中心の詰め込み教育はダメで, これからは「考える力」を育成することが 大切だなどということが言われ, 多少揺り戻しはあるものの, 大筋ではこの考え方は支持を受けているように思われる。 でも,よくよく考えてみると,おかしなことがある。 このような発想をしている大人たちの多くは, この言説に従えば, 子どものとき,知識中心の詰め込み教育を受けてきたことになる。 したがって,「考える力」が乏しいはずである。 すなわち,「考える力」の乏しい人たちが考えた説なのである。 それは違う,私は,知識中心の教育を受けてきたが 「考える力」はあるのだと,もし言いたいのであれば, 当初の言説は成り立たなくなる。 もともと, このようにパラドクシカルな面をもつ言説など 真に受ける必要はなかったのである。 もっ

    不思議なこと - 学校教育を考える
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    showgotch 2009/09/15
    そうだね。まぁ特権階級問題ってほうが強いと思う
  • 板書のしかたをどこで学ぶか - 学校教育を考える

    やはり学ぶ姿勢? (taketyann) 2009-09-13 13:09:22 教師というのは、いったい何ができたらその資格があると認められるのでしょうか。 特に小学校教師の場合、守備範囲が広いので板書以外にも見に付けるべき技術は無数にあります。(歌、ピアノ、絵画、植物の栽培、動物・昆虫の飼育、ボール運動、器械体操等等…) 運転免許なら自動車が一定以上運転できれば、免許が与えられます。調理師免許なら料理、システムエンジニアならプログラミングができればいいわけですが、教師の場合これができれば大丈夫、という線引きがないのです。 私は教員に必要なのは、基的な教養と新しいことや未知のものを学んでいく姿勢だと思っています。 教員養成が4年から6年に増える、といった話も聞きますが、たかが6年でこの仕事に必要な知識や技術が全て身につくとは思いません。どんな職業でもそうでしょうが、仕事に就いた後でも、

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    showgotch 2009/09/13
    あんまり黒板つかわねーよ。ワークシート時代
  • 学校教育の結果責任 - 学校教育を考える

    管理人様なら花は咲きます (tsuguo-kodera) 2015-08-13 13:03:22 何度でも言います。初等科の及川先生の河原にはたくさんの花が咲きました。 劣等生列伝です。一番のハナタレ小僧が東大文一に合格し外交官になりました。一番の頭脳持ちになったのかもしれません。お金はだめでしょうが。 一番野球が上手かった奴は成城学園の中学から大学までの野球部総監督になりました。彼もお金はダメですね。 一番の喧嘩屋は私でした。会社員時代は社長とも喧嘩し、しばらく学校の責任者と喧嘩を楽しんでいたのですが、今では相手としてもの足りないのでもうやめました。私もお金はだめですね。 劣等生もそれなりに生きていますが、金持ちにはなれませんでした。秀才の坊ちゃんだった嫌味な奴に収入では勝てなくても良いのでは。 今は喧嘩屋は管理人様にくどくどと喧嘩を売っているのかもしれません。ご愁傷様です。すみません。

    学校教育の結果責任 - 学校教育を考える
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    showgotch 2009/09/06
    それくらいは20代のうちに考え付くもんじゃ・・・
  • すべての教育は強制である - 学校教育を考える

    良くも悪くも (taketyann) 2009-08-23 16:00:42 第一条  教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。 教育法にはこうあります。これによれば教師は「必要な資質」を身に付けさせ、「心身ともに健康」であるように子どもを教育しなければならないわけです。 つまり国家が行う学校教育というのは、国家が成り立つのに必要な人材を育成することを目的にしているわけで、その過程では当然強制が行われるケースがあるということです。普段は教師も生徒もあからさまな強制を目にすることがないので、無自覚なだけと言えるでしょう。 無論、強制される中身については、子どもにとって利益となるものが多いので、通常は問題となることはありません。「時間を守ること」「字が読めること」「計算を学ぶこと」の重要

    すべての教育は強制である - 学校教育を考える
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    showgotch 2009/08/25
    そこは確かに前提。ただだからといって生徒の望むモノと教育が望むモノを一致させようみたいな議論が多すぎる
  • 読書と講義 - 学校教育を考える

    目からウロコ (ほり) 2009-07-27 21:04:56 こんにちは。 講義形式を否定する言説が多い中、以前からどうしても腑に落ちないと感じていた理由が、わかりました。 ありがとうございました。 >当に実質のある主体性 私が自分でこれを感じたのは30を優に過ぎてからです。若い頃は、回りの世界が複雑怪奇すぎるようで、どのように捉えて良いのかも何も分からなかったというのが正直なところだったように思います。また、自分が直観的に捉え、考えていることなどを表現できる論理と言葉も持たなかったように思います。何にせよ、受身という「仕込み」の時期だったのかな? Unknown (madographos) 2009-07-28 06:08:56 >ほり様 コメントありがとうございます。やはり,受身の姿勢というのは,勉強する上でとても大切なことのように思われます。さまざまなものを虚心に吸収してはじめて

    読書と講義 - 学校教育を考える
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    showgotch 2009/07/27
    あぁ犬みたいに条件反射させればいいんですよね
  • 日本語は大丈夫か - 学校教育を考える

    このブログにコメントされる場合は,以下の諸事項をお守りいただきたく,お願い申し上げます。 1 madographos(このブログの管理人)は,コメント欄での議論を望んでおりません。同一エントリーに対しての連鎖的なコメントは避けてください。 2 エントリーの内容そのものに関するものでないコメントは避けてください。 3 一人で複数の異なるハンドルネームを使うことは避けてください。 4 同一あるいは近接エントリー内で,他者と同一のハンドルネームを使うことは避けてください。 5 名前・タイトルを入力しない,あるいは,「Unknown」としたコメントは避けてください。 6 他のコメント者に対するコメントは避けてください。 以上の事項が守られていない場合もしくはmadographosが不適切と判断した場合は,そのコメント者に通告することなく,コメントを公開しない場合,あるいはコメントそのものを受け付け

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    showgotch 2009/07/09
  • 教育に希望を見いだすために - 学校教育を考える

    数百年経っても変わらないもの (文月) 2009-07-05 01:56:16 >時代が変わっても価値を失わないものは何なのか, 私は、それは義であると確信しています。 困っている人や助けを求める人がいれば、助けることが上杉の義であり、 数百年経った後も正義として今の時代に引き継がれています。 上杉謙信は関東管領として平和を乱す悪党たちを取り締まっていました。それもまた義でした。 武田が困ったときも助けました。 今も時代でいうなら人権擁護というほうがふさわしいでしょうかね。 やさしさ(思いやり)と強さ(正義)=人権擁護ということです。 助けを求める人を助けて、悪党を退治すること。 それらの「義」を子どもに伝えていきたいと思っています。 時代が変わっても決してその価値は失われないですよね。 私は教育の中に希望を見つけることができました。 私の天命は、体罰の被害者を助け、体罰教師を退治すること

    教育に希望を見いだすために - 学校教育を考える
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    showgotch 2009/07/05
    自分のスタンスを述べずに語る説教はタダの詩でしかない。
  • 教育への失望 - 学校教育を考える

    おっしゃる通り! (理想は常識人) 2009-07-02 18:59:39 まさにmadographosさんのおっしゃる通りです。 教育への失望ではなく、自分への失望なのです。 それを子どもへの失望にすり替えてはいけません。 ちょっとつぶやかせてください (yo) 2009-07-02 23:08:04 Kさんは何をいっているのかわかりませんが・・・。 私は、勘が冴えない人間ですから、「自らの職業が当には子どもの方を向いていないことに」気づくのに結構な時間がかかりましたし、そのくびきから抜け出す光明を見いだす努力を続けるのが精一杯なのが今の状況です。 でも、たまに思うのです。 気づいた人間は四面楚歌か孤立無援を感じることなのではないでしょうか。 そんな状況でいるよりは、いっそ辞めてしまおうかと。 自分の実践が行き詰まったら、そう感じたら、子どもから笑顔が返ってこなくなったら、そうなるでし

    教育への失望 - 学校教育を考える
    showgotch
    showgotch 2009/07/04
    ほんとねぇこのレベルの議論は大学生のうちに済ませておいてほしい
  • いい先生 - 学校教育を考える

    Unknown (編集部.K) 2009-07-01 09:38:09 「いい先生」とはどんな先生なのでしょうね。小・中・高と日での教育を受けましたが、私にとって「いい先生」とはほぼいなかったように思えます。私の思い違いなのかどうなのか…。とても「いい生徒」とても「悪い生徒」とても「人気のある生徒」には接する先生が多くいました。けれどとても「普通の生徒」にはほぼ何もなかったように思えます。ただ一人、小学校3年生のときにやってきた、臨時の先生は一人、ひとりに目を向け、体当たりでクラスを受け持っていました。大好きな先生でした。もちろん多くの先生がそうなのかもしれません。(他の業務などで忙しいとは思います)「いい先生」、きっと子どもが一番良く知っているのではないでしょうか。先生によって人生も変わるともいいます。誰もが、一人でもいい、「いい先生」に出逢い心にグッとくる温かい思い出ができれば、そん

    いい先生 - 学校教育を考える
    showgotch
    showgotch 2009/07/04
    あぁきっもちわりーーーー!!なんで相対化して優れてるなんて言えるの?これを佐藤学は「職人性」と「専門性」という言葉で見事に表わして見せたよ。というか自分の人格が優れてるといいたいわけか?
  • 修学旅行引率心得十か条 - 学校教育を考える

    混迷する教育現場で, 日々奮闘していらっしゃる 真面目な先生方への 応援の意味を込めて書いています。 1 行き先の地理,歴史,風物,自然に精通すべし。 バスガイドの説明に頼るべからず。 必ずガイドさんを補ったり質問したりして, 子どもたちにわかりやすいように配慮すべし。 バスの中,電車の中も,貴重な学習の場なり。 2 旅行中は,常に笑顔で旅行を楽しむ姿勢をとるべし。 教師の仏頂面は,旅行を台無しにする。 3 旅行で一番大切なのは,子供たちの安全管理である。 引率の際は,常に先頭を歩くべし。 教師たる者,後ろを振り向かなくても, 子どもがついてきているかどうか察知できるぐらいであるべし。 教師は常に危険な方に立ち,子どもたちを自分の体を盾にして守るべし。 4 修学旅行は「修学」のための旅行なり。 子どもたちが「よく見,よく聞き,よく味わう」ことが大切。 決して,思い出づくりのために連れていっ

    修学旅行引率心得十か条 - 学校教育を考える
    showgotch
    showgotch 2009/06/21
    最初はなるほどと思ったけど3番でん?ってなった。非常に仕事がお役所的
  • 見えない仕事 - 学校教育を考える

    混迷する教育現場で, 日々奮闘していらっしゃる 真面目な先生方への 応援の意味を込めて書いています。 教師の仕事というものは, どうも一般には軽く見られているようである。 誰でもできそうな暇な仕事に見えるのだろう。 子どもの成長のために,あるいは子どもの安全のために, どれほどの見えない労力が割かれているのかということが あまり分からないのだろう。 見えない仕事の内容は, あまりにも日常的で多岐にわたっているので, まじめな教師ならすぐに理解できるだろうが, なかなか,うまく説明できないものである。 ということで, 一般の人に見えやすい目立つ仕事だけにして, 見えないところで 子どものためにやっている諸々の配慮をやめてしまえば, 教師は楽になるし,学校の評価も上がるという訳だ。 実際,学校が, そっちの方向に徐々に動いている気がしてならない。 かくして, 見えない仕事はベテランから新人へと

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    showgotch 2009/06/21
  • 何のために学ぶのか - 学校教育を考える

    混迷する教育現場で, 日々奮闘していらっしゃる 真面目な先生方への 応援の意味を込めて書いています。 「何のために学ぶのか」, 古くて新しい問いである。 私が子どもの頃は,よく先生が, 「何のために勉強するのですか?」などと 子どもたちに聞いたものである。 「おかあさんがよろこぶから」とか 「勉強するとほめてもらえるから」などといった 素朴な答えを言う子もいた。 たしかに,これらは勉強する理由としては 有力なものであろう。 大人でも, 誰かが喜ぶからとか,誰かから賞賛を得たいから 学んでいるという面はあるであろう。 また, 「将来○○の仕事につくため」というような答えもあった。 将来的な展望に立って,現在を見ているわけである。 将来,ある仕事に就くために 今勉強しなければならないというのは, 実際的で,これまたよく分かる理由である。 現在,学校教育の場で最も幅を利かせているのは, 小中高大

    何のために学ぶのか - 学校教育を考える
    showgotch
    showgotch 2009/06/16
    もーやだ、コメント欄も含め気持ち悪い>< /何のために学ぶのか、と聞いてくる子は学びが楽しくないのだ。それこそ本質的な問題なのに。/勉強は社会に参加するための共通認識:通行手形を得るため
  • 教育実習生に - 学校教育を考える

    日常的な授業態度ではないですか? (理想は常識人) 2009-06-14 17:39:27 子どもの姿は、そのまま授業をしている教師への評価でもあります。 参観している教師たちは、居眠りしている子を起こしましたか?放置しましたか? 隣の子としゃべっている子が、何を話しているか聞きましたか?授業への疑問なら、授業者に聞くように促しましたか?ただの雑談なら、授業者の話を聞くように指示しましたか? 内職している子に、注意をしましたか?内職していても、問題のない授業ではありませんでしたか? ノートをとっていない子が、なぜノートをとっていないか確かめましたか?ノートをとっている子どもが、適切なことを書いているかどうか、確かめましたか。ノートを書くことについての指示は適切でしたか?ノートをとるのが必要な内容でしたか?そもそもなぜノートをとるのか、何をノートするのか、教育実習期間に入る前の指導は徹底でき

    教育実習生に - 学校教育を考える
    showgotch
    showgotch 2009/06/15
    そうやって干渉すればするほど日本がだめになっていく。というジレンマ/実習生あてだけではないのに気付きましたか?じゃないでしょ、思わず反論コメント書きそうになったよ。なぜ若者を象徴に見立てるんだ
  • 教育可能性を考える - 学校教育を考える

    混迷する教育現場で, 日々奮闘していらっしゃる 真面目な先生方への 応援の意味を込めて書いています。 「教育可能性」という言葉がある。 学校でいえば, 教師の教育活動によって, 子どもが教育される可能性のことである。 この言葉はたいへん深みのある言葉である。 可能性であるからには, 不可能であることも想定し得るのである。 つまり,教師が教育しても, 子どもが教育されない可能性があるということである。 考えてみれば,あたりまえのことである。 子どもは,意識的にせよ,無意識的にせよ, 教室にきちんと座ってはいても, 教育されないことを選び取る可能性がある。 教育されるかされないかは, 実は,子どもの主体的選択にまかされていると言ってもよい。 そして,その子どもの主体的選択は, 大人が教育活動の工夫によって, 完全にコントロールできるものではない。 ところが,我が国の教育論は, この教育可能性を

    教育可能性を考える - 学校教育を考える
    showgotch
    showgotch 2009/05/31
    言葉に深みがあるんじゃなくて切り分けが雑。教育自体があいまいな言葉な上に可能性って曖昧な言葉をかけ合わせてるんだから。スキナーの実験から「学習は制御できる」ことがわかってる。学習と教育が違うことが大事