序章 ウクライナ危機以降のプーチン体制と東方シフト -5- 序章 ウクライナ危機以降のプーチン体制と東方シフト 法政大学法学部 下斗米 伸夫 はじめに 2014 年 12 月、恒例の年次教書でプーチン大統領はウクライナ危機以降の経済的政治的 変化を総括的に述べ、そのなかでクリミア編入によって千年以上前のキエフ・ルーシ受礼 の地をロシアに取り返したと歴史的に正当化するとともに、それに伴う G7 諸国の制裁措 置が長期にわたることを強調、これに対応する措置の必要性を説いた。 2013 年 11 月から顕在化したウクライナをめぐるロシアと欧米諸国との関係は、 2 月のマ イダン革命によるヤヌコビッチ体制の崩壊、3 月のこれに対するプーチン大統領によるク リミア編入、そして 4 月からの東ウクライナ( 「新ロシア」 )をめぐる暫定政府の「反テロ 作戦」の内戦的展開、7 月 17 日のマレーシア航空