前の記事では、社会的、大局的な話をかきました。 この記事は、個人のレベルでの話を書きます。 「発達障害」という言葉は、使う人・文脈によって大きく色合いを変えます。 特に、①わが子の将来に関する「不安」の象徴のように使われるときと、②大人の方がこれまでに経験してきた大変さの「解説/仮説」として使われるとき、③第三者が排除的・侮蔑的に使うときとでは、意味合いがとても大きく変わってきます。 わが子に関して「発達障害」という言葉と出会うのはどんな時でしょう。 ただでさえ、子育てというものは先行きが見えず、親御さんに様々な責任がおっかぶせられる時代。そんな中で、家庭で親子で関わるとき、あるいは幼稚園・保育園・小学校などで、何かうまくいかない・しっくりこない不安感が募ってくる。 そんな不安感を象徴するような言葉として、「発達障害」とか「発達障害の疑い」とかって言葉が降りかかってきたならば、それを否定し
「順番が待てない」「友達の輪に入れない」「集中できない」-。先天性の脳機能障害である発達障害の認知度が高まり、こうした特性への理解も深まってきた。だが、発達障害とされるケースの中には、生育環境に起因する「愛着障害」のケースも少なくない。県内の専門家らは「ここ数年、見方が『発達障害』に偏りがちになっている」として、「愛着」の大切さを訴えている。 「かつては発達障害を知ってもらおうと必死だったが、今は特徴的な行動が目立つとすぐに『発達障害では』と見られるようになった」と話すのは、県内で多くの子どもたちのケアに当たっている臨床心理士の山岡祥子(やまおかよしこ)さん。 1月に講師を務めた講座「愛着と発達障害」でも、「人格形成のベースは愛着」と繰り返した。 愛着は、乳児期に養育者との間でつくられる情緒的な絆のこと。 この信頼感が、将来の自己肯定感や対人関係をつくる力の基になる。 愛着が形成されないと
↓これ読んだら居てもたってもいられなかったから、便乗して日記を書いてみる。 ■保育園落ちた日本死ね!!! http://anond.hatelabo.jp/20160215171759 私は数ヵ月前に第一子を産んだ。 私20代、夫30代。 二人とも正社員だけど給料は高くない。 まあごく普通の夫婦。 共働きならなんとか子育てしながらやっていけると思った。 だけど、生まれたのは口からミルクを飲むことも息をすることもままならない重度の障害児だった。 医師や保健師からは、こういう状態の子供を産んで働いている母親はいないと言われた。 人工呼吸器をつけていたり、鼻に入れたチューブから栄養を取っている子はどこの保育園でも預かってもらえない。 みんな子供の介護をしながら、手当てをもらって暮らしている。それが当たり前だって。 手当てといっても給料と比べればわずかな額だ。 片働きになれば、今の家には住めなくな
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