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社会保障とメモ書きに関するsizukanayoruのブックマーク (4)

  • 人としての尊厳を保つためには、必要なのは財源であるという事実。「痛み苦しんで死にたくない」という感情論と現実論の、どちらでもない最適解とは?|やまもといちろうゼミ|みんなの介護

    一郎です。美味しいものは先にべる派です。 稿でも「年間240万人という日最大の人口ボリュームを擁する団塊の世代が、2025年以降後期高齢者入りしたとき、多数の高齢者の住まう首都圏など都市の医療が大変なことになるのではないか」というお話をさせていただいております。 これはもう小手先のテクニックでどうにかなるものではありません。なるだけ病気にならないような生活を気をつけて送ったところで、人間75年も生きてきて何の病気もなくピンピンしている、ということなどまずないんですよね。老いも病も、遅かれ早かれ等しく人に訪れ、平等に死を迎えるというのが摂理である以上、人間の知恵をもってこれに抗うというよりは、円熟した情感をもって死を迎え入れることが大事だ、とも言えるのかもしれません。 とはいえ、じゃあ当に死に直面しそうだったとき諦観を持てるのか。また、いざ自身の肉親や親族、親しい友人が病床にあっ

    人としての尊厳を保つためには、必要なのは財源であるという事実。「痛み苦しんで死にたくない」という感情論と現実論の、どちらでもない最適解とは?|やまもといちろうゼミ|みんなの介護
    sizukanayoru
    sizukanayoru 2016/11/06
    「どう死ぬか」「その死をどう受け止めるか」と今こそ哲学的に考えなければならない。それは社会保障全体の議論として避けてきたツケ
  • 今日の「あ〜あ、言っちゃった」 - debyu-boのブログ

    当は「昨日の」なんですけど、なんとなく語感的に。 月曜朝の「スーパーモーニング」で、社会保障(主に年金)の世代間格差についての討論会をやっていた。若者代表として高僑亮平氏(松戸市政策担当官)、小黒一正氏(一橋大学准教授)、高齢者代表として堀紘一(ドリームインキュベータ会長)、片山虎之助(たちあがれ日)。正直このメンツ(得に高齢者側)で議論できるのか?というのが第一印象。 音量も小さくしてたし、ちゃんと見ていたわけではないのですが、当初の予想どおり高齢者2人が人の話を聞かない、話をそらす、茶化す、進行にケチを付ける等々、まったく討論になっていない感じでし(堀紘一とか最後の方後頭部しか映ってなかったし)。 いろいろヒドいこと言ってたと思うんですが、個人的にポーンと耳に入ってきたのは片山虎之介のこんな言葉。 「人間には家族とかいろんな絆があるんだよ! みんなで支え合うのが日文化なの!!」

    今日の「あ〜あ、言っちゃった」 - debyu-boのブログ
    sizukanayoru
    sizukanayoru 2010/10/13
    老害なんて言ってられない次元だろう。世代間で問題を"共有できない"ことが、一番の問題だろう。年代によって問題意識がちがう。
  • 不幸の平等化 - 狂童日報

    民主党の目玉政策のひとつである児童手当ての世論をネット上で見てみたら、相変わらずというより、想像以上にひどい。 2009年9月22日 16時11分qyh*****さん削除/違反報告私もそう思う4,288点私はそう思わない155点生活保護+母子加算+子供手当て これがどれだけの額になると思ってるんですか。 働く気が無くなります。 働いたら負けの国にしないでください。 2009年9月22日 16時15分qyh*****さん削除/違反報告私もそう思う3,481点私はそう思わない27点 働いても働いても貧乏という人にこそ、 税金は使われるべきであり、 仕事したくないから生活保護という人を、 増やしてはいけません。 2009年9月22日 16時14分goo*****さん削除/違反報告私もそう思う2,338点私はそう思わない138点 マイナスになる家庭もある中ごり押しで進めようとする政策 まずは 見直

    不幸の平等化 - 狂童日報
    sizukanayoru
    sizukanayoru 2009/09/24
    "世論がみんなして被害者意識をぶつけ合って足の引っ張り合いばかりをするようなものになって(略)横の人が不幸であればあるほど安心するようなそして不幸であるほど社会的に承認されるようなそんな社会"( ..)φメモメモ
  • 現代日本の転機 - 池田信夫 blog

    民主党の政策立案の中枢になる「国家戦略局」担当の副総理に、菅直人氏が内定した。人事としては順当なのだろうが、彼が戦略を立案できるのかどうかは疑問だ。社民党と一緒に彼が前の国会に提出した製造業の派遣を禁止する法案こそ、意図せざる結果を考えない非戦略的な政策の典型である。 そもそも国家戦略などというものを政府が立てることがナンセンスだ、とイースタリーのようなリバタリアンならいうだろうが、私はそこまで過激派ではない。よくも悪くも戦後の日は1980年代まで、国家戦略なしで「超安定社会」を実現してきた。それが維持できなくなった今は、社会の中での国家の役割を見直す「メタ国家戦略」が必要だと思う。 著者もいうように、現状を「新自由主義の没落」とみるのは日ローカルの発想であり、歴史学でも社会学でも大きな屈折点とみなされているのは、石油危機をきっかけとする「1973年の転機」である。これを機に「前期

    sizukanayoru
    sizukanayoru 2009/09/12
    "日本の前期近代は(略)父権的な官僚と母権的な企業による「日本型福祉社会」だった。本来は国民負担でまかなわれるべき社会保障のコストを長期雇用などによって企業が負担した"( ..)φメモメモ
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