歌田明弘の『地球村の事件簿』 週刊アスキー連載「仮想報道」などの原稿のアーカイヴやリンクが中心です(詳しくは「プロフィール」参照)。編集部との話し合いで、週刊アスキーの原稿は発売後、次の金曜日以降に公開することになっています。つまり、実際に書いたのは公開日の2週間ほど前です。
歌田明弘の『地球村の事件簿』 週刊アスキー連載「仮想報道」などの原稿のアーカイヴやリンクが中心です(詳しくは「プロフィール」参照)。編集部との話し合いで、週刊アスキーの原稿は発売後、次の金曜日以降に公開することになっています。つまり、実際に書いたのは公開日の2週間ほど前です。
ネット発で注目度が高まった『日本語が亡びるとき』は、 英語の覇権が進み日本語が亡ぶと「日本語の危機」を訴えている。 しかし、その提言は受け入れられるのか。 ●日本語の本が亡びるとき 水村美苗氏の著書『日本語が亡びるとき』は、インターネットという技術が追い打ちをかけて人類は「英語の世紀」に入り、「叡智を求める人」は国語で書かれたものを読む気がしなくなるという。 この本はおもしろく刺激的だが、そればかりでなく、ネットでどう受けとめられたのかも興味深い、前回、少し触れたが、もう少しだけ見てみよう。 本の奥付は10月31日なので、10月半ばに出版されたのだと思うが、11月7日からの数日でかなりのネット評が出ている。梅田望夫氏が11月7日にブログで、「水村美苗『日本語が亡びるとき』は、すべての日本人がいま読むべき本だと思う」というタイトルの記事を書いたからだ。 さらに翌日、梅田氏が、はてなブックマー
日本語の本が言葉の壁に守られ、グローバリズムの嵐とは無縁だった時代は過ぎ去ろうとしている。 グーグルという黒船がやってきて大砲をぶっ放した‥‥ ●突然出されたグーグルの「公告」 2月24日に、グーグルが新聞に公告を出した。かなり大きなスペースだったが、文字ばかりで、気がつかなかった人もいるだろう。冒頭に「法廷通知」とあって次のように書かれている。 「米国外にお住まいの方へ:本和解は米国外で出版された書籍の米国著作権の権利も包含しているため、貴殿にも影響することがあります。書籍または書籍中のその他の資料等の権利を有している場合には、適時に除外を行なわないかぎり、本和解に拘束されることになります。」 日本の新聞に載せておいて「米国外にお住まいの方へ」というのはいかにも空々(そらぞら)しいが、米国外で同じ文章を一律翻訳して出したのだろう。日本の本がグローバルな世界に呑みこまれようとしていることを
なぜ貧しいと思うのかって? 実際、お金がないからに決まっているじゃないか、と思うかもしれないが、 そうとは限らないという調査がアメリカで出ている。 ●日本人は悲観しすぎ? 金融危機は海の向こうの話‥‥だったはずなのに、あっという間に日本を呑みこみ、暗い年の瀬になってしまった。 アメリカの調査機関ピュー・リサーチ・センターのレポートをあれこれ見ていたら、日本人の経済観についておもしろい発表をしていることに気がついた。 その主旨をひと言で言えば、「日本の経済はそんなに悪くないのに、日本人は悲観しすぎじゃないの?」というものだ。調査そのものは春に行なわれているが、9月の麻生政権誕生直後、日本人の経済に対する考え方をクローズアップする形で次のような数字をあげてレポートしている。 国内総生産トップのアメリカが巨額の貿易赤字にあえいでいるのに、日本は、中国、ドイツに次ぐ貿易黒字国だ。ここ5年間のアメリ
ネット利用者は、メディアがネットに移行するのは当然すぎる話と思うが、 メディアは、みずからの「死」を受け入れながらでしか進行しないのかもしれない。 ●ネット版に移行すればするほど苦しくなっていく新聞 新聞が、ネットに進出して何が起こっているか。数号前にとりあげた『グーグルとウィキペディアとYouTubeに未来はあるのか?』という本は興味深い数字を載せていた。 ニューヨークタイムズ紙の印刷版の有料購読者数は平日版が110万人、日曜版が170万人なのに対し、無料オンライン版の利用者は月4000万人いるそう だ。しかし、印刷版の年間収入が15億ドルから17億ドルあるのに、オンライン版は2億ドルしかないという。オンライン版の収入が少ないことは容易に想像 できるが、具体的な数字を目にすると、いろいろなことを考えさせられる。 アメリカでは日曜版だけ、あるいは平日版だけの定期購読者もいる。平日版を30倍
経済財政白書は、企業も個人もリスクをとらないことが 問題というが、そのほんとうの理由に目をつぶっている。 リスクをとるようになる解決策はあるのだけれど‥‥ ●グローバリズムに適応しにくい終身雇用 失業は、当人にとってはもちろん大問題だけれど、社会にとってつねに問題かといえばかならずしもそうではない。たしかにいつまでも仕事が見つから ないのはまずいが、弱い産業から新たな新興分野に人を移そうと思えば、その過程で失業が発生する。失業が発生するのは産業構造の転換が行なわれているか ら、ともいえる。 北欧の国々は、失業が発生することを前提に、失業者が仕事に就くのをバックアップする体制を整えている。前回紹介したフィンランド経済研究所のレポート「北欧モデル」は、そうやって“失業の痛み”を乗り越え、産業構造の転換を押し進めるので、北欧は、長時間労働しているわけでもないのに、経済競争力をつけているとのことだ
歌田明弘の『地球村の事件簿』 週刊アスキー連載「仮想報道」などの原稿のアーカイヴやリンクが中心です(詳しくは「プロフィール」参照)。編集部との話し合いで、週刊アスキーの原稿は発売後、次の金曜日以降に公開することになっています。つまり、実際に書いたのは公開日の2週間ほど前です。 ●わかったようでわからない北欧モデル 暑いときには、涼しそうな国のサイトを覗きたくなる‥‥というわけでもないのだけれど、北欧は、高福祉・高負担の国でありながら、いったいどうやって経済成長をさせているのだろうと、あちこちのサイトにアクセスしてみた。すると、興味深い文書が見つかった。フィンランド経済研究所の「北欧モデル」と題した英文のレポートだ。フィンランドの経済学者たちがまとめたもので、北欧の経済的な強さの秘密と直面している問題について詳説している。 北欧は、世界経済フォーラムの国際競争力の最新ランキングで、デンマーク
「希望がない。人間として認めてほしい」という叫びが、「蟹工船」人気を呼んでいる。 そして、非正規雇用者と正社員のあいだには深淵が横たわっているようだ。 ●度を超した認知欲求 秋葉原の事件以来、無差別殺傷事件が続いている。世代も環境も違う私には、秋葉原の事件が起こった理由はわからないだろうと前に書いた。しかし、ネットの書きこみや、たくさん出ている就職氷河期世代の本を読むと、年齢や環境が違っても、十分に理解できるもののように思われてきた。というのは、まるでこうした事件が起こることを予言していたかのような文章がいくつも見うけられるからだ。それらを読むと、これらの事件は、いわば起こるべくして起こったもののように思われる。 ただ、これらの文章からはあまり読みとれなかったこともある。 不満や怒りを抱えている人は多いが、そういう人がみな無差別殺人をするわけではない。秋葉原の事件の犯人などは、認知されたい
SNSやブログの人気を支えているものは何なのか。 自分を隠したくもあり、見てもらいたくもあり‥‥。 そこには、現代人の複雑な心が見てとれる? ●見られているほうが安心できる? 書評を頼まれた精神科医の斎藤環氏の『メディアは存在しない』という本には、「ミクシィの秘密」を解き明かすおもしろい議論が収録されていた。この本そのものは難解だけれど、末尾の座談会はわかりやすい。出席者は、斎藤氏、社会学者の大澤真幸氏、それに本誌でも連載していた批評家の東浩紀氏だ。 あちこちの国でリアリティ・ドラマと呼ばれるテレビ番組が流行っている。あらかじめ筋書きのあるドラマではなくて、たとえば呼び集められた参加者を孤島に送ってサバイバル・ゲームをやらせ、その様子を放映するといった番組だ。日本でもいくつも作られている。タレントの卵などにわずかのお金をもたして見知らぬ土地に放り出したりした『電波少年』などがそうだ。 フラ
ニセのクリックによって広告費を増大させている、 という非難に対処することをグーグルは迫られた。 ちゃんとやっているのかそうでないのか、はたして‥‥? ●グーグルはクリック詐欺を放置している? このところ、ウェブサイトの広告に関心もないのにクリックし、利益誘導をねらうクリック詐欺について書いている。 検索やウェブサイトの内容に応じて表示される広告は、1クリックいくらといった具合に課金される。クリックされればされるほど、ネット広告会社は儲かる仕組みだ。グーグル始めネット広告をやっている会社は、詐欺的なクリックに対する防止策をちゃんととっているのか――ということが、アメリカのネットでホットな話題になっている。 そうしたなか、06年夏グーグルのCEOエリック・シュミットの発言をきっかけに、「グーグルはクリック詐欺の問題を軽視している」という批判が巻き起こり、それに対し、グーグルが反論するという事件
ネット広告が注目され、価値が認められるにつれ、 いじましくも熾烈な争いを広告主たちが繰り広げ、 グーグルなどに、ダメージをもたらし始めている。 ●忙しくてクリック詐欺を休んでいたために発覚 メディアサイトはもちろん、個人のブログでも、いたるところで広告が目につくようになってきた。検索結果やウェブサイトの内容に応じて現われる広告は、利用者の関心に沿って表示されるのでクリックされやすい。しかも、広告をクリックされたときにだけ課金されるので、広告効果がわかる。またサイトの開設者も、こうした広告をウェブページにおけば広告収入の一部を得られる‥‥といいことずくめだ。広告市場が急拡大し、今後も有望株と見られている。 私も自分のブログに検索機能が付け加わると便利だということで、グーグルの検索を導入している。このようにしてこれらの広告は、アメーバのごとくウェブ中に広まった。 グーグルはこういった広告で、ネ
テレビCMにイライラさせられているのは どこの国でも同じと思いがちだが、 そんなことはない、 という興味深い研究レポートが出ている。 ●日本のテレビの非常識 テレビCMにイライラさせられるのはなぜかって? テレビCMっていうのはそういうものなんだよ。タダで見るんだから、多少イライラさせられたって仕方がないだろ‥‥。そんな「良識派」のあなたは、今回の原稿をぜひ読んでほしい。テレビCMを見なきゃならないのはほかの国でも同じだが、海外の人びとは、日本の視聴者ほどにはCMでイライラさせられてはいないようなのだ。 このところ広告について、あれこれ資料を読んでいる。そうして読んだ一冊に興味深い研究レポートがあった。われわれの「テレビCMの常識」を覆すもので、研究書のなかだけにとどめておくのはもったいない。今回はそれを紹介しよう。 「番組内CM提示のタイミングが視聴者の態度に及ぼす影響」という堅いタイト
どうすれば経済が回復するのかについて 少し前に激しい議論があった。 はたしてどの意見がマトを射ていたのか、 検証してみよう。 ●天敵エコノミスト2人の意見の当否 橋や道路の建設などに政府がどんどんお金を使って経済を支えないと日本はたいへんなことになるという意見がずっと根強くあった。エコノミストとしてそう主張してきた急先鋒は、前回もとりあげたリチャード・クー氏だ。小泉政権下、金融担当大臣として銀行の不良債権処理を推し進めた竹中平蔵氏にとって、クー氏はまさに天敵のような存在だった。竹中氏がまだ学者の一人に過ぎなかったころからテレビの討論番組などで激しく意見を戦わせていた。この論戦、いまになってみれば、どちらが正しく、どちらがどこで間違ったのか、経済のシロウトでもわかるように思う。昨年末から今年の始めにかけてこの二人の本が出たので、読み比べてみた。 私の印象では、クー氏は、政府はともかくお金を使
物価が上がり、景気が回復したと言われるのに、 給料が上がらないのはどうしてなのか。 日本経済の構造が変化してしまっている。 ●会社が株主のものになったのはアメリカの謀略? 景気が回復したのに、どうして賃金が上昇しないのか。 8月7日に発表された政府の経済財政白書は、それにはいくつかの要因があり、非正規雇用の増加や高額所得者が多い団塊世代の退職など複合的な要因が関係しているものの、決定的な理由を見つけることはむずかしい、と書いている。 このところ時間を見つけてグローバリズムに関する本を読んでいるが、そうした本のひとつから、賃金が上昇しない――というよりも、企業が賃金をあげない構造的理由が読みとれた。 低賃金で生産できる発展途上国と競争しなければならないので、日本の企業経営者が賃金を抑えている、といったことはすぐに思いつくが、賃金が上がらない理由はそれだけではないようだ。 ノーベル賞を受賞した
自己責任の問題に強い反応が起きるのはなぜなのか。 いまの会社をめぐる厳しい環境が、そうした心の動きに 関係しているのではないか。 ●職場における連帯感の喪失 この欄で取り上げるテーマは毎回さまざまだが、ネットで激しい反応が返ってくる話題のひとつは、「自己責任」に関するものだ。 04年の イラクでの邦人人質事件や耐震偽装の事件などでは、被害者の自己責任が議論になった。そうした話題を取り上げて、ネットでの議論の沸騰にいくばくか「貢 献」したかもしれない私が言うのも何なのだけど、正直なところ、多くの人が何でそんなに激高するのか不思議だった。「しょせんは他人事」でもあるはずなの に、ひとりひとりの心の琴線に触れる事件として激しい感情が巻き起こった。 たしかに、これらの事件の被害者の救済には、税金が投入される。自分たちの納めたお金が使われるのだから敏感になるのはわかる。しかし、少なからぬ悪意を持って
怪しげなカネがネットに流れこんでいるのではないかと、 ときに感じることがあるが、そうしたことが起こるのは、 起業をめぐる風土の問題もあるのではないか。 ●起業するのは割に合わない? この時代、「いかにカネを稼ぐか」を日々真剣に考えたとしても食べていくのは容易ではないが、私は、「ウィキペディアはどういう仕組みで記事がで きあがっているのだろうか」とか、「人間や動物の神経と電気回路を直結させてコンピュータを動かすなんてすごいよな」などと(このコラムに書いているよう なことを)思いながら暮らしている。これでよく食べていけるものだと自分でもときどき思うが、子どものときには、もっとまじめにカネ儲けを考えていた。あ れこれビジネスモデルを思いめぐらせて、けっこう起業家精神もある子どもだったと思う。でも、けっこう早くに、起業は割に合わないと気がついた。 ライブドアの社長として頂点を極めていたころの堀江氏
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く