8年前まで囲碁のプロ棋士として活躍していた尾崎さん。 お宝は44年前、アメリカで手に入れた物。1964年、尾崎さんは知人のアメリカ人に誘われ渡米。ニューヨークに滞在し、一流企業や大学、国連などでアメリカ人相手に碁の指導をしていた。 また、生徒の奥さんたちは生け花を習っており、時おり展示会もしていたのでカメラでその様子を撮影してあげたりして次第に親しくなった。すると1年半後、帰国するとき、仲良くなった奥様の一人に「そのカメラが欲しい」と言われた。買ったばかりだったので惜しかったが、親しくなった記念だと思い、その奥様が花を生けるのに使っていた器と物々交換した。その後骨董に興味を持つようになったが、勉強すればするほど、これがとんでもない名品ではないかと思うようになった。 世界的なお宝。今から3400年くらい前の殷王朝の青銅器に間違いない。「斝(か)」といって酒を入れたもの。三脚二柱一把手という基
1984年中国河南省二里頭遺跡において古代の墓から動物を象った青銅の板が発見された。 動物紋飾板 長さはおよそ16センチ400個に及ぶトルコ石が象嵌されており死者の胸に置かれていたことから装飾品の一種と思われる。 調査の結果作られたのは紀元前17世紀頃と推定された。 さらにこの墓からは同時代の青銅器が多数出土したため、この墓はいまなお実在が証明されていない中国最古の王朝、夏王朝(紀元前21~16世紀)の遺跡である可能性が高く現在も研究が続けられている。 銅とスズからなる青銅は人類が最初に用いた合金であり、古代文明の発展に大きな役割を果たしてきた。 この画期的な発明は紀元前3000年頃西アジアで生まれ各地に広まったが、とりわけ中国の技術は傑出していた。 青銅器は元々神を祭るためのものであったが、その後権力者の力の象徴となりさまざまなものが生まれた。 本格的な製造が始まったのは殷王朝(紀元前1
江戸時代の浮世絵師、喜多川歌麿の代表作の一つで、戦後60年余りにわたって所在が分からなくなっていた、浮世絵の「深川の雪」が、日本の古美術商のもとで保管されていたことが、NHKの取材で明らかになりました。 「深川の雪」は歌麿が描いた三部作の一つとして知られ、専門家は「日本の浮世絵の中でも記念碑的な作品と言え、近世絵画史において重要な作品が見つかった意義は極めて大きい」としています。 「深川の雪」は、江戸時代の代表的な浮世絵師、喜多川歌麿が描いた、歌麿の代表作です。 「吉原の花」「品川の月」と共に、歌麿が三部作として描いた「雪月花」の一つとして知られています。 三部作のほかの二つの作品は、現在、アメリカの美術館に所蔵されていますが、「深川の雪」は、昭和23年に東京で開かれた展覧会に出品されて以降、60年余りにわたって所在が分かっていませんでした。 見つかった「深川の雪」は、縦2メートル、横3メ
【ロンドン=内藤泰朗】わずか100ポンド(約1万5千円)で買ったという木製チェストが、貴重な日本の古美術品とわかり、競売の末に630万ポンド(約9億6千万円)相当で落札され、競売が大好きな英国で話題となっている。江戸時代初期につくられたこの木製の櫃(ひつ)はテレビ台として使われていた。フランス人のオーナーには、思わぬ「宝箱」となった形だ。 報道によると、落札された櫃は最大辺の長さが1・5メートルで、1640年に京都でつくられた。世界に残る10個のうちのひとつ。内側も外側も黄金のラッカーで塗られて優雅で細微にわたる装飾が施されている。 日本が当時、交易をしていたオランダの東インド会社が輸出し、フランス国王ルイ14世の宰相ジュール・マザラン家が1658年に2つを購入。家族の中で、引き継がれていた。 しかし、1789年にフランス革命が起き、貴族は多くの美術品を手放した。英国のビクトリア・アンド・
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