西ヨーロッパやアメリカで1930年代に電子楽器が登場するまで、テルミンは先端的な唯一無二の楽器だった。テルミンやそのアレンジ品は、レッド・ツェッペリン、ローリング・ストーンズ、ビーチ・ボーイズなどのレコーディングやライブといった、世界の音楽プロジェクトで幅広く使用された。 レフ・テルミンが自分の楽器を演奏 ジミー・ペイジ(レッド・ツェッペリン)がテルミンを弾く 「雪どけ」で電子楽器も許可 スターリンがソ連の最高指導者だった時代は、伝統音楽、古典音楽、民族音楽が優先され、前衛音楽、実験音楽、電子音楽は厳しい検閲にさらされた。ドミトリー・ショスタコーヴィチなどの現代主義的な作曲家は、ソ連のマスメディアで形式主義者として非難された。スターリンが死去した1953年以降、ようやく音楽への検閲が少し緩和された。 西側諸国で開発されたさまざまな技術と電子楽器の使用が許可された1960年代と1970年代
ロシアの音楽をこれほど愛し、ボリショイ劇場やマリインスキー劇場の演劇を感動しながら観ることができるのは日本だけだと話すのは、ボリショイ劇場広報担当のカテリナ・ノヴィコワ氏。 ノヴィコワ氏は日本・ロシアフォーラムの参加者となったが、それはボリショイ劇場が日本で公演しようとしているからではなく、ノヴィコワ氏が日本語を知っていて、日本に1年ほど住んだ経験があるからだ。日本人はそのさまざまな感覚の中で、自尊心がもっとも発達しているため、日本には一様性や同一信仰がないのだという。 文学研究者のリュドミラ・サラスキナ氏の日本での経験も多くを物語っている。東京外国語大学の亀山郁夫学長がドストエフスキーの「悪霊」を翻訳した際、ドストエフスキー研究者としてサラスキナ氏を東京の記者会見に招待した。サラスキナ氏はその場で、驚くほど正鵠を得た、しかし意外な質問に4時間も答え続け、さらにモスクワに戻った後も、8ヶ月
ダゲスタンのボトリフ村。6000人ほどのボトリフ人のうち、ボトリフ語を話せる人は約200人まで減ってしまった。 =セルゲイ・ピャタコフ/ロシア通信撮影 ロシアの言語は、不可解なロシア人の心と同様、この国の不思議である。 ロシア語自体がまず不思議な現象を生んでいる。ヨーロッパ有数の文学が、記録的な期間で生まれている。西ヨーロッパとは異なる独自の散文が登場してから、最初の発達したモダニズム文学が出版されるまで、わずか100年強しかかかっていないのだ。このわずかな期間には、トルストイやドストエフスキーやチェーホフなどの世界的文豪がいる。英語文学を発達させたアメリカでさえ、これほどのスピードではない。 多数民族の言語は安泰だが ロシア語は出版物が多く、その教育が行われ、外国で関心を持たれているなど、発達している言語であるため、将来は安泰だろう。 同じく安心していいのが、タタール人、バシキール人、
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