【吉田秀和賞(第23回)】アール・ブリュットの唱道者で20世紀フランスを代表する画家のジャン・デュビュッフェはいかにして生まれ、現代美術に架橋したか。あまたの芸術家との交… 評伝 ジャン・デュビュッフェ―アール・ブリュットの探求者 [著]末永照和 ヴェネツィアに次ぐ世界最大級の国際展サンパウロ・ビエンナーレに1961年、フランス代表として招待出品の要請を受けたデュビュッフェはあっさり断った。理由は自国の国家宣伝の道具に自分を利用するなんて、そんな「姑息(こそく)な駆け引き」には乗りたくないというのだ。かつてこのような理由で出品拒否をした作家はいただろうか。 デュビュッフェは西洋文化の価値や伝統、制度の中で作られた芸術を「文化的芸術」と呼び、真の画家をめざす自分は職業的画家であってはならず、「文化的軌道」と無関係に存在する子どもの純粋無垢(むく)な精神と同等の絵こそ「文化的な回路」で描かれた
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