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教育と世代論に関するsoylent_greenのブックマーク (3)

  • 谷間の世代か - Living, Loving, Thinking, Again

    Mixiに「日記キーワードランキング」*1というのがあって、昨日か一昨日か「尾崎豊」が上位にランキングされていて、あれって思ったのだった。命日だったんだ。それも15回忌。 http://d.hatena.ne.jp/eirene/20070425/p1を通じて、『朝日』の「没後15年尾崎はどこへ 消えた反抗心」*2という記事を知った。それは最近の若い衆が「尾崎豊」にあまり共感しなくなったというもの。香山リカのコメントをフィーチャーした部分を引用してみると、 「学生の反応は年を追うごとに悪くなっている」と精神科医の香山リカさん(46)も言う。00年ごろから大学の授業で「卒業」などを聴かせている。当初から「この怒りがどこから来ているか分からない」という意見はあったが、最近はきっぱりと否定的な感想が目立つという。 「周りに迷惑をかけるのは間違い」「大人だって子供のことを思っているのに反発するのは

    谷間の世代か - Living, Loving, Thinking, Again
  • 都立校の統計学 - 偉愚庵亭憮録

    内田樹先生のブログ(←3月31日分のエントリー)に、日比谷高校についての印象的な記述があった。日比谷高校の出身者に限らず、ある時代の都立高校に通った経験を持っている者にとって、心に染みる文章だと思う。 で、失礼ながら、先生のテキストに乗っかる形で、私が通っていた当時の都立高校についてちょっと書いてみたい。 内田先生は、ご自身が通っておられた当時の日比谷高校の「空気」を評して それは、「シティボーイの都会性」と「強烈なエリート意識」と「小市民的なエピキュリズム」に「文学的ミスティフィケーション」をまぶしたようなものだ(書いているだけでうんざりしてくるけれど)。 と、書いておられる(詳しくは、http://blog.tatsuru.com/archives/001639.php をご覧ください)。 この「空気」は、実は、私にもなんとなくわかる。うんざりしてくるところも含めて。 私は、内田先生よ

    都立校の統計学 - 偉愚庵亭憮録
  • 朝日新聞「12歳『いま』を追う」 : ガード下での停車

    2006年01月03日 朝日新聞「12歳『いま』を追う」 1/3、タイトルの連載が始まった。12歳というと、バブル経済が完全に崩壊し、景気回復の糸口の模索が格的に始まったあたりに生まれた年代である。記事ではいくつかのデータと識者のコメントを軸に、欲張らない12歳の姿が描かれている。「失われた10年」の中で育った子供達に対する「老ティーン」という表現が新鮮だ。 私にも年の離れた兄弟がおり、このことを身近な問題として考える立場にあった。兄弟の通う高校は偏差値40台。しかし、実際には少子化の関係で底が抜けている。つまり、上は40台を維持しているが下は30台だか0点だかわからないのである。で、こういった高校だと昔は不良が暴れ回る姿が想像されたものだったと思うが、話を聞く限り兄弟の高校ではそういったものはない。とにかくひたすらやる気がないんである。授業中に単車を乗り回すではなく、寝ている。部活や深

    朝日新聞「12歳『いま』を追う」 : ガード下での停車
    soylent_green
    soylent_green 2006/01/05
    いいねえ。総無気力社会。
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