変わりつづける。学びつづける。新しい自分に出会うための1ページ。
08 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 10 引き続き縁室庵跡です。 ここにとある人物の墓塔があります。 「山遊心安彦命」 生前の名前は島津久敬。 永吉島津家十三代当主ですが、実家は今和泉家です。 当主なので、もちろん菩提寺であった天昌寺跡にも墓塔があります。 しかしなぜか他の歴代当主の墓域外に墓塔が建てられています。 その理由は養子だったからとも言われていますが、他の養子の当主はそのような扱いを受けていません。 どうして久敬がそのような扱いを受けたのか、そして別の墓塔がここにあるのか。 それには深い事情があったのです。 島津久敬は今和泉家十代当主忠剛の次男として生まれました。 妹にはあの天璋院がいます。 久敬は嘉永六年(1853)に永吉家に養子に入り、家
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