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ブックマーク / thir.hatenadiary.org (3)

  • 『絆』再考−−我々はなぜ『絆』という言葉を嫌悪するのか - Thirのノート

    震災から一年がたとうとしている。その中で印象的であったことは、やはり「絆」という言葉が連呼されたことであった。多くの場合、インターネットコミュニティ上で、この「絆」という単語は反発をもたれていた。Twitterにおいても、「何が絆だ」「これは【ほだし】(束縛)のことだ」等々、反発の声が非常に高かったことを覚えている。 では、なぜインターネット上では、これほどまでに「絆」に対するアレルギーが強かったのか。それは、今まさに記述した文章の中にあるのではないか。そう、「アレルギー」だ。 なお、さしあたり稿では、「絆」を「(不特定の)人と人とのつながり」であるとしておく。 昔から存在した「ネットの絆」 そもそもインターネット(不特定多数とのやり取りを行うウェブ上の場所のことを稿ではこのように記載する)とは、「絆」を描くことに長けたメディアであった*1。偉い人はこれを「互酬性が高い」と表現するらし

    『絆』再考−−我々はなぜ『絆』という言葉を嫌悪するのか - Thirのノート
  • Twitterが怖いのはそこだけじゃないぜ - Thirのノート

    少なくとも私にはtwitterは弱者の味方とも、少数派の味方とも思えない。 http://d.hatena.ne.jp/what_a_dude/20100528/1275039006 Twitterに対する批判論が最近また活気づいていますが、僕がTwitterを怖いと思う理由もいくつかございまして。というのも、さんざん言われ続けているので改めて描く必要もないかと思ったのですが、技術面と環境面の両者から論じている記事があまりなかったので補足。 まず、現在のTwitterについてちょっとだけまとめ。Twitterは、いまや一つのネットサービスを超えて、ひとつの巨大なインフラとして我々の前に現前しているように思います。「卒業と同時にmixiに入って終わらない文化祭前夜を過ごす、それがmixiというツールだ」と僕は数年前に書きましたが、Twitterはもはや「終わらないコミュニケーションを楽しむた

    Twitterが怖いのはそこだけじゃないぜ - Thirのノート
  • あのー、それ、普通にいじめなんですけど - Thirのノート

    ニコニコ大会議であった例の件について。例の件について存じない方は、とりあえず「2008-07-04」を読んでくださいな。 いじめの構造 いじめというのは、ある一人の人物を他の大多数の人間が「見下す」ことで、虐める側の人間が「虐める側」としての共通意識・仲間意識を持つものである。つまり、虐める側は虐められる一人の人間を「外部」として定義することで初めて集団性・内部性を保つことに成功するのである。 ここで出てくるのが、「生け贄にされた一人」の問題である。いじめの構造上、彼は彼が有している感情の如何に問わずその集団の外にはじき出されている。いじめについては他にも様々な問題があるが、ひとまず「集団の内部と外部」という構造が見て取れる点だけを、今回は問題としてみる*1。 さて、ここで件のエントリに戻る。 ニコニコ大会議の場合 衝撃を受けた。すごい。すごいことだ。 あまりにも斬新すぎるコミュニケーショ

    あのー、それ、普通にいじめなんですけど - Thirのノート
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