宗教と歴史に関するt-hirosakaのブックマーク (19)

  • 鰐口の方が古い? - Living, Loving, Thinking, Again

    広坂さん曰く、 今年も高尾山へ。 数年前から境内にごてごてしたデコレーション(とってつけたような新造の天狗像など)が目立つようになって私自身は興ざめしている。 これもまた数年前から目につくようになったのが、寺院の堂で柏手を打って参拝する人たち。中年に多い。 高尾山薬王院はもとは神仏習合の修験の寺だが、仏教優位で飯綱大権現を祀ってきたわけだし、明治の神仏分離令の時は真言宗であることを選んだ仏教寺院である。 堂の前では線香も焚いているし、僧侶はお経を読んでいる。 柏手を打っている人たちを観察していると、律義に二礼二拍一礼をしている人が多い。神社拝礼のマナーとして宣伝されているやり方だ。マナーを気にするなら、ここでそれはやめてほしいのだが。 http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20170102/1483296113 寺というか仏前で柏手を打つ人が増えているのか。

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  • 『神道の成立』 - Arisanのノート

    神道の成立 (1979年) (平凡社選書〈64〉) 作者: 高取正男出版社/メーカー: 平凡社発売日: 1979/04メディア: ? クリック: 3回この商品を含むブログ (1件) を見る名著という評判を聞いて読んでみたのだが、なるほど非常に面白いだった。 その独特の文体は読んでいてまだるっこしくはあるのだが、歴史的な文献や柳田国男の論文などの、綿密にして斬新な読解が含まれていて、多くのことを考えさせられる。 書の重要な論点の一つは、呪術(シャーマニズム)的な段階から区別される「宗教としての」神道の成立を、かつて東アジアを席巻した仏教の拡大という現象に対する、一種の(日という地域なりの)反作用として捉えた、国際的でダイナミックな視点である。 それは、中国において同様の反作用として構成された儒教や道教(仏教の到来以前にはシャーマニズム的なものだったことは、それらも同じだろう)の枠組み、

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  • あの頃、原爆より原発の方が怖かった(今も) - Living, Loving, Thinking, Again

    現代オカルトの根源:霊性進化論の光と闇 (ちくま新書) 作者: 大田俊寛出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2013/07/10メディア: 新書この商品を含むブログ (14件) を見る 大田俊寛*1『現代オカルトの根源起源』の最初の部分に曰く、 オウムの教義が切迫した終末思想をその基調としていたことは、広く知られている。オウムが社会に現れた一九八〇年代、世界は、アメリカとソ連という二つの超大国が対峙する冷戦構造下にあった。結果として両国が直接的に戦火を交えることはなかったが、その「代理戦争」と呼びうるものが世界各地で勃発していた。また、来るべき格的な戦争に備え、膨大な量の核兵器が両陣営で生産・備蓄されていた。今となっては多分に忘却されているが、世界はいずれ「第三次世界大戦」に突入する可能性が高いのが、当時の人々の共通認識だったのである。(pp.10-11)国際的にも国内的にも、「一九八

  • BLOGOS サービス終了のお知らせ

    平素は株式会社ライブドアのサービスを ご利用いただきありがとうございます。 提言型ニュースサイト「BLOGOS」は、 2022年5月31日をもちまして、 サービスの提供を終了いたしました。 一部のオリジナル記事につきましては、 livedoorニュース内の 「BLOGOSの記事一覧」からご覧いただけます。 長らくご利用いただき、ありがとうございました。 サービス終了に関するお問い合わせは、 下記までお願いいたします。 お問い合わせ

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  • 『出口なお』 - Arisanのノート

    出口なお (朝日選書) 作者: 安丸良夫出版社/メーカー: 朝日新聞社発売日: 1987/05メディア: 単行 クリック: 8回この商品を含むブログ (1件) を見る 大教の開祖にあたる出口なおは、江戸時代の終わりに生まれた人だが、想像を絶するような貧困と忍従の人生を送った末に、神が身体に降りてきて予言の言葉を語るという「神がかり」によって宗教を開くことになった。 書の重要な論点のひとつは、なおの苦難の人生体験と、その宗教の内容・性格とがつながっているものだ、ということである。 大教が終末観的変革願望をもっともよく体現しえたという事実は、民衆宗教の教祖のなかでも、大教の開祖出口なおの生活史がとりわけ救いのないすさまじいものだったという事実に、照応するものである。(p10) 著者、安丸良夫は、そこに幕末から明治にかけての急速な近代化の過程に対する、最も虐げられた境遇の民衆(とりわけ

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  • 歴史探偵、靖国神社に電凸する - 法華狼の日記

    ダイヤモンド社から2006年12月14日に出版された『愛国者の条件』。元『文藝春秋』編集長で作家で歴史探偵な半藤一利氏と、大和ミュージアム館長の戸高一成氏の共著。二人がまず巻頭で対談し、残りの章を交互に執筆するという形式。保守派から軍国主義や愛国教育、『美しい国』へ苦言を呈するという内容が、なかなかひねくれていて面白い。 そして半藤一利氏が担当する第一章では、「分祀は教義上も可能なはず」という小見出しがある。 分祀が可能とする根拠として、半藤氏は興味深い話を紹介してくれた*1。 以前、靖国神社に電話をかけて、こう尋ねてみたことがあります。 「失礼なことをお伺いしますが、戦後復員された横井庄一さんと小野田寛郎さん。きっと一度お祀りされたと思うのですが、復員された後はどうなったのでしょうか?」 すると相手も「えっ?」と驚いたのですが、調べていただいたところ、名簿から剥がしましたと言うんですね(

    歴史探偵、靖国神社に電凸する - 法華狼の日記
    t-hirosaka
    t-hirosaka 2014/01/19
    あっ!
  • 釈迦の生誕年が早まる可能性も、ネパールの遺跡で新発見

    ネパールのルンビニ(Lumbini)にあるマヤデビ(Maya Devi)寺院で、釈迦(しゃか)が生まれたとされる場所の地下壁を前にして瞑想する巡礼者たち(撮影日不明、資料写真)。(c)AFP/NATIONAL GEOGRAPHIC/IRA BLOCK 【11月26日 AFP】インドとの国境に近いネパール南部のルンビニ(Lumbini)で、仏教の開祖である釈迦(しゃか)が生まれたとされる場所で木造建築物の痕跡が新たに見つかった。これは紀元前6世紀頃のものとみられ、考えられていたより2世紀も早く釈迦が生きていたことを示す証拠であるかもしれないという。考古学者らが25日に発表した。 古代の宗教的な木造建築物と考えられたこの遺構は、仏教徒にとって非常に重要な寺院であるマヤデビ(Maya Devi)寺院の敷地内で発見された。 レンガ造りのマヤデビ寺院とデザインの面では似ているものの、この遺構には何も

    釈迦の生誕年が早まる可能性も、ネパールの遺跡で新発見
  • 47NEWS(よんななニュース)

    走れ「トライバイク」!オランダ製子ども向け自転車、販路拡大へ 新潟柏崎市の事業者が「蔦屋書店」運営会社と連携、目指すは“仕事のバリアフリー化”

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  • キリストの発言記したパピルス片発見、「私の妻は」の記載 (CNN.co.jp) - Yahoo!ニュース

    (CNN) 米ハーバード大学の研究者が18日、イタリア・ローマで開かれた学会で、キリストのについての発言を記載した古いパピルス片が見つかったと発表した。 発表を行ったのはハーバード大学神学校のカレン・キング教授。パピルスの紙片は縦3.8センチ横7.6センチほどの大きさで、エジプトのキリスト教徒が使うコプト語の文字が書かれている。この中に、「キリストは彼らに向かい、『私のが…』と発言した」と記された一節があった。 紙片は個人の収集家が所蔵していたもので、2011年にハーバード大学に持ち込まれ、キング教授が調べていた。ニューヨーク大学の専門家に鑑定を依頼した結果、物のパピルスであることが確認されたという。 キング教授によると、内容はキリストと弟子との対話を記録したものとみられ、2世紀半ばごろに書かれたとみられる。表裏の両面に文字が書かれており、書物の1ページだった可能性もあるという

  • 広島原爆慰霊碑と天道思想 大橋健二『神話の壊滅 大塩平八郎と天道思想』より - ひじる日々

    大橋健二『神話の壊滅 大塩平八郎と天道思想』勉誠出版,2005を読んでいる。 神話の壊滅―大塩平八郎と天道思想 作者: 大橋健二出版社/メーカー: 勉誠出版発売日: 2005/11メディア: 単行 クリック: 1回この商品を含むブログ (1件) を見る 同著の序章には、日における天道思想と災害・戦争天罰論の関わりについて詳しい記述があった。永井荷風や内村鑑三と並んで、晩年の森嶋通夫が日の経済的停滞について呪詛のごとき「天罰」発言を行なっていたことも紹介されており、愕然とした。 昨年はもっぱら仏教サイドから論じてきたけれど、日における天道思想と天罰という問題は根が深いようだ。著者の大橋氏が311後の震災天罰説について、どんなコメントしてたか興味がある。 同著の序章には、いろいろ批判の絶えない広島原爆慰霊碑の文について、日人に深く内面化されたという「天道思想」から論じた一節がある。神

    広島原爆慰霊碑と天道思想 大橋健二『神話の壊滅 大塩平八郎と天道思想』より - ひじる日々
  • 夏休み - てぃーえすのメモ帳

    六月己酉、初令伏閉盡日。 【注】 漢官舊儀曰「伏日萬鬼行、故盡日閉、不干它事。」 (『後漢書』紀第四、和帝紀、永元六年) 伏日は陽の気が強い真夏の酷暑の頃がどうたらこうたらでとにかくとっても暑い時期。 後漢和帝の時、そんな伏日に「お外はモンスターがうようよしてる日だから」ということで一日ひきこもって何もしないように決めたのだそうだ。 夏休み的なものなのか? まあ物忌みの一種だかろうから、そんないいモノじゃないと思うけど。

    夏休み - てぃーえすのメモ帳
    t-hirosaka
    t-hirosaka 2012/04/06
    「伏日萬鬼行、故盡日閉、不干它事。」
  • ケガレについて - heuristic ways

    NHKの大河ドラマ『平清盛』第一回で、盗賊を討伐した平忠盛(中井貴一)らが、血と泥にまみれた姿で京の町を意気揚々と凱旋しているとき、輿に乗った公卿の藤原忠実(國村隼)一行が通りかかり、「血で汚れた姿で都を歩くな」と冷たく言い放つ場面があった。 川尻秋生氏は、『平安京遷都』で、「武士とは一種の殺し屋でありながら、武力を必要とした都の人々に、眉をひそめられながらも用いられた必要悪であったといえるだろう」と言っているが、この当時の武士は盗賊の討伐といった「汚れ仕事」の担い手として、半ば蔑視されていたということだろう。 川尻氏は、平安時代はケガレの観念が広がった時代であり、たとえば「天長七(八三〇)年に施行された『弘仁式』では、人間や家畜の死のケガレ、肉、弔問・病気見舞いのケガレなどが規定されている」という。そしてその後の『貞観式』(八七一年)では『弘仁式』より項目が増え、「ケガレの伝染について

  • 三内丸山遺跡:踊る呪術師の姿 縄文中期の土器片に - 毎日jp(毎日新聞)

    青森市にある国特別史跡「三内丸山遺跡」で出土した縄文時代中期(4300年前)の土器片から、人が踊る姿を描いたとみられる絵が見つかった。青森県文化財保護課が8日発表した。専門家は、シャーマン(呪術師)を描いた国内最古級の出土品の可能性があると指摘している。 同課によると、この土器片の大きさは縦約8センチ、横約6センチ。絵は羽根飾りを頭につけ、道具を手に踊るような姿。縦約4センチ、幅約3センチで、直径1ミリほどの棒のようなもので刻み付けたとみている。人を描いた縄文土器はまれで、動きのある表現も珍しいという。 この土器片は93年、遺跡中央の盛り土から発掘されていたが、職員が先月、人物が描かれているのを見つけた。同遺跡発掘調査委員会の岡村道雄委員長は「祭具を持ったシャーマンが祈り、踊る姿と推測され、貴重な発見だ」と話している。 土器片は9日~11月20日、遺跡に隣接する展示施設「縄文時遊館」で公開

  • 始皇帝の像 - てぃーえすのメモ帳

    (王)朗家傳曰、會稽舊祀秦始皇、刻木為像、與夏禹同廟。朗到官、以為無徳之君、不應見祀、於是除之。居郡四年、惠愛在民。 (『三国志』王朗伝注) 三国時代、魏の王朗の家伝によれば、王朗が後漢末に会稽太守になった頃、会稽では秦の始皇帝の像を夏の禹王と一緒に祀っていたのだという。 王朗は始皇帝は徳の無い君主だから祀る対象にすべきでないと堅いことを言い、その祭祀を止めさせた。 曹操の城陽景王の話に似ているが、注目すべきは祭祀をやめさせる理由だ。 始皇帝は「無徳」なので祭祀の対象にふさわしくないということらしい。 始皇帝を当時の知識人がどう見ていたのか、それとローカル祭祀について同じくどう思っていたのか、これらについて考えさせる話である。 ちなみに曹操の例では城陽景王の祭祀が民より収奪する道具と化していたために禁止した、ということになっているようで、理由が王朗の方とは違っている。 曹操は城陽景王の祭祀

    始皇帝の像 - てぃーえすのメモ帳
  • 空海『三教指帰』における始祖論争? - 三国与太噺 season3

    以下は加藤純隆『口語訳三教指帰』を参考、また引用をさせていただいております。 というわけでコイツを見てくれ。 コレを見てどう思う? 【文書き下ろし】 儒童・迦葉は並びに是れ吾が朋なり。汝が冥昧を愍れんで、吾が師先ず遣わす。然れども、機の劣なるに依って、浅く二儀の膚を示し、未だ十世の理を談ぜず。而るに各々殊なる途を執って、争って旗鼓を挙ぐ。豈に迷えるにあらずや 【文訳】 (或る書によれば)儒童と迦葉の二人は共に私たち仏弟子の仲間なのです。人々の冥昧な時代に之を憐れみ、仏陀はまずこの二人を(中国へ)遣わされました。しかし深い真理を受け納める機根がまだ育っていないのを見て、(儒童をして孔子と生ませて儒教を伝えさせ、迦葉をして老子となって道教を伝えさせて)まず天地・陰陽についての表面の真理を説き示させました。ここには未だ(無限の過去から永劫の未来にわたる)十世の道理については、全く言及していま

    空海『三教指帰』における始祖論争? - 三国与太噺 season3
  • 顕密体制論理解のために - 我が九条

    中世における「社会的意識諸形態」を理解するための概念が顕密体制論である。「社会的意識諸形態」とは、イデオロギーと記せば分かりやすいだろう。イデオロギーとは階級的な利害に基づいて支配階級を正当化するためのものである。 そのことを頭において郷和人氏の顕密体制論に対する見解をみてみよう。 仏教はそもそも何のためにあるのだろうか。国を鎮護するため?天皇や貴族に日々の安寧をもたらすため? 非常にイデオロギーとしての顕密仏教の特質を押さえた議論である。中世の「実在(ザイン)」においてはまさにそうなのだ。「ザイン」に注目する限り、仏教は鎮護国家のために存在するのであり、王法と仏法は相依相即なのである。そして概念としてもイデオロギーとは階級的な利害に基づいて支配階級を正当化するためにある。支配階級との関係で言えば、それが顕密仏教の正統である。顕密仏教の正統に位置づけられるのが、国家鎮護と王法仏法相依

    顕密体制論理解のために - 我が九条
  • ピオ12世、「尊者」に - Apeman’s diary

    における「靖国神社」とある意味で似た問題がヨーロッパにもある、ということ。 asahi.com 2010年1月6日 「ローマ法王、政治は苦手? 「尊者」認定でユダヤ人反発」(魚拓1ページ目、2ページ目) (……) ローマ法王庁(バチカン)は昨年12月19日、前法王ヨハネ・パウロ2世と第2次大戦中の法王ピオ12世を「尊者」とすることを決めた。今後「福者」を経て、カトリック最高の崇敬対象である「聖人」に列する手続きを開始したことを意味している。 ピオ12世(在位1939〜58年)は、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺(ホロコースト)を明確に批判せず黙認したとされていることから、各国のユダヤ系団体が一斉に反発。独ユダヤ人協会は「(尊者決定は)現段階では早すぎる」との声明を発表。「ベネディクト16世に失望した」(米ユダヤ委員会)、「バチカンと仏のユダヤ人社会の関係に打撃を与えた」(仏ユダヤ人団体

    ピオ12世、「尊者」に - Apeman’s diary
  • 三皇 祝融(しゅくゆう)

  • 三皇五帝関連人物 - 祝融

    しゅくゆう その姿は「獣身人面(『山海経』海外南経)」とも言われ、火の神とされる。 三皇五帝伝説ではしばしば名前が見え、山東省・嘉祥県で発見された後漢時代の画像石では伏羲・神農と並んで三皇の一人に上げられている。 だが、その他の記録などでは今一つ個性の感じられない脇役にされてしまっていることが多い。 ・南方の神 『山海経』や『淮南子』などでは、祝融は南方を司る方位神とされている。 南方は祝融、獣身人面、双竜に乗る。 (『山海経』海外南経) 南方の極は、北戸孫国の外から、顓頊国をとおって、南のかた委火炎風の野に達する。そこは赤帝の帝と祝融の神が司宰していて、一万二千里のひろさである。 (『淮南子』時則訓) 祝融を南方に配置するのは、木・火・土・金・水を東・南・中央・西・北に配する五行思想の影響だろうか。 また、『淮南子』天文訓にある、 南方は、火である。その帝は炎帝、その

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