攻略サイトの遺伝のパターンを読んでいるうちに、高校から院生までの遺伝学の思い出が蘇ってきました。生物学者になって基礎研究がしたい、と考えていた高校時代、メンデル遺伝を楽しく勉強したことを覚えています。 私は大学院生までショウジョウバエの神経遺伝学を研究していましたが、基礎研究者への道を断念し、今は昆虫食の専門家としてラオスを拠点に、昆虫を養殖し食べる活動を続けてきました。3月のラオス国境封鎖に伴い、日本に緊急帰国していたタイミングであつ森の遺伝の話が流れてきたのです。 しかし疑問が残ります。私のような遺伝学とともに青春を過ごした人間は世界中にほとんどいません。万人向けゲームの世界中のプレーヤーにとって、一生のうちにまず触れることのないメンデル遺伝をなぜ、あえてゲーム内に実装したのか。 あつ森、生物学のリサーチがヤバい。明らかに深くわかっている人が専業でやらないとできないことが実装されている
こんにちは、みなさん。 今回は「漢字の成り立ち」について小話したいと思います。 一【この章の要旨:本やインターネットで扱われている「漢字の成り立ち」は残念ながら誤りがほとんどってハナシ】 みなさんは日本語を綴るとき必ず漢字をつかっていることでしょう。漢字は日本の生活上欠かすことのできない存在であり、したがって人々の漢字に対する関心もそれなりに高いと思われます。 中型以上の規模の書店であれば漢字関連書籍をまとめた棚があり、漢字字典・漢和辞典だけでなく四字熟語がどうとか、難読漢字がどうとか、使い分けがどうとか、漢検がどうとか、まあいろんなジャンルのいろんな本を見ることができます。その中でいわゆる「漢字の成り立ち」的なことに関連した本もまた一定以上見られます。 こうした本において、作者の自己紹介や序文・後記を見てみると、過去に漢字を研究したことはなく、漢字に関連した仕事もしたことがないということ
必要があって様式(style)という概念について多少勉強したのでメモ代わりにまとめておきます。「様式」(文学だと「文体」)という言葉を問題にしたいわけではなく、芸術学まわりで頻出するあの概念の中身を問題にします*。具体的には、「ロマネスク様式」や「定朝様」や「8bitスタイル」などと言われる場合のそれです。 学部生時分の自分が読んだらためになったであろう内容を意図して書いてます。注は詳しく知りたい人向け。 文献 目を通した文献は以下*。 Elkins, J. 2003. “Style.” Grove Art Online. https://doi.org/10.1093/gao/9781884446054.article.T082129. Gombrich, E. H. (1968) 2009. “Style.” In The Art of Art History, 2nd ed., ed
はじめに行動主義はJ.B.Watsonが最初に提唱した心理学の哲学だ。この哲学は、現代では下火のように見なされてたり、あるいは棄却すべき対立仮説のように扱われることが多い。 しかし、実際には認知心理学者、あるいは認知科学者が槍玉にあげる行動主義は、誤解に基づくものか、そうでなくても「その行動主義を自称している行動主義者は現代にはいないよ」と言わざるをえないような藁人形論法であることが少なくない。 そこで、行動主義の誕生から現代的な展開までの歴史について、ごくごく簡単にまとめてみようと思う。 Watson の行動主義行動主義は、Watson が 1913 年に提唱した。 Watson の基本的な主張は、ご存知の通り「心理学の対象を客観的に観察可能な行動に限る」というものだ。 当時の心理学は Wundt の提唱した「内観法」を用いて人間の持つ「観念連合」を記述する、というものであった (余談だ
久々にビッグな研究不正のニュースktkr! ということでキリスト教思想史研究やってた人が研究不正で懲戒解雇された件について、報告書に目を通した上でちょっと書きます。 今回調査委員会が被告発者に求めたのは、以下の項目でした。 カール・レーフラーの実在を証明する一次資料の写しと説明文書カール・レーフラーの論文「今日の神学にとってのニーチェ」の実在を証明する一次資料の写しと説明文書トレルチ家に属する借用書や領収書等の実在を証明する一次資料の写しと説明文書この「写し」というのはどういうことでしょうか? 資料そのものを調査委員会が求めなかったのはどういうわけでしょうか? 歴史学者にとっては常識なのですが、他の分野の人にとってはどうかわからないので、解説してみます。 そもそも文系はどんな材料を使って研究してるのかこれは人というか研究分野によるので、安易なことは言えません。文学と哲学と社会学と人類学と歴
『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年11月11日(日)22時39分52秒 小出しにする理由もないので、続きも全部引用してみます。(p197以下) ------- レーフラーも、ニーチェのキリスト教批判がその矛先を向けているのは、カントの影響を受け、神を実践理性の要請として理解し、キリストの神性は宗教的な価値判断であると考えたリッチュル学派、とりわけヴィルヘルム・ヘルマン的なキリスト教の再構築にあると見ている。そこでは既に述べた通り、人間の意志が行う価値評価がキリスト教信仰の生みの母であると理解されているので、リッチュル学派はニーチェのキリスト教批判に対して完全に無防備であり、逆にこの神学に対してはニーチェのあらゆる価値の転倒というプログラムは完全な破壊力を持っていたとい
佐藤弥 こころの未来研究センター特定准教授らの研究グループは、日本人65人を対象として、表情の表出を調べ、日本人の表情が心理学研究において著名なエクマン博士の理論とは異なることを実証しました。 表情は感情を表すメディアで、人のコミュニケーションに不可欠です。エクマンは、感情を表す普遍的な表情があるという理論を提案しました。理論は、観察や直感に基づいていましたが、基本感情の表情表出を実証的に調べた先行研究は、この理論を部分的にしか支持していませんでした。さらに、そうした研究は今まで、西洋文化圏でしか実施されていませんでした。 本研究では、被験者は基本6感情(怒り・嫌悪・恐怖・喜び・悲しみ・驚き)のシナリオに基づいて表情を表出しました。その結果、写真条件ではターゲットの感情が明確に表出されましたが、シナリオ条件では幸福と驚きの条件でしかターゲット感情ははっきりと表出されませんでした。さらに、写
何を業績とカウントするのかというのは、博士号持った人でも他の分野について全然知らないということは普通にあり得るので、ある分野における業績の考え方について分野外の人が知らないのは当然のこととみなさないといけない。現役のみなさま、特に一定以上のポストについて方々は情報発信していくべき事柄だと思う。 たとえば、情報系の例(なお、2018年現在だと機械学習や深層学習は状況が変わっている)。 情報科学における一流国際会議とは、世界的に質の高い投稿論文を集め、それらを3名程度の一流研究者によってジャーナル論文並みに厳格に査読し、とりわけ高品質の論文を厳選して採択する会議を指すことがほとんどである。しかし、情報科学以外で活躍する研究者と話をしていて、情報科学の一流国際会議に漸く採択された話をすると、決まって怪訝な顔をされる。情報科学以外のほとんどの分野では、NatureやScienceに代表される一流ジ
心が折れたので消しまーす. なんで折れたかっていうとtwitterで良識派の人に「非常に良質なまとめ」とかいって紹介されてたからでーす. 私は別増田との一連の会話の中でこの増田を書きました.当然ですが一連の会話で色んな論点が出てきていたので,この増田はあくまでそれらの会話を読んだことを前提として,それらの会話の中で触れていない論点に対して,別増田の疑問に応えるかたちで述べたものに過ぎません. トラバツリーをちょっと辿るだけでそんなのはわかったはず. それなのに,あの論点に触れられてない結局この論点はどうなっているんだその疑問に答えてないぞとかブコメでわめく人たちに本当に心を削られました.前の記事でとっくに答えたはずの疑問を何度も蒸し返す人たちに本当に疲れました.そしてこれを良質な「まとめ」と呼んで褒めそやす人たちが最後の一押しになりました.一連の流れをきちんと読まない人たちに読まれても・評
[Noah Smith, “Vast literatures as mud moats,” Noahpinion, May 16, 2017] どういうわけか,学術文献はよく「膨大な」と言われる(このフレーズは1世紀以上もさかのぼる).ただ,どんな話題について語っていようと,どうやらきまって誰かがひょっこりやってきてわざわざこう教えてくれるようだ――「その話題については,すでに「膨大な文献」がありましてね.」 このフレーズは,議論を打ち切る役目を果たしていることが多い.「膨大な文献がありますよ」ということは,ようするに,なにごとかについて語る前に,その話題についていろんな人たちがこれまでに書いてきたとてつもない分量の文章を読んでこなくちゃいけないと要求されているわけだ.膨大な文献を読み通すとなればそれはもう何時間もかかるのだから,この言い分は相当な時間と労力を要求していることになる.その膨
岡山大学大学院環境生命科学研究科(農)の福田宏准教授は、欧米の古文献を再調査した結果、日本では食用として広く知られている貝類のサザエが、これまで有効な学名をもたず、事実上の新種として扱われるべきであることを解明し、サザエの学名を新たに「Turbo sazae Fukuda, 2017」と命名しました。本研究成果は5月16日、日豪共同刊行の軟体動物学雑誌「 Molluscan Research 」電子版に公表されました。 サザエは、日本ではアサリやシジミと並んで最もよく知られた貝類であり、国民的アニメーションの主人公の名前にもなっています。しかしそのような種ですら、我々人類はアイデンティティを正しく把握できていなかったのです。このことは、生物の種の正確な識別と同定がいかに困難であるかを示す一端として示唆的です。 <本研究成果のポイント>○ 地球上に存在するあらゆる動物の種のうち、学名のない種
ちょうど一年ほど前に、別冊『環』がジェイン・ジェイコブズの特集本を作るというので、寄稿した。 ジェイン・ジェイコブズの世界 1916-2006 〔別冊『環』22〕 作者: 塩沢由典,玉川英則,中村仁,細谷祐二,宮崎洋司,山本俊哉出版社/メーカー: 藤原書店発売日: 2016/05/26メディア: 単行本この商品を含むブログ (1件) を見る この本の企画をきかされたとき、どんな本になるかはだいたい想像がついて、まあほぼその予想通りだった。いろんな分野の専門家が、自分なりの専門分野からジェイコブズについてあれこれ語る――それは決して悪いことではないし、その意味でこの本も、悪いものではない。 が、すっごくよいものでもない。『アメリカ大都市の死と生』解説でも書いた通り、ジェイコブズの価値は、そういう専門分野を無視したところにあるからだ。各種専門家の意見の寄せ集めでは、たぶん不十分だ。さらに、ジェ
Posted by Joseph Heath 先週のエントリでは,現代の大学界隈に見られる多種多様なふるまいをジャーナリストたちがひとしなみに「ポリティカル・コレクトネス」の一語でくくってしまいがちだとぼやきました。「古典的な」ポリティカル・コレクトネス-たとえば言葉狩り-の問題はすっかり廃れているのですが、それとは別の困った傾向が潮流として存在することを述べたのです。今週はその続きとして、私たち(物事を分類するのが大好きなのです)が「規範的な社会学(normative sociology)」と呼んでいる、やはり少々問題がある慣習について書こうと思います。 この「規範的な社会学」というコンセプトの由来は、ロバート・ノージックが「アナーキー・国家・ユートピア」の中で軽い調子で書いたジョークです。「規範的社会学、つまり『何が問題を引き起こしている”べき”なのか』、の学問がわれわれ全員を魅了する
William A. Anders, the astronaut behind perhaps the single most iconic photo of our planet, has died at the age of 90. On Friday morning, Anders was piloting a small…
[Noah Smith, “The collapsing math genius gender gap,” Noahpinion, November 2, 2016] Allison Schrager, Andy McAfee その他経由のネタ.SATスコア上位層の性別格差のグラフだ: 【7年生の数学SATスコアにおける男女比率】 見てのとおり,比率はぜんぶの水準で下向きに推移しているけれど,とくに最上位 0.01% の層(正規分布を想定すると総合スコア分布のだいたい 3.7標準偏差)では,かなり劇的な格差縮小が起きている.ロナルド・レーガンが大統領になった頃,女子は成績最優秀者の 7% しか占めていなかった.でも,ビル・クリントンが就任する頃には,20% になっていた.オバマ再選の頃には,29% だった. カギとなる情報は,現在の性別格差じゃなくて,最近の変化率だ.この種の急速な変化が起
「新型うつ」と呼ばれるものが、20代から30代の若手社員を中心に増えていると言われています。「新型うつ」の特徴はいくつか挙げられています。 たとえば、気分が沈み出社できないが、プライベートでは遊びに出かけているというもの。仕事でうまくいかないことがあると、上司や同僚の責任にするなど他罰的な傾向があるといったものです。「新型うつ」は「現代型うつ」と呼ばれることもあります。 まず、指摘しておきたいのは、「新型うつ」という言葉や概念は、病名や診断名といった医学の専門用語ではないことです。2007年ごろからメディアを中心に広まった言葉で、精神科医の香山リカさんが使い始めてから広がっていきました。 「増加する新型うつ」といったようなことが言われますが、「新型うつ」の増加を示す調査はありません。病名でも診断名でもないわけですから、調査がされたことがありません。また、この言葉は日本独自のもので、海外では
ご質問ありがとうございます。最近また文系の学問が役に立つかどうか話が盛り上がっていますね。だいたい話題は出尽くしていると思うのに何度も盛り上がっては同じ意見を言い合って終わるというのは、それだけテーマ自体がいろいろな人の心の琴線に触れる部分があるのでしょうね。今回は文部科学省の通知という呼び水があったのも大きいでしょうが、しかし通知の本文を読んで議論してらっしゃる方はどのくらいいるのでしょうね。 それはともかく、「人文学は必要か」「人文学はなぜ必要か」といった問いは、近似としてもおおざっぱすぎです。 まず、必要性が問われているものが「人文学そのもの」なのか「大学における人文学教育」なのか「大学における人文学研究」なのか「大学における人文学研究者の雇用」なのか、さらにその上に「日本における」がつくのかつかないのか、あとは大学といっても国立大学に限定するのかしないのかも、議論の流れによっては影
・・・あるいは、「お前何やってんの?」 「科学哲学」というあまり耳慣れない学問を専門にしてると、「それって何を研究する学問なんでしょうか?」と良く聞かれます。そのときはとりあえず、「科学を理解するための学問です」と答えることにしてます。でもたいていこれでは納得してくれません。「科学を理解する」ってどういうこと?そもそも科学自体が何かの理解なんじゃないの? でもこの曖昧さって何も科学哲学に限った話じゃないですよね。「生物学とは生物を理解するための学問です」と言われたら、最初は「ああ、そうか」と頷くけど、でもよく考えてみればこの答えも今ひとつ曖昧。生物の「何を」理解するの?また何をもって「理解した」と言えるの?一口に「生物を理解する」といっても沢山の仕方がありますよね。庭を這ってるダンゴムシをみつけて、「こいつはどんな仕組みで動いているんだ」と考えるのも一つ。あるいは「いったいぜんたい、無機物
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