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ブックマーク / museum.kirinholdings.com (2)

  • 1956年女性の飲酒に対する意識の変化|酒・飲料の歴史|キリン歴史ミュージアム

    戦後、女性の飲酒に対する意識は変わりつつあった。終戦から約10年がたった1956(昭和31)年、「ビール需要についての世論調査」では、次のような調査結果が出ている。 婦人がビールを飲むことについて(全国平均) 飲まぬ方がよい 25.4% 飲んでもよい 57.9% わからない 16.6% 全国平均で50%以上の人々が、「女性がビールを飲んでもよい」とし、さらに都市部の人々の70%以上は女性の飲酒賛成派であった。明治・大正期、女性解放運動に従事した平塚らいてうらがバーやビアホールに出かけて飲酒した際、「良賢母の理念にそぐわない」と批判されたことを考えると、戦後、女性の飲酒に対する社会的偏見は急速になくなっていったといえる。 また、同年の『朝日新聞』(1956年6月7日付)では、「ビヤホールの客五人のうち一人は女性になり」と、女性客が増え、「農家にはダース箱が持込まれているなど、ビールはすっか

    1956年女性の飲酒に対する意識の変化|酒・飲料の歴史|キリン歴史ミュージアム
  • 1947年自由販売の特別価格酒が発売|酒・飲料の歴史|キリン歴史ミュージアム

    終戦後の1947(昭和22)年12月、自由販売の特別価格酒が発売され、ビールは1100円で販売された。『大阪焼跡闇市』によると、当時の様子は次のように述べられている。 「この暮れ、正月用の酒の特別配給は中止と決まり、左党はにがりきったが、代わって特価酒が自由販売されると知って安堵した。ところが、ビール1100円、清酒一級一升が550円と特別価格がつけられた。配給価格でそれぞれ40円、250円のものがである。配給をやめ、高い酒を買わせる。(中略)その高値に溜息をつきながらも、酒屋の前には行列ができた」(『大阪焼跡闇市』) 戦後、大阪でビールや酒の配給はめったになかったが、それでも年末には正月用として酒5合かビール2くらいが特別に家庭に配給されて庶民を喜ばせていた。しかし、この特別配給が廃止されてしまい、庶民はやむなく高い酒を求めて酒屋の店先に行列をつくったのである。 しかし、一方で久し

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