私たちは、人間は死すべき者だということを 知ってはいますが、自分の問題として考えてはいません。 死ぬのは他人が先であって、 自分はまだまだ死なないと思っています。 そして実際には自分もいつ死ぬか分からないのに、 死を「他人の死」と解釈して 自分から死を隠していると 二十世紀最大の哲学者の一人、 ハイデガーは言っています。 あれこれの近親者や遠縁の人が「死ぬ」。見知らぬ人々ならば、毎日、毎時間、「死んでいく」。「死」は、世界の内部で起こる当り前の出来事である。…そして世間はまた、この出来事にそなえてすでに一つの解釈を用意している。死について口にだして、あるいはたいていは言葉をはばかるようにして世間が漏らす話の趣旨は、《人はいつかはきっと死ぬ、しかし当分は自分の番ではない》ということなのである。……このような話の中で、死は漠然とやがてどこかからやってくるに違いない何かあるものとして、しかし当分