7日に発表が始まるノーベル賞の自然科学系3賞について、過去の受賞者の出身地を集計したところ、2023年時点で米国が最多の209人を輩出している。1950年代を境に欧州から米国にノーベル賞受賞の主役が変わった。日本は2000年代に入ってから受賞ラッシュが続き、5位に浮上している。受賞者がどの国の研究者かは①出生地②国籍や市民権③所属研究機関――などいくつかの属性で分類できる。ただ二重国籍者や複数
日本人で3人目となるノーベル医学生理学賞の受賞が決まった大村智さん(80)が長く仕事をしてきた北里研究所と北里大学は、世界的な細菌学者・北里柴三郎(1853~1931)に由来する。北里は「日本の細菌学の父」と呼ばれ、第1回ノーベル医学生理学賞の候補だったが、受賞を逃した。大村さんの今回の受賞で、1世紀越しの悲願が果たされた。 「北里柴三郎博士が第1回の候補。そのときは残念ながら無念の涙をのみましたが、1世紀をこえて大村博士がその栄誉あるノーベル賞を受賞されますことは、非常に感慨深い」。5日夜、受賞決定を受けた大村さんの記者会見の冒頭で、北里研究所の藤井清孝理事長は、まず創始者の名前を挙げた。大村さんも「尊敬する科学者の一人。北里先生の『実学の精神』を若い人に伝えたい」と述べた。 北里は熊本県生まれ。ドイツへ留学し、ロベルト・コッホのもとで破傷風菌の純粋培養に成功した。また、破傷風菌の毒素を
スウェーデン・ストックホルムで行われた2014年のノーベル賞授賞式(2014年12月10日撮影)。(c)AFP/JONATHAN NACKSTRAND 【10月5日 AFP】ノーベル賞(Nobel Prize)といえば、人類にとって有益で革新的な研究に対して贈られる賞だと思うものだが、化学兵器や強力な殺虫剤のDDT、ロボトミー(前頭葉切断術)など、まったく非人間的な発明にも贈られてきた。 ノーベル賞をめぐる論争は長年の間に数多くある。賞からもれた作家の異議や自分の発明の方が早かったと主張する科学者、世論が分かれる平和賞などは一例だ。中でも、科学賞を受賞した研究の一部には、後から見れば選考委員会の恥辱と思えるようなものもある。 ■「化学兵器の父」 2013年には、化学兵器禁止機関(Organisation for the Prohibition of Chemical Weapons、OPC
ことしのノーベル物理学賞の受賞が決まった梶田隆章さんが取り組んだ「ニュートリノ」の研究の背景には、平成14年にノーベル賞を受賞した小柴昌俊さんのほか、7年前に亡くなった戸塚洋二さんという恩師の功績があります。 ここでの研究により、小柴さんは昭和62年、星の大爆発で発生したニュートリノを捉えることに世界で初めて成功します。 その研究を受け継いだのが、梶田さんの恩師、戸塚さんでした。 戸塚さんは平成10年、「カミオカンデ」の規模を大きくした「スーパーカミオカンデ」で、ニュートリノに質量がある証拠になる現象を世界で初めて捉えます。 この成果は、ニュートリノには質量がないとしてきたこれまでの素粒子物理学の定説を覆すもので、戸塚さんが小柴さんに続いてノーベル物理学賞を受賞することへの期待が高まりました。 しかし、戸塚さんは平成20年にがんで亡くなってしまいます。 それから7年たったことし、梶田さんの
「毎年2億人以上を感染症から救う」といわれる日本人は、医師ではない。有機化学者大村智が静岡県の土中の微生物から開発したわずか3ミリの錠剤は、感染症予防に絶大な効力を発揮。医師でも難しい偉業を成し遂げた。経歴は異色で、東京の定時制教員からスタートしながら、「ノーベル賞候補」に名前があがった。2015年、ノーベル医学・生理学賞を受賞。「人のまねをするな」。人生を貫く深い信念がある。 アフリカの奥地に届く「奇跡の薬」 アフリカの田舎の、さらに奥地。医師のいない集落にも、その薬は届いている。「この薬を1回、飲んでください」。集落の代表者が住民一人一人に薬を配り、失明を引きおこすオンコセルカ感染症を防ぐ。病気を防ぐだけでなく、現地の人がより働けるようになり、食糧増産など経済効果も大きいという。 「薬を飲ませる」作業は、簡単ではない。現地は言語が多様で、薬の適切な服用量を測るうえで必要な体重計すらない
青色LEDの開発に成功した業績が認められ、ノーベル物理学賞の受賞が決まった名古屋大学大学院教授の天野浩さんが自民党の会合で講演し「困難な課題にチャレンジするには若い力が必要だ」と述べ、若手研究者への支援を訴えました。 この中で、天野さんは「研究をスタートさせた当時は青色LEDができたらテレビを小さくできるので役に立つのではないかという安易な気持ちだった。発明のほんの初期の一部だが、きっかけを作ることができて非常にうれしく思う」と述べました。 そのうえで、天野さんは「困難な課題にチャレンジするには若い力が必要だが、われわれの研究室や大学でも日本人の学生が博士課程に進む割合が少しずつ減っている。チャンスがあったら進みたいが経済的に不安があり、ちゅうちょしてしまうという状況のようだ」と述べ、若手研究者への支援を訴えました。 また、天野さんは「基礎研究への支援は未来の日本への投資だ」と述べ、息の長
「彼が選から漏れたのはおかしい」。青色発光ダイオード(LED)で日本の3氏のノーベル物理学賞受賞が決まったことについて、米国の研究者らからこんな声があがった。彼とは「LEDの父」と呼ばれるニック・ホロニアック米イリノイ大学名誉教授だ。ホロニアック氏は米ゼネラル・エレクトリック(GE)に在籍していた1962年、赤色のLEDを開発した。「究極の照明になる」と早くからエジソンが発明した白熱電球に置き
ノーベル物理学賞受賞者に青色発光ダイオード(LED)を開発した赤崎勇・名城大教授、天野浩・名古屋大学教授、中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授が選ばれた。日本人としては一昨年に医学生理学賞を受賞した山中伸弥・京都大教授以来の快挙だ。 間に立つ天野教授の絶妙な役割 3氏の顔ぶれ自体に、深い意義が感じられる。知名度では抜群であろう中村教授。徳島の中小企業で辛酸をなめながら這い上がったサクセスストーリー、その後の発明対価をめぐる訴訟などでのアグレッシブな印象は歴代の日本人受賞者の中でも際立っている。世界に対する日本人のイメージを変える意味でも、今回の受賞は心が躍るものだろう。 対照的に赤崎教授は、この道一筋のオーソドックスな研究者。戦中は軍需工場勤務も経験、戦後に京大で「鉄」や「結晶」の研究に携わった後、1970年代からは松下電器産業(現パナソニック)や名古屋大学で窒化ガリウムによる
ノーベル物理学賞に決まった半導体科学者の赤崎勇・名城大教授(85)。「実用化の見通しが全くない青色LEDこそ自分のやるべき仕事だ」と研究に打ち込んだといいます。「不可能」を可能にした秘訣(ひけつ)はなんだったのでしょうか。昨年9月に3回にわたり朝日新聞に掲載されたインタビューを再掲します。 (聞き手、科学医療部・鍛治信太郎) 「実用化の見通しがない仕事こそ」 《青色発光ダイオード(LED)の研究に使命感を持っていた。》 中学のころは戦時中で、パイロットになろうと思ったこともありましたが、やはり大学に進みました。戦後は日本の産業に貢献したいという思いがありました。昔から、試験でも一番難しい問題から取り組む性分。実用化の見通しが全くない青色LEDこそ自分のやるべき仕事だと思いました。 《LEDを作るには、半導体に不純物を入れて電気的にプラスの性質にしたp型の結晶が必要だが、当時、窒化ガリウムで
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