あめもやし @rein_ua0oo @umi_sousaku 初めまして!お父さんも仕事で南極行ってた人なので、症候群に悩まされていたのかと思うととても興味深く感じました! 2023-09-18 16:02:33
(CNN) エアバスA340型機が史上初めて南極の大地に降り立った。 運航を担ったのはハイフライ航空。同社は機体だけでなく乗組員や保険、メンテナンスなどもまとめて手配して貸し出す「ウェットリース」を専門としている。 ハイフライ航空801便は南アフリカのケープタウンを11月2日に出発。復路は同802便としてケープタウンに戻った。両便の機長はハイフライ航空のカルロス・ミルプリ副社長が務めた。 片道5~5時間半の旅となり、2500カイリ(約4630キロ)の距離を飛んだ。チームの南極滞在時間は3時間以下だった。 この便は富裕層向け南極旅行を手がけるホワイトデザート社の新プロジェクト「ウルフズファング」からの委託を受けて運航された。同プロジェクトは南極に冒険キャンプを新たに設置する企画で、今回の便で同リゾートに必要な資材を運搬した。 南極での着陸地点となったウルフズファングの滑走路はCレベルの飛行場
関連キーワード バックアップ | ディスクストレージ | ストレージ 前編「南極調査船の『内蔵ストレージシステム』とは? 大量の調査データを守り切る」に続き、英国南極観測局(BAS)の砕氷調査船「RRS Sir David Attenborough」が搭載するストレージシステムについて紹介する。過酷な自然環境にさらされ、外部へのネットワーク接続も難しい調査船のストレージシステムとは。 南極調査船がなぜ「テープ」を搭載するのか 「南極なのに冷房が不可欠」の訳は 併せて読みたいお薦め記事 「テープ」のメリットとは テープ新規格LTO-9の「容量はLTO-8の2倍」が実現しなかった理由 SSD全盛時代に「テープ」が復活した3つの理由 「テープバックアップ」は過去の遺物ではない 価値を理解する5つの用語 ストレージの導入事例 法律事務所がオールフラッシュにPure Storageを選んだ“決定的な
(CNN) 南極大陸の最北端にあるチリ軍の研究基地で、36人が新型コロナウイルス検査で陽性と判定された。チリ軍がこのほど発表した声明で明らかにした。南極で症例が確認されたのは初めて。それまで南極は、新型コロナウイルスの感染が及んでいない最後の大陸だった。 南極大陸最北端のトリニティー半島にあるチリの研究施設ベルナルド・オヒギンス・リケルメ基地は20日、同基地に滞在する兵士26人と職員10人が、新型コロナウイルス検査で陽性と判定されたことを確認した。 これに先立ち11月27日から12月10日にかけて同基地への物資輸送の支援にあたっていた軍の艦艇で、少なくとも3人に陽性反応が出ていた。 チリ海軍によると、乗員が検査を受けたのは、兵士2人がチリのプンタアレナス港で今月10日に下船した後、検査で陽性と判定されたことを受けた措置だった。 16日に208人の乗員全員が検査を受けた結果、3人の陽性が確認
第57次南極地域観測隊の調理隊員として2015年12月から約1年4カ月、南極・昭和基地で生活した渡貫淳子さん。調理専門学校を卒業後、同校の日本料理技術職員としてキャリアをスタートさせ、退職後もさまざまな飲食店で料理の仕事を続けてきました。 出産後は家事と育児に勤しんでいたところ、新聞記事がきっかけで調理隊員という仕事に焦がれるように。粘り強く挑戦を重ね、40歳のとき*1、ついに選考に合格。女性としては2人目、お子さんがいる女性では史上初の調理隊員となります。 氷点下45.3℃、日本からの距離1万4,000kmという南極・昭和基地での単身赴任を選んだ理由、南極での生活、隊員の心とお腹を満たした「悪魔のおにぎり」誕生の背景などについて教えてもらいました。 「私、この人たちにご飯を作りたい」という思いでの挑戦 渡貫さんは南極地域観測隊の調理隊員として、41歳で南極に派遣されたそうですね。2009
南極半島のラーセンC棚氷から分離した氷山について解説した図。スウォンジー大学提供(2017年7月12日提供)。(c)AFP/SWANSEA UNIVERSITY/ADRIAN LUCKMAN 【7月12日 AFP】(更新、写真追加)南極のラーセンC(Larsen C)棚氷から、観測史上最大級となる1兆トンもの氷山が分離したことが分かった。数か月にわたって亀裂を観測していた研究者らが12日、発表した。 研究者らが所属する英ウェールズ(Wales)地方のスウォンジー大学(Swansea University)は声明を発表し、「分離は7月10日から12日の間に発生し、ラーセンCにあった約5800平方キロメートルもの部位がついに分離した」と明らかにした。 今後A68と名付けられる予定の氷塊は米デラウエア(Delaware)州の面積よりも大きく、容積は五大湖の一つエリー湖(Lake Erie)の2倍
(CNN) 南極大陸で年々失われていく氷よりも、増えている氷の量の方が多いとの研究結果を、米航空宇宙局(NASA)のチームがこのほど発表した。事実ならば、南極氷床の融解が海面上昇につながっているという従来の説は覆される。 NASAのチームは南極氷床の高さを人工衛星から計測したデータを調べ、その変化の様子から結論を導き出した。 南極大陸は米国とメキシコを合わせたほどの面積。氷の増減は大陸全体で一律に起きているわけではない。南極半島を含む西南極の一部で氷床の融解が進む一方、東部や内陸部の一部で氷が増加傾向にあることは、かねて指摘されていた。今回の研究では、この増加分が減少分を上回ることが明らかになったという。 氷が増加しているのは、1万年前から続く降雪の増加が原因とみられる。雪は年月を経て積み重なり、圧縮されて氷となる。 チームによれば、こうして1992~2001年には年間1120億トンの氷が
防衛省統合幕僚監部に入った連絡によると、3日午後3時半(日本時間同日午後9時半)ごろ、南極大陸で第56次南極観測隊の野外観測を支援していた観測船「しらせ」(日高孝次艦長)乗員の男性士官(50代)が突然倒れ、搬送されたしらせ船内で死亡が確認された。昭和31年の第1次隊派遣以来、日本の観測隊関係者が南極大陸で亡くなったのは初めて。 乗員が倒れたのは、昭和基地の東方約22キロにある南極大陸の観測拠点。乗員は観測機材などの搬入作業中に倒れて意識を失い、人工呼吸などの蘇生措置を受けながらヘリコプターでしらせに運ばれた。 昨年秋、出港前の健康診断で異常はなく、船内でも特に問題はなかったといい、詳しい死因などを調べている。遺体の移送や観測計画の変更などは今後、検討するという。 しらせは昨年11月11日に東京・晴海を出港、現在は昭和基地沖におり、4月10日の晴海帰港を予定している。
日本で最初のIngress(イングレス)ニュースサイト。ルールわからなくても、とりあえず読めば雰囲気はつかめます。 photo credit: AntarcticBoy ※エフェクト加工は当サイトによるもの Google+に、外国のガチエージェントからポータルをキャプチャしたという報告が上がりました。 川島 優志 masa kawashima@mask303南極がキャプチャーされた…。https://t.co/8N5P08WexX #ingress http://t.co/lTCGJ4VzAu2014/11/15 20:11:53 南極ポータルを青く染めてご満悦なのは、ハワイ→ラスベガスときて今回南極基地で駐在員をしているアメリカ軍人のジョニーさん。もうなんかこの時点でいろいろ地名がダイナミック。気になるレベルは10月の時点で14を超えているという生粋のワールドワイドガチ勢。 投稿を埋め
南極点を目指す途中で遭難、死亡した英国のロバート・スコット(Robert Scott)率いる探検隊のメンバーが残したノート(撮影日不明、2014年10月23日公開)。(c)AFP/ANTARCTIC HERITAGE TRUST (NZ) 【10月23日 AFP】ニュージーランドの民間団体、南極歴史遺産トラスト(Antarctic Heritage Trust、AHT)はこのほど、約100年前に南極点に到達するも、その帰路で遭難・死亡した英ロバート・スコット(Robert Scott)探検隊のメンバーが残したノートが発見されていたことを明らかにした。当時の状況などについて、非常に詳しい記述がなされているものだという。 ノートはスコット探検隊に参加していた科学者ジョージ・マレー・レビック(George Murray Levick)のもので、1911年に南極大陸に上陸した際の基地に残されていた
南極観測船「しらせ」が、1月4日現地時間16時30分(日本時間22時30分)、昭和基地の沖合約600メートルの定着氷に到着、3年ぶりに昭和基地接岸を果たした。 第55次南極地域観測隊(宮岡第55次南極地域観測隊長)を乗せた南極観測船「しらせ」は、昨年11月8日に晴海ふ頭から豪州・フリーマントルを経由し、南極昭和基地に向かって出港し、このほど昭和基地に接岸した。 昭和基地のある南極リュツォ・ホルム湾は、ここ数年、厚さ約6メートルの海氷と2メートル余りもの積雪に覆われ、南極観測船「しらせ」は昨年まで2シーズン続けて接岸を断念していた。 第55次南極地域観測隊は、昨年12月18日から最も海氷が厚い多年氷帯の砕氷航行を開始し、船首を海氷に乗り上げて割りながら進むラミングを1900回以上繰り返し、18日間かけてこの難所を突破した。往路のラミング総数は計2227回。 南極地域観測隊は、1年間の越冬観測
南極海で厚い氷に閉じ込められて動けなくなったロシアの海洋調査船「アカデミック・ショカリスキー」号の救出をめぐり、科学者から怒りの声が上がっている。多数の観光客を乗せた学術的に意味のない“お気楽ツアー”だったことに加え、他国の砕氷船が救出作業にかり出され、観測・研究活動や物資補給に重大な支障が生じているためだ。南極海では民間旅行会社によるクルーズ船の運航なども行われているが、ここ数年、北極海とは逆に海氷の増大が指摘されている。同様の海難事故が多発する懸念があり、安易な南極観光の規制を求める声も上がっている。(SANKEI EXPRESS)貴重な夏が台無し 「われわれフランスはまだましだった。中国はすべての科学研究プログラムの中止を余儀なくされ、オーストラリアも貴重な夏の時期の研究が台無しになり、激怒している」 フランス極地研究所のイブ・フルノ所長は、フランス通信(AFP)の取材に、こう怒りを
(CNN) ロシアの漁船が南極で座礁し、10日間にわたって立ち往生している。救援に当たってきたニュージーランド(NZ)の調査船が26日までに現場に到着し、船体の修理に向けた作業に乗り出した。 ニュージーランドの当局によると、ロシアの漁船「スパルタ」は同国沖約3200キロの地点で12月16日に海底氷山に衝突して船体に穴が開き、動けなくなった。救助船も厚い氷に阻まれて近付けない状態だったという。 32人の乗員は救援チームの協力を得て、ニュージーランド空軍(RNZAF)の飛行機が上空から投下した機器を使って船内に流れ込んだ水をくみだしながら、船体の修理を試みてきた。しかし作業のためにポンプを止めると船内に水が流れ込む悪循環が続き、修理は難航している。 現場に到着した調査船は、スパルタの船首を持ち上げて損傷部分を海上に露出させることを目指し、燃料の注入を開始している。損傷部分が露出すれば、船体の内
南極のパインアイランド氷河(Pine Island Glacier)に広がる氷床の割れ目(2011年10月26日公開)。(c)AFP/ NASA/DMS 【11月4日 AFP】(図解追加)南極西部のパインアイランド氷河(Pine Island Glacier)で、氷床の割れ目が拡大しており、数か月以内に米ニューヨーク市(New York City)の面積に相当する巨大氷山ができる可能性があると、米航空宇宙局(NASA)の「アイスブリッジ(IceBridge)プロジェクト」が3日、警告した。 割れ目は少なくとも長さ30キロ、深さ50メートルに達しており、1日に約2メートルずつ広がっているという。このまま割れ目が広がり続ければ、最終的には面積880平方キロの氷山となる可能性があるという。(c)AFP
印刷 南極のパイン島氷河に見つかった巨大な亀裂。幅は平均80メートル、長さ29キロに及ぶ=10月26日撮影、NASA提供南極で見つかった巨大亀裂。長さは29キロに及ぶ=10月26日撮影、NASA提供 米航空宇宙局(NASA)が3日、南極のパイン島氷河に見つかった長さ29キロに及ぶ亀裂の写真を公開した。亀裂は広がっており、年末以降、氷河から離れて巨大氷山が誕生する見込みだという。 10月14日に航空機で発見した。幅は平均で80メートルあった。分裂すると氷山になる亀裂の外側部分は約880平方キロで、東京23区の約1.4倍に相当する。10月上旬ごろから兆候が現れた。 パイン島氷河では2001年にも巨大氷山が誕生している。今回の亀裂について、研究チームは「自然現象によるもの」としており、地球温暖化との関連は否定している。(ワシントン=行方史郎) 関連記事震災の津波が南極棚氷に衝突 新たな氷山
東日本大震災で起きた津波は地球の向こう側にまで影響を及ぼし、南極の氷山を崩したことが分かったと、米航空宇宙局(NASA)の科学者が報告した。 科学者らは3月11日の東北地方の津波が、サルズバーガー氷棚の崩壊に関連していることを発見したとしている。衛星写真から、津波によるうねりが南極に到達してから間もなく、新たな氷山が浮かんでいるのを観測した。地震発生から18時間後、日本から1万3600キロ離れた南極にうねりが到達し、その波が氷山を崩していくつかの氷の塊(大きさは合計でマンハッタン地域の表面積の約2倍)ができたという。 3月12日のサルズバーガー氷棚の様子(左)と3月16日の様子(右) 南極に到達したときの波の高さはおそらく30センチ程度だが、波が連続して押し寄せたことで氷山を崩すのに十分な力になったと科学者らは述べている。サルズバーガー氷棚は厚さ約80メートルという。 津波の影響を受ける前
【グローバルインタビュー】「非情のブリザード」(上) 50年前に南極で犠牲になった友を思う 国立極地研究所 吉田栄夫名誉教授 (1/3ページ) 今からちょうど50年前の1960年10月10日、南極大陸の昭和基地で1人の日本人隊員が強烈なブリザードに巻き込まれ、行方不明になった。手の先さえ見えない視界ゼロの世界。第4次越冬隊員、福島紳さんは南極観測犬のタロたちに餌をやりに行き、そのまま帰らぬ人となった。享年30。福島さんは50年以上にもなる日本の南極観測史上、唯一の犠牲者となる。 遺体が発見されたのは7年後の1968年2月だった。基地から5キロ以上も離れた海岸べりで当時の服装のまま、見つかった。仲間は、その場所に石の塚(ケルン)を作り、福島さんの霊を弔った。 ブリザードの中、福島さんと一緒に外に出たのが吉田栄夫さん(80)だった。南極大陸の地形研究の第一人者。南極観測に長年携わり、国立極地研
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