高畑勲「ずっと運が良かったからです 運が悪くて這い上がれない人の気持ちを代弁できないからです スポーツで栄誉を得た選手が 夢は必ずかなう と叫ぶのも滑稽です あなたはかなったかもしれないが かなわなかった多くの人をどう考えるのか」 http://t.co/glI0kLBoP1
高畑勲監督の14年ぶりの新作として大々的に公開された『かぐや姫の物語』は、最終的に24億7000万円の興行収入を記録し、劇場アニメとしてはなかなかの好成績を収めました。 しかし、過去のジブリ作品と比較すると(『千と千尋の神隠し』は304億円で別格としても)、宮崎吾朗監督の『ゲド戦記』が76億円、『コクリコ坂から』が43億円、『耳をすませば』のスピンオフに当たる『猫の恩返し』が65億円など、いずれも40億円以上を記録しており、24億円が決して楽観できる数字ではないことが分かります。 さらに、高畑勲監督の過去作品としては、『火垂るの墓』が6億円、『おもひでぽろぽろ』が19億円、『平成狸合戦ぽんぽこ』が27億円、『ホーホケキョ となりの山田くん』が8億円となっており、今のところ『平成狸合戦ぽんぽこ』の実績にも届いていません(数字は配給収入で、『ぽんぽこ』の場合は興収54億円ぐらいになる)。 これ
「高畑勲展―日本のアニメーションに遺したもの」が東京国立近代美術館で始まった(7月2日から10月6日まで)。筆者も「アニメーションの変革者」という2万文字を超える長文の総論を図録へ寄稿している。言うまでもなく高畑勲監督は日本のアニメーション監督中、最大級に影響範囲の広い作家であり、正直言って荷が重かった。だが、高畑勲・宮崎駿作品研究所代表の叶精二氏が各論を書かれるという前提で、なるべく新しい視点が得られるよう努力したので、ご一読いただけたら幸いである。 その執筆過程で、最終的にまとめたもの以外の考察も副産物として大量に出てきた。「マスターにあたる作家」を語るということは、根本を考えぬくことだから当然でもある。今回はその一部を応用して、展開してみたい。 もっとも引っかかったのは「そもそもアニメーションにおける演出とは何か」という根本中の根本である。多くの人は「演技づけ」だと解釈しているだろう
去年4月に亡くなったアニメーション界の巨匠、高畑勲さんの自宅から、作品に関するメモなどが大量に見つかりました。20代のころ書き留めた「竹取物語」に関するアイデアなどがあり、調査に当たった専門家は「苦闘と試行錯誤の歴史を見ることができる貴重な発見だ」と指摘しています。 その後、作品に関するメモなどが自宅から大量に見つかり、東京国立近代美術館などが調査を進めてきました。 「ぼくらのかぐや姫」と書かれたメモには、高畑さんが20代のころ、勤めていたアニメ制作会社で「竹取物語」に関する企画を提案するために書き留めたアイデアが残されています。 「絵巻物をよく研究して、その描法を生かすこと」「歌をふんだんに使って物語の筋をよどみなく流動させる」「各キヤラクタアは、簡略化してよいが抽象化のうちにも十分人間の姿を感じさせねばならない」といった文言が記され、高畑さんが新たな表現技法を模索していた様子がうかがえ
今年4月、映画監督の高畑勲さんが亡くなった。プロデューサーとして支えてきたスタジオジブリの鈴木敏夫氏が語る高畑さんの記憶――それは決して美談ではなかった。(#1より続く) ◆ ◆ ◆ 当時、高畑さんが作りたがっていたのが『平家物語』でした。企画としてはおもしろいものの、誰が絵を描くのかという問題がありました。宮崎駿が「平家の戦いのシーンを描けるとしたら自分しかいない」と豪語していたほどで、技術的にも非常に難しいことは分かっていました。高畑さんは『山田くん』でも活躍した田辺修に描いてもらおうとするんですが、田辺も頑固な男で、「自分は人が人を殺す話は描きたくない」と言う。 そこで僕が持ち出したのが『竹取物語』でした。言わずとしれた日本最古の物語で、高畑さん自身、「誰かがいちどきちんと映画にすべきだ」と言っていたのを思い出したんです。あらためて高畑さんにその話をすると、「誰かが作るべきだとは言い
涙を流す宮崎駿監督[映画.com ニュース] 4月5日に死去した高畑勲監督(享年82歳)の「お別れの会」が5月15日、 東京・三鷹の森ジブリ美術館で営まれた。午前の部には、宮崎駿監督、鈴木敏夫プロデューサーら関係者約1200人が参会し、高畑監督に最後の別れを告げた。 「お別れの会」は、宮崎監督と鈴木氏の「ジブリとして盛大なお別れの会で見送りたい」という言葉を受け、高畑監督が愛したジブリ美術館で行われることになった。祭壇も、宮崎監督の「高畑勲監督を野に咲く花たちで囲みたい。高畑監督の作品にあるどれかでもなく『祭壇風』でもない。ただ温かみのある草花たちで包み込みたい」という思いを反映。美術館内の階段が無数の花で彩られ、その中央に穏やかな笑みを浮かべる高畑監督の写真が遺影として飾られた。 開会の辞を務めたのは、高畑監督の東映動画(現・東映アニメーション)時代からの盟友である宮崎監督。「パクさんは
2018年4月5日、長年スタジオジブリでアニメーション制作をしてきた高畑勲監督が82歳で世を去った。ジブリの発表によれば、死因は肺がんとのこと。82歳であれば大往生だが、日本のアニメーション界を支えてきた人物だけに関係者の驚きは大きい。訃報は国内のメディアで広く取り上げられただけでなく、英紙ガーディアン、米紙ロサンゼルス・タイムズ、仏紙ル・モンドなど海外大手マスコミも相次いで追悼記事を掲載した。 高畑勲は1935年10月29日、三重県伊勢市生まれ。岡山で育った後に東京大学仏文科に進学した。卒業後にアニメーション制作の東映動画(現・東映アニメーション)に入社したが、アニメーションがエンターテインメントの世界でいまほどメインストリームでない時代には、かなり異例な選択であっただろう。 東映動画では、『狼少年ケン』のテレビシリーズで初演出。劇場映画ではいまも傑作と名高い『太陽の王子 ホルスの大冒険
数々の名作を遺し、高畑勲さんが逝去した。週刊新潮のコラム「墓碑銘」から、その生涯を振り返る。 速報外国人タレント芸能事務所を設立「稲川素子さん」死去 1988年に公開された「火垂るの墓」は、アニメーション監督、高畑勲さんの代表作のひとつである。 原作は野坂昭如さんの小説(新潮文庫所収)。神戸大空襲で家族を失った14歳の兄と4歳の妹は、遠縁のもとに身を寄せるが居心地が悪い。家を出たものの妹は栄養失調で亡くなり、兄もほどなく孤児として斃(たお)れた。 高畑さん自身、9歳の時に空襲を経験している。焼夷弾が降り注ぐなか姉と逃げ惑い、一命を取り留めた。 「火垂るの墓」が反戦映画とばかり呼ばれることに異議を唱え、14歳の主人公の決断と行動を感じ取って欲しいと願っていた。我慢せずに家を飛び出した少年の考え方は、現在の子供や若者に似ていると驚いたことも映画化の動機のひとつだった。 「テーマを押しつけたり物
5日に亡くなったアニメ監督の高畑勲さんの代表作「火垂(ほた)るの墓」。戦争に翻弄(ほんろう)され、悲しい最期を迎える兄妹を描いた作品だが、主人公の行動に対して「自己責任」論のような見方が生まれている。一方で、こうした批判を見越したかのような1988年公開当時の高畑監督のインタビューが「予言めいている」と注目を集める。 死去を受けて13日、日本テレビ系で急きょ「火垂るの墓」が放映された。ネット上には戦争のむごさを改めてかみしめる感想が並ぶ一方で、悲劇的な結末を招いたのは「自業自得」というような言葉も目立った。 主人公・清太と妹の節子は、父親の出征中に空襲に遭い、母親を亡くす。親戚のおばさん宅に身を寄せるが食事の内容に差をつけられたり、「疫病神」と嫌みを言われたりすることに耐えられず、横穴で2人きりの生活を始める。しかし、節子は栄養状態が悪化し、やせ衰えて死ぬ。 「我慢しろ、現実を見ろ、と…
ジブリ高畑勲さん死去…海外からも惜しむ声が相次ぐ「あなたは完全なるレジェンド」 宮崎駿監督とともに、数々のスタジオジブリ作品を制作してきた高畑勲監督が、4月5日に亡くなりました。(享年82歳) ジブリ作品は海外でも知名度が高く、海外掲示板にもたくさんの声が寄せられています。 そのうちの一部を抜粋してご紹介します。 Isao Takahata, Studio Ghibli co-founder and director of Grave of the Fireflies, Only Yesterday, Pom Poko, and The Tale of the Princess Kaguya has died. ●映画「おもひでぽろぽろ」を見ることを強く勧めるよ。自分の一番のお気に入りの映画で、彼はジブリのカタログに宝石を散りばめているよ。 ↑本当にすばらしい人生の映画。初めて家族がパイナ
『火垂るの墓』は節子を死なせた犯人を探す倒叙ミステリーだ! 夏の恒例行事、『火垂るの墓』の日本テレビ系列での放送が今年もやってきました。今回は終戦記念日前日に当たる8月14日。野坂昭如氏が自らの戦争体験を元にした小説が原作だけに、これ以上ふさわしい日にちはないでしょう。 公開当時は、宮崎駿監督の『となりのトトロ』と同時上映になったため、トラウマ力も跳ね上がりました。トトロや猫バスに夢中になった後、全身ヤケドで包帯ぐるぐる巻き、ウジの湧いた母親を遺体の山に放り込む光景を見せられたお子様は、心に素敵なサムシングが残ったかもしれません。 そういうトラウマ語りを始めてから、今年で28年目。そろそろ違った見方をしませんか? 冒頭であっけない死を遂げる、主人公で戦災孤児の清太。その霊は時間をさかのぼり、妹の節子が享年4歳で死ぬまでの時間を繰り返します。 初めに結末が明かされ、「どうしてそうなったか」を
宮崎駿から、鈴木敏夫プロデューサーに電話がかかってくる。 「鈴木さん、いい案を考えた」 宮崎駿が、スナックの暗がりで、おもむろに出す紙には、こう書いてある。 「『火垂るの墓』クーデター計画」 高畑勲監督『かぐや姫の物語』は、宮崎駿監督『風立ちぬ』と同じ2013年夏公開予定だった。 だが、制作の遅れにより秋に延期と発表。さらに8月には11月23日に延期されると発表があった。 どこまで延期されるのか(いや、11月23日公開はさすがに大丈夫そうだ)。 『かぐや姫の物語』のプロデューサー西村義明は、鈴木敏夫にこう言われたそうだ。 「お前の選択肢は2つしかない。高畑勲を監督に選ぶんだったら、映画の完成は諦めろ。映画を完成させたかったら、高畑勲を解任するしかない」(『もっとVol.4総力特集ジブリの狂気』P86) なぜ、公開延期になってしまうのか。 鈴木敏夫は、高畑勲監督についてこう語っている。 “な
第87回米アカデミー賞で長編アニメ部門にノミネートされていた『かぐや姫の物語』での受賞は惜しくも逃しましたが、アメリカのロサンゼルスで高畑勲監督と西村義明プロデューサーが会見を開きました。 同賞を受賞したディズニーの『ベイマックス』をはじめ、アニメーションの世界ではCGが全盛の時代。手描きのタッチにより、観客の想像力を引き出す作品づくりにこだわる高畑監督は、“平面アニメ”への強い思いを語りました。 多くの作品が3DCGになっている。 受賞できれば、平面の絵で物語を表現する火が消えにくかったので残念。 ――アカデミー賞の感想をお願いします。 高畑: 面白いイベントだったんですけど、残念ながら取れませんでして。せっかく集まっていただいたのに、期待に応えることができなくて、すみませんでした。それは、しょうがないですね、運だと思ってましたから、最初から。対抗馬もだいたい観たんですけど、すごく良い作
米アカデミー賞候補が1月15日(現地時間)に発表され、長編アニメーション賞に高畑勲監督「かぐや姫の物語」がノミネートされた。スタジオジブリ作品としては4作目、高畑監督としては初めて。発表は日本時間の2月23日午前に行われる。 「かぐや姫の物語」は高畑監督の14年ぶりの作品として2013年に公開された。これまで、ロサンゼルス映画批評家協会賞(アニメーション映画部門)、ボストン映画批評家協会賞(同)、トロント映画批評家協会賞(同)を受賞している。 短編アニメ賞には、米国で活動する堤大介氏が共同監督として手がけた「ダム・キーパー」がノミネートされた。 作品賞には「6才のボクが、大人になるまで。」(リチャード・リンクレイター監督)や「アメリカン・スナイパー」(クリント・イーストウッド監督)などがノミネートされている。 高畑勲監督のコメント 「かぐや姫の物語」が、アカデミー賞長編アニメーション映画部
仕事で都営大江戸線の六本木駅に着いたら、エスカレーターに沿って、ズラリとこんなものが並んでいまして。 爆笑問題の太田光による「ジブリ映画『かぐや姫の物語』のキャッチコピー群」です。 なるほどなあ、こんなやり方があったか、と感心しました。 去年も「『かぐや姫の物語』は僕の中の高畑勲(『火垂るの墓』)トラウマを消した 」という記事として書きましたが、『かぐや姫の物語』は最高な作品です。 長いのですが見飽きず、見終わった後も心の中に延々と後味が残る名作です。 僕は大好きだし、年を追うごとにますます評価が高まり、古典にまで昇華してほしいと思っています。 けど……話はみんな知ってるあの竹取物語だし、絵柄はイマドキじゃないし、ジブリといえど宮崎駿監督じゃない。 なので、どのくらい一般受けするのか、全く関係者ではない他人ながら、心配していました。 鈴木プロデューサーも、その辺を解消しようとしたのかもしれ
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