親父コッポラが巨額の私財を投じて完成させたこの壮大な”自主映画”は、戸惑いを通り越して恐れ慄くしかない傑作だ。何に一番似ているかといえば、万博かもしれない。実際、近未来都市ニューローマを舞台に描かれるのは、建築家カエサルが、利権を貪る市長キケロと対立しながらも、その娘と恋仲になったりしつつ、ユートピアを立ち上げようと奮闘する姿……なのだが、彼が目指すのは、20世紀に人類が夢見ながらついに実現できなかった、そして今はもう誰も現れるとは信じていない、昔懐かしい未来(レトロフューチャー)なのだから。批評家のフレドリック・ジェイムソンは、 未来のユートピアについての実現可能な青写真を提示することではなく、ユートピアを想像する試みの絶えざる失敗を通して私たち自身が生きる現代社会が囚われた閉域を逆照射することにこそ、SFの使命があるという。その意味において、真に偉大なSF映画であることは間違いない。6
