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考古に関するtangkai-hatiのブックマーク (8)

  • 中世の墓とみられていた古墳、未盗掘の石室確認 : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    墳丘がほとんど壊されていたが、未盗掘の石室が発見された相作馬塚古墳(7月末、高松市で)=高松市教委提供 最近まで中世の塚(墓)とみられていた高松市鶴市町の 相作馬塚 ( あいさこうまづか ) 古墳(5世紀後半)を市教育委員会が調査し、未盗掘の石室を確認した。 副葬品の武器や武具が埋葬時のまま良好な状態で残され、埋葬儀礼を復元できる貴重な資料になる。 墳丘は中世以降、塚に転用されて大きく壊されていたが、石室(長さ3・2メートル、幅0・6~0・8メートル、高さ0・6メートル)が残されていた。直径16メートルの円墳か帆立て貝形古墳だったとみられる。 石室内には、よろいの「 短甲 ( たんこう ) 」、「 眉庇付冑 ( まびさしつきかぶと ) 」、 槍 ( やり ) 2点、鉄製矢尻約60点、大刀1点、管玉10点などが副葬されていた。また、木棺に使った鉄製のかすがい11点も出土した。糸など通常は朽ち

    中世の墓とみられていた古墳、未盗掘の石室確認 : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
    tangkai-hati
    tangkai-hati 2016/12/09
    香西と鬼無の間あたり...
  • 舒明天皇か蝦夷の?巨大古墳説強まる 奈良の小山田遺跡:朝日新聞デジタル

    飛鳥時代に築かれた未知の古墳の一部の可能性がある巨大な石張りの掘割(濠=ほり)が出土した奈良県明日香村の小山田(こやまだ)遺跡で、厚さ3メートル以上の粘土層が見つかった。県立橿原考古学研究所(橿考研)が23日発表した。古墳の基盤部分にあたり、大規模な造成工事による巨大古墳だったことを裏付けるものという。 2014年の県立明日香養護学校の校舎建て替えに伴う発掘調査で、北側斜面と底面に石英閃緑岩(せんりょくがん)を張り、南側斜面に榛原石(はいばらいし)と呼ばれる特殊な板石などを階段状に積み上げた掘割(長さ約48メートル)を確認。舒明(じょめい)天皇が最初に葬られた墓や大豪族・蘇我蝦夷(そがのえみし)の墓などの見方が出ている。 今回、掘割の西約11メートルを発掘。地下約3・5メートルで南北3・5メートル、東西3メートルにわたる黄褐色の粘土層を確認した。粘土層の上では、10~30センチ大の石英閃緑

    舒明天皇か蝦夷の?巨大古墳説強まる 奈良の小山田遺跡:朝日新聞デジタル
  • 九州北部で最古級すずり片 文字文化、伊都国からか

    古代中国歴史書「魏志倭人伝」に登場する「伊都国」の都だったとされる福岡県糸島市の三雲・井原遺跡で、弥生時代(紀元前4世紀~紀元後3世紀)のものとみられる国内最古級のすずりの破片1個が出土した。同市教育委員会が1日、発表した。 弥生時代のすずり発掘は国内2例目。市教委は「魏志倭人伝は伊都国で文書が取り扱われていたと記しており、裏付けにつながる」として、日の文字文化が伊都国から始まった可能性を示す史料と位置付けている。 破片は長さ6センチ、幅4.3センチ、厚さ6ミリ。実際に使用されたようなすり減りがあり、市教委は墨が使われた跡がないか詳しく調べる。当時のすずりは板状で、水と粉末や粒状の墨を乗せ、取っ手を付けた薄い正方形状の「研石」ですりつぶしていたという。 昨年12月、弥生~古墳時代の人々が不要になった土器を捨てたとみられるくぼ地を調査して見つかった。ここでは中国・前漢が朝鮮半島支配のため

    九州北部で最古級すずり片 文字文化、伊都国からか
  • そうだ古墳、行こう。旅行口コミサイトが「日本の人気古墳TOP10」を発表 : Japaaan

    ここ数年でじわじわ来ているらしい「古墳ブーム」。世界最大の旅行口コミサイトトリップアドバイザーが口コミの評価を元にした「日の人気の古墳トップ10」を発表しました。 全国に16万基以上もあると言われる古墳。3世紀から7世紀頃にかけて東アジアのあちこちで、古代の有力者や豪族の墓として作られました。大きさも形状もさまざま。丸い「円墳」、四角い「方墳」、2つを組み合わせて鍵穴みたいな形をした「前方後円墳」あたりは有名ですね。八角形のものや帆立貝型のものあるそうです。 一部から熱い視線を送られている古墳ですが、その魅力ってなんでしょう。行ってみて感じてみないとわからないのかも。それでは、初めての古墳巡りにも役立ちそうな「日の人気古墳トップ10」をどうぞ。 1位 石舞台古墳(奈良県)

    そうだ古墳、行こう。旅行口コミサイトが「日本の人気古墳TOP10」を発表 : Japaaan
  • 奈良・明日香村に新たな古墳か 石張りの巨大な掘割発掘:朝日新聞デジタル

    奈良県明日香(あすか)村川原(かわはら)の小山田(こやまだ)遺跡で、約50メートルにわたって石材を張り付けた巨大な掘割が見つかった。県立橿原(かしはら)考古学研究所(橿考研)が15日発表した。7世紀中ごろに飛鳥に築かれた未知の古墳の一部とみて、規模や立地、特異な構造から、舒明(じょめい)天皇(593~641)が最初に葬られた場所との見方を明らかにした。舒明天皇は、大化改新で知られる中大兄皇子(なかのおおえのみこ、天智天皇)や壬申(じんしん)の乱に勝利した大(おお)海人(あまの)皇子(みこ、天武天皇)の父。 これまで小山田遺跡では木簡のほか、目立った遺構は出土していなかった。県立明日香養護学校の校舎建て替えに伴う発掘で、東西方向に幅7~3・9メートル、長さ約48メートルの掘割を確認。北側斜面は40センチ大の石英閃緑岩(せんりょくがん)を張り、底面は15~30センチの石材を敷き詰めていた。南側

    奈良・明日香村に新たな古墳か 石張りの巨大な掘割発掘:朝日新聞デジタル
  • 大規模な石敷き遺構を発見 舒明天皇墓か NHKニュース

    奈良県明日香村で7世紀の飛鳥時代に造られたとみられる大規模な石敷きの遺構が見つかりました。調査した研究所は中大兄皇子の父親の舒明天皇を葬った飛鳥時代最大級の古墳の一部の可能性があるとみて調べています。 奈良県立橿原考古学研究所が去年11月、明日香村にある県立学校の敷地で発掘調査を行ったところ、大規模な石敷きの遺構が見つかりました。 細長い「ほり」の形をしていて底の部分は幅およそ4メートル、長さは確認されただけでおよそ48メートルに及びます。 底の両側は緩やかな斜面になっていて、底と一方の斜面には直径20センチから60センチほどの数多くの石が敷かれ、上から底までの深さは1メートルほどありました。 また、もう一方の斜面は板の形に加工された石が階段のように10段、積み上げられていました。 研究所によりますと、板状の石が積み上げられた斜面は古墳のすその部分で横に「ほり」があったと推定され、石の材質

  • 新宿で11人分の縄文時代の人骨 NHKニュース

    東京・新宿区でおよそ4000年前の縄文時代の人骨が少なくとも11人分見つかり、極めて保存状態がよいことから新宿区は顔の復元やDNA鑑定を行い、当時の生活を調べていくことにしています。 人骨が見つかったのは、新宿区市谷のマンションの建設予定地で、工事を前に去年11月から発掘調査を行ったところ、土器と共に埋葬された少なくとも11人分の骨が見つかりました。 国立科学博物館が鑑定したところ、骨はおよそ4000年前の縄文時代中期から後期にかけてのもので、保存状態が極めてよく、男女3人ずつの性別や、どのような暮らしをしていたかが分かりました。 このうち出産を何度か経験したとみられる女性の頭蓋骨では、歯が均一にすり減っていて、当時の人は自分の歯を使って革をなめしていたためだということです。 土が酸性で骨が残りにくい関東地方では、貝塚以外で縄文人の骨が発見されるのは珍しいということです。 調査した新宿区文

    tangkai-hati
    tangkai-hati 2013/01/31
    新宿で縄文人〜! すごい!
  • フィルム生産激減で遺跡発掘写真が大ピンチ(産経新聞) - Yahoo!ニュース

    デジタルカメラ全盛時代にもかかわらず、古代遺跡の発掘現場ではいまだに、フィルムカメラが活躍している。デジタルカメラで撮影した画像データを保存するCDなどは湿気や熱でデータが消える危険性があるためだ。しかし、昨年のフィルム出荷量は、10年前の1割近くに激減し、遺跡写真に最適なフィルムの入手にひと苦労の状態で、半永久的な保存が不可欠な文化財写真が危機にさらされている。 ■危機感 デジタルカメラは今ではフィルムカメラを圧倒。写真感光材料工業会や写真出版社「フォトマーケット」の統計によると、35ミリなどのロール式フィルムの出荷量(推計)は、平成9年の約4億8283万をピークに、10年は約4億5788万、20年は約5583万にまで落ち込んだ。 「フィルムはあと数十枚分しかない。一(ひと)現場撮れればいいほうだ」。奈良文化財研究所(奈良市)で遺跡撮影を30年以上続ける井上直夫さん(59)は

    tangkai-hati
    tangkai-hati 2009/07/26
    ないものねだりならぬ、消えゆくものねだりでは?フィルムが無くなってしまう事実が明白なら、いかに電子データ保存の弱みを補うか考えることが重要では。短時間に大量に電子データ複製が可能というメリットも考え
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