まだ最後まで読んでいないのだけど、今読んでいる本に、「人間はなぜコミュニケーションするのか」ではなく「コミュニケーションするのが人間なのである」というようなことが述べられていた。レヴィ=ストロースが構造主義に至る過程に関する論述なんですけど。社会があってコミュニケーションがあるのではなく、社会はコミュニケーションのシステムである。なんのためにコミュニケーションするのかではなく、コミュニケーション (交換) するのが人間であり、社会である。じゃあ、コミュニケーションを誘発するソーシャルメディアというのはなぜ使われるのか。それが便利だからとか機能的だからというではなくて、それはコミュニケーションするものだからだとなる。つまり、コミュニケーションアーキテクチャに正解はない ─ それを機能主義的に、こういうことに使えるから使われるんだ、という分析では理解し得ない。Facebook のグラフはリアル