(安野喜憲、という人との共著。最初、共感的に読もうとしていたのだが、だんだんと、この執筆姿勢についていけなくなっていった。) 田舎に行って、外を眺めれば、年々、商店街は廃れ、街は、どんどん、ゴーストタウンのようになっていっているが、あいかわらず、山は四季おりおり、美しい景色を見せてくれる。 ああ、ここだけは、いつまでも変わらないな。 田舎へのあこがれは、いつまでも変わらず、いつか、こんなスローライフを夢みる、というわけだ。 ところが、実は一点、完全に「変わってしまっている」。 その山は「誰の物」? つまり、所有権、である。日本は、資本主義なんですから、当然、あらゆるものに、私的所有権があります。だから、相続税など、税金を課すこともできるというわけなのでしょう。 山だろうが、川だろうが、それが、だれかの所有の土地を横切ったら、そこから、「なにをしてもいい」。だって、そいつのものなんだから。涸
![平野秀樹『奪われる日本の森』 - martingale & Brownian motion](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/707f6f4cb91b5007fdbc98bd8e322192eb171abd/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fimages-fe.ssl-images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F51LTuLtFucL._SL160_.jpg)