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ブックマーク / kentaro.tumblr.com (3)

  • Incidents (コミュニケーション能力について)

    コミュニケーション能力とは、いわゆる「空気を読む」といったような、場に同調する世智に長けているということではない。また、当意即妙な発言を自在に行えたり、対話者の機嫌を良好に保ったりといったことに関する能力でもない。正確にいえば、それらはコミュニケーションが果たすべき目的を達成するためのいち手段であって、コミュニケーション能力はもっと一般的な意味において認識されるべきものだ。 「コミュニケーション能力に長けている」とは、以下の3つからなる一連の行為を、より高い生産性において行える能力のことをいう。 コミュニケーションとは、対話者(自分を含む)の心内の状態(感情や意識、意見など)になんらかの作用を与えることである (1)の定義の把持に基づき、対話者(自分を含む)の心内の状態を、無意識的な作用にとどまらず、意識的に操作する (2)の操作により、当該コミュニケーションから生産的なアウトプットを生成

  • Incidents (技術的不安について)

    技術者としての職を得てからこのかた「技術的につまらないことに時間を費やし過ぎているのではないか?」という不安がふと脳裏をよぎることがある。他の人々は、優れた技術を次々に獲得していっているのに、自分は日々をどうにかやりくりするだけで精一杯で、技術的な面で差をつけられていく一方なのではないか?という。 もちろん、一般的な意味での「仕事」において成果を出すべき道具としての技術に、つまらないも優れているもない。成果を出す技術はいつだって正しい。当たり前のことだ。ここでいっているのはそれとは別に、技術者としての個人にとっての話。まあ、技術者ならわかってもらえるだろうから、これ以上説明はしない。 そういう雑念とは無縁に、単純に好きだからとかできちゃうからとかで夢中になってやれたらいいんだろうけど、そうであるには僕は技術者でなさ過ぎる。「成果」を出すことが一番重要で、そのためにたまたま自分が少しはできる

  • Incidents (老害について)

    老害とは、経験に基づく判断にのみ過度な信を置くことによる弊害のことです。わかりやすくいうと、年齢を重ねることにより頭が悪くなって、抽象的・論理的思考ができなくなってきて、経験的にしか物事を判断できなくなってしまうということです。 具体的にそれは、純粋なスペック的な意味での能力だとか頭のよさ、瞬発力、発想の柔軟さ、考えの実直さなど、若いひとが主に持つ特質に敬意を払えないという症状として現れます。そこで勝負すると必ず負けるという無意識による、防衛反応です。 経験は、よい判断にとって重要なことではあります。しかし経験は、どんなひとでも、ただ生きているだけで増えていきます。もちろん、その量や質にそのひとの人生が反映されるわけですが、ま、ひとひとりの人生なんてたいしたものではありません。 また、経験に基づく判断は、反証不可能です。正確には、経験に基づく判断が、反証可能な形で示されることはありません。

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