1978年の右大腿(だいたい)骨の骨折から翌79年に復帰し、80、81年と、またリーディングを取ることができた。この間には北島三郎さんの奥さんが所有していたトライバルセンプーで、楠賞全日本アラブ優駿(園田)のほか、アラブ王冠賞(大井)を勝てたし、ファストセンプウで川崎の全日本アラブ争覇や大井の八王子記念なども勝つことができた。軌道に乗ってきた感じだったが、81年の12月にまたけがをしてしまった。今度は左大腿骨と左膝下の複雑骨折だった。 この時は川崎の950メートル戦で、ゲートをポンと出たのだが、内に切れ込んでラチにぶつかってしまった。意識を失っていて、気づいたら病院だった。でも脳波は問題なく、3日間くらい足をつったのちに懇意にしていた病院に転院した。そこで手術してもらったが、医者は妻に「今回はダメかもしれない。足が曲がらなくなるかも」と言っていたようだ。新聞にも再起不能と書かれていたらしい
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