フミコ、ブログやめるってよ - Everything you've ever Dreamed はてなブログ界では最も有名なブロガーであろうフミコフミオさんがブログの休止宣言をされていた。残念だ。 字義どおりに読むなら、「ブログに対する情熱を失ったところにガラケーが壊れてしまったのでブログを休止なさる」とのこと。ブログ熱が高ければガラケーが壊れてもすぐブログを書き始めるに違いないが、情熱が醒めてしまっているなら仕方がないところだ。 最近のフミコフミオさんの言動をずっと眺めていた私は、「フミコフミオさんは、有名ブロガーになってしまって疲れたんだろうな」と想像することにした。はてなブログ界で一番たくさん読者を獲得していた彼だから、そのぶん、きっとお疲れになっていたに違いない。 ネットで有名になった時に直面するリスク 動画にせよ、ブログにせよ、twitterにせよ、インターネットで情報発信する人の
皆さんは、フェイスブック、ツイッタ―にどんなイメージを持っていますか? きっと、人と繋がる事が出来て嬉しい!、情報収集が便利で勉強になるという感想を持つ方もいるでしょう。 しかし、その一方でフェイスブック、ツイッタ―は怖い、疲れると思っている人も多いのではないでしょうか? 個人情報が漏れる可能性がある、フェイスブックに流れて来るリア充アピールがムカつく(笑)などなど、様々なマイナス点、弊害を答える人もいると思うんです。フェイスブック、ツイッタ―に限らず、何事もブラスとマイナスの一面を持っています。 だから、今書いたようなフェイスブック、ツイッターにマイナスのイメージを持っている人は実に正しい。 世の中には、SNS疲れなんて言葉もあるぐらいです。むしろ、マイナスのイメージを持っている人のほうが正常な感覚なのかもしれません。 でもね、我々のような貧乏人、貧困予備軍は、そんなマイナス点を解ってい
私は2010年ぐらいまで東方シリーズを遊んでいて、BGMをiPodに入れるぐらいには好きだった。バランスの整った弾幕シューティングゲームを自宅PCで遊べるのも嬉しかったし、BGMや背景、弾幕ゲシュタルトもそれなり気に入っていた。 それでも、なにかが引っ掛かって東方シリーズの世界観に埋没しきれなかった。全体としては好きなんだけれど、私が嫌いなもの、私とは相容れないものが宿っていると感じていた。それが何なのか表現できないまま、5年間ほど経ってしまったけれど、最近、ある人にヒントを頂いて、その答えがわかったような気がする。 「東方は意外とヤンキーっぽい。」 何が引っ掛かっていたのか、その一言でわかった。そうだ、東方シリーズには、ヤンキー文化圏の(記号の)匂いがしていたのだ。 同じシューティングゲームでも、『グラディウス』『ダライアス』シリーズには、ヤンキー文化圏の匂いなど全く感じない。『バトルガ
最近は、”努力の目利き”に敏感な人が増えた。 無思考な努力、あてのない努力は否定され、よく練られた努力や実利のありそうな努力が望まれるようになった。度が過ぎればデメリットが目立つけれど、さしあたって”努力の目利き”を意識するのは良いことだと思う。 それなら”承認欲求の目利き”はどうだろう? たいていの人間は、褒められると嬉しくなる。モチベーションだって沸いてくるだろう。一般に、そうした体験は嬉しいものとみなされやすい。 でも、承認欲求の目利きを誤ると、どんな目に遭うかわかったものじゃない。承認欲求がモチベーション源になっているということは、その承認欲求をくすぐられ、おだてられれば、他人に行動や努力の方向性をコントロールされてしまう、ということでもある。ほだされて良い気分になっているうちに、悪事の片棒を担わされたり、リソースを吸い上げられたりしてはたまらない。 昔から、“よく心得ている人”は
昨日の記事に、以下のコメントがついているのを観て、しばらくボンヤリしました。 叱り手の能力次第じゃね?「(意味が)伝わらないのは送り手の責任であって、受け手の責任じゃねぇ」ってとこ。ついでに叱るのは叱り手の損が多いからじゃね?損が大きければ必然的に「真剣に叱る」んじゃね? http://b.hatena.ne.jp/kingate/20140626#bookmark-201169622 「伝わらないのは送り手の責任……。」 はあ。 責任、ねぇ……。 そういえば、そういう見方もあるんですね*1。叱る側、注意する側に【伝えなければならない責任】があるような状況が、世の中には確かにあります。 でも、現代社会において、そんな【伝えなければならない責任】なんてどこにどれぐらいあるんですかね?折に触れて、言語的・文章的に【伝達を行った】【注意を勧告した】という形式を踏まなければならないのはその通り。で
今まで、 1.叱られた場面から教訓を得たことの無い人 2.叱られたら思考停止して自分が悪いと思うしか無かった人 3.叱られたら必ず逆らってきた人 は、叱責や注意から何かを学ぶことができない。これは、自分自身の行動を改めるための道筋がそれだけ少ないことを意味する。弱点と呼ぶに足りる特徴と思われる。 こういった人達にとって、「自分の弱点を、誰かから教わって修正する」のは非常に難しい。世の中は、悪意や敵意やコントロール欲に基づいて威張り散らすだけの輩で構成されているわけではない。それ相応の必然性を伴ったかたちで、注意や叱責をせざるを得ない状況、せざるを得ない個人というのは往々にしてある。重大な過失やリスクを背負っている場合は特にそうだ。けれども、理由がなんであれ叱責や注意から役立つエッセンスを汲み取れない人には、そうした必然性や文脈は理解されず、ただ、大きなストレスと不満、トラウマじみた記憶だけ
サッカーのワールドカップ、ブラジル大会、1次リーグ、グループCの日本は、第3戦でコロンビアと対戦し、1対4で敗れました。 この結果、日本の1次リーグ敗退が決まりました。 日本は勝てなければ、1次リーグの敗退が決まる試合で攻撃の最前線のポジション、ワントップに大久保嘉人選手を、また、守備的ミッドフィールダー、ボランチには大会を通じて初めての出場となる青山敏弘選手を起用する布陣で臨みました。 日本は前半、押し気味に試合を進めましたが16分、今野泰幸選手がペナルティーキックを取られ、コロンビアにこれを決められ先制されました。 しかし、前半終了直前、本田圭佑選手が右サイドから上げたクロスに岡崎慎司選手が頭であわせてゴールを決め、1対1の同点で折り返しました。 後半は開始と同時にコロンビアが前の2試合連続でゴールを決めている司令塔、ロドリゲス選手など2人を新たに投入しました。 そして後半10分に日本
5月17日より劇場公開がはじまった映画「ラスト・ワールド」は、卒業を直前に控えたインドネシアの20人の学生が究極の選択を強いられる哲学の思考実験に挑むところからはじまる。 想定される世界は、核爆発の最中にある仮想終末世界。生徒はそれぞれ職業カードを選び、10人しか入れない核シェルターに、誰が生き残るのにふさわしいのかを討論する。 ちなみに20人の生徒それぞれに振り分けられた職種は、 1.有機栽培農家、2.構造工学者、3.不動産業者、4.大工、5.オペラ歌手 6.投資信託者、7.ハープ奏者、8.宇宙飛行士、9.科学者、10.電気技術者 11.ワイン競売人、12.整形外科医、13.家政婦、14.心理療法士 15.ファッションデザイナー、16.アイスクリーム屋 17.動物学者、 18.軍人、19.アメリカ合衆国上院議員、20.詩人 以上である。映画内では仮想と現実の境界線がはっきりしなくなった生
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