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pseudoscienceと菊池誠に関するtoshiharu_zのブックマーク (2)

  • 菊池先生と天羽さんへ | 社会学玄論

    あまりにもコメントが多くあるので、こちらの方で論じたいと思います。 菊池さんが推薦してくれた「疑似科学と科学の哲学」は、以前、一度読んだのですが、再度、精読中です。 同書からは、科学の線引き問題において、ポパーを不十分としながらも、ホパーは避けて通れない印象を非常に受けます。個人的な意見ですが、統計的検定など、社会調査法でも使用する基準がでてきますが、ポパーの反証可能性ほど明確な線引き基準はないのではと思います。 いずれにしろ、科学の同一性をその方法や手続きに求めようとする傾向が認められます。確かに科学的知識そのものは真理ではないという謙虚さは認められ、自らを相対化していますが、科学という手続きそれ自体は、絶対化されています。 カール・ポパーについて (内容/形式=方法)という観点から観察すると、内容的には科学的知識は反証可能であり間違う可能性があり、科学的知識は常に更新されていく相対的な

    菊池先生と天羽さんへ | 社会学玄論
  • 疑似科学批判が流行る理由 | 社会学玄論

    疑似科学批判が流行る理由は、明らかである。 社会学的に言うと、現代社会のイデオロギーとして科学が機能しているからである。つまり、科学という言葉だけで人々は思考を媒介とせずにそれが真理であると信じるわけである。このような知識社会学的な社会状況を背景に、科学のイデオロギー効果を利用して人々を騙すのが疑似科学である。それは、虎の威を借りた虚偽知識である。アカデミックな当の科学の立場からこのような虚偽知識を批判するのが、疑似科学批判をする論客たちなのである。 しかし、科学を絶対視する点においては、疑似科学もそれを批判する者も同じ観察点にいる。この盲点に自覚的な論客は少ない。多くの疑似科学批判論者は、疑似科学批判の背景には、科学が成熟社会=後期近代社会のイデオロギーとして機能しているという社会学的真理があることを理解していない。言い換えれば、自己の理論の前提に盲目なのである。学問的には、このままで

    疑似科学批判が流行る理由 | 社会学玄論
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