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医療とlifeに関するtoyaのブックマーク (40)

  • 脳性麻痺の息子が亡くなった - しょんぼり技術メモ

    2017年に脳性麻痺で生まれてきて、ずっと寝たきりで人工呼吸器を付けていた息子が、2022年11月に亡くなりました。 遺族としてのいろいろな整理はある程度付いてきたので、良くも悪くも忘れる前に記録を残しておきたい。主に自分の中での整理のために。 就学義務の免除申請 2017年2月生まれの息子は、来る2023年4月に小学校に入学するはずだった。 もちろん生まれてこの方意識と呼べるものが宿らなかったので、市役所と相談して就学義務の延長という申請を行う予定だった。 寝たきりの子の場合であっても、訪問学級のような形で対応してもらうのが基とのことだったので多少揉めたが、最終的には 主治医に診断書を書いてもらい、就学を延期するような方針としていた。訪問学級を拒否したのは、親としてその姿を見るのが辛かったという理由による。 最期の入院 2022年は2月から始まり、毎月のように入院したり救急外来を受診し

    脳性麻痺の息子が亡くなった - しょんぼり技術メモ
  • 自業自得の人工透析者が身内にいるのだが

    ※「自業自得」と思える人工透析患者が身内にできてしまったが、社会正義とどのように折り合いをつけるべきか、という話です。前半はなぜ自分が「自業自得」かという家族史とその一例の具体的なエピソードが延々と続くので、興味なければ飛ばしてください。あと、当然のことながらおれの視点による解釈であり、また、意図した上での、あるいは無意識での脚色が含まれています。 父のいた我が家 まだおれも弟も子供だったころ、まだ実家があったころのことだ。父が出張などで家にいないと、空気が軽くなるのを感じた。実に不思議なものだと、当時から思っていた。 べつに父は常に暴力を振るったり、過度に厳格な人間だったりはしなかった。それはなかった。 手を挙げることはなかったし、厳格な躾、教育方針とはかけ離れた人間でもあった。 どちらかというと放任、教育についても自分の思想を披瀝して対話をしたがるタイプだった。子供相手でも。 ただ、満

    自業自得の人工透析者が身内にいるのだが
  • 山田が死んで、もう4年になるのだな - まさゆき研究所

    この時期になると亡くなったあの人を思い出す、というのは誰しもあると思うが、僕にとって正月という季節は、4年前に亡くなった山田のことを思い出す季節だ。 山田祐資(やまだ・ゆうすけ)は大学の1つ下の後輩、2019年1月6日に難治性のがんが寛解せずに38歳でこの世を去った。常にシニカルでコミカルで酔狂を気取る彼は、彼らしいスタイルを保ったまま、自分の死生をしっかり見つめながらこの世を去っていった。 2017年4月18日 NHK EテレハートネットTV「がんと共に歩む力を」より その飄々とした姿は全くもって「山田らしく」、不自然なところは無いかのように僕の目に映っていたのだが、あれから4年経ち、一つの言葉をきっかけとして彼の胸中にまた思いを巡らせている。 『“がん”になったと言うと、哀れみの目で見られる』 これは、別のがん患者の方がこの記事で語っていた言葉だ。 がんになっても... | 生き方 |

    山田が死んで、もう4年になるのだな - まさゆき研究所
  • 人生は努力でなんとかなると思っていた私が、34歳でがん宣告されて思ったこと|ウートピ

    わざわざ、生きてる プロローグ 人生は努力でなんとかなると思っていた私が、34歳でがん宣告されて思ったこと 初めましての方も、お久しぶりですの方も、改めましてこんにちは。海野優子です。と、自己紹介しても「誰や?」って感じですよね。かつてプロデューサーとしてウートピに在籍し(社畜の海野Pと呼ばれていました)、六木にあるIT企業に転職した海野です。 ウートピでは度々連載にも登場(「産むことにメリットって、当にあるんですか?」「日一ちっちゃな働きかた改革」)させてもらいましたが、転職直後に妊娠が発覚し、出産と同時に原発不明がんも見つかって死にかけるという、なんとも濃ゆい2年を過ごしておりました。そのことをつづったのが、「34歳OL、がん宣告から復活までの1年間。」です。 振り返ってみれば壮絶な2年間を過ごしたのだけれど、結局戻ってきたのはここ東京のど真ん中、六木。いつもと変わらない職場で

    人生は努力でなんとかなると思っていた私が、34歳でがん宣告されて思ったこと|ウートピ
  • 堀ちえみ『ご報告させていただきます』

    堀ちえみオフィシャルブログ「hori-day」Powered by Ameba 堀ちえみオフィシャルブログ「hori-day」Powered by Ameba

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  • 大好きな祖父が尊厳死を希望しているのに延命治療をしてしまった理由|tayorini by LIFULL介護

    大好きな祖父が尊厳死を希望しているのに延命治療をしてしまった理由 #後悔しないためにすること#終末期・看取り#死を見つめる 公開日 | 2019/01/15 更新日 | 2021/05/13 トイアンナ 私は祖父の死に目に会えなかった。そのことが今も悔やまれます。 私は大変なおじいちゃん、おばあちゃん子でした。両親が共働きだったこともあり、東京の田舎にある祖父母の家へよく預けられていました。祖母お手製のぬいぐるみで遊び、祖父が手書きで作ってくれた計算ドリルで勉強をしました。“凡庸なメンヘラ”として自殺未遂を繰り返す10代の頃の私に、泣きながら「死んだら私たちが悲しい」と叱ってくれたのは、祖父だけでした。 祖父は、脳梗塞の発症をきっかけに老人ホームへ入居しました。半身不随となりながらも、片手で抱えられる軽量の夏目漱石全集を毎日読んでいました。ですから、私は祖父が死ぬ日が来るなんて思いも寄りま

    大好きな祖父が尊厳死を希望しているのに延命治療をしてしまった理由|tayorini by LIFULL介護
    toya
    toya 2019/01/15
    「「さよなら」を前提に生きることが、苦痛の大きい延命を止められる唯一の方法なのです。別れを覚悟していれば、最期に会いたいとすがることもなくなるのですから」
  • [シンガー・ソングライター EPOさん]母親からの虐待~急性ストレス障害(1)母のウソ 壊れた自分 | ヨミドクター(読売新聞)

  • 死ぬかもしれないから、言っておきたいこと。|幡野広志

    ガン患者になってちょうど一年がたつ。 この一年はまさに激動だった、充実していたともいえるのであっという間に過ぎたようにも感じた。このペースで進んだらあっというまに人生が終わってしまいそうだ。 去年とおなじように今年も病院でクリスマスと年末年始も過ごすことになった、じつは肺炎で入院している。肺炎ってはじめてなったけどけっこうヤバい。 いつもの仮病とは明らかにちがう様子にが異変を感じ、大学病院まで連れてきてくれた。検査をするとCRPというよくわからない数値が49(4.9じゃないよ49)というハイスコアを出していた。 さきにいっておくけど肺炎球菌って日中のどこにでもある菌だから、ネパールがどうとか関係ないからね。ネパールは感染性胃腸炎、つまり下痢と嘔吐の方が怖い。菌が恐ければ滅菌室に引きこもっていればいいのだけど、人生なかなかそうもいかない。 帰宅まぎわの担当医がきてくれて、このまま死ぬ可能

    死ぬかもしれないから、言っておきたいこと。|幡野広志
    toya
    toya 2018/12/27
    「妻はぼくの意見を尊重してくれるけど、妻やぼくの親族などが外野席から妻にアドバイスというなの野次を飛ばす」
  • www.さとなお.com(さなメモ): アニサキスにあたって、一生ほとんどの魚が食べられなくなった話

    ※今後、この記事のアップデート版はnoteに書いていきます※ ※最新版は、こちら(note)をご覧ください。よろしくです※ 少しポジティブになってきたので、書いてみたいと思います。 ここ1ヶ月半で経験したことを。イヤ、経験してしまったことを。 怖いですよ、アニサキス。 これから書くのは「誰でもなる可能性がある」リスクのお話です。 「あ〜、アニサキスってアレね、サバとかイカとかサーモンにいる寄生虫ね。それが生きたまま胃や腸に入ると、胃壁とかい破られて強烈な腹痛に悶絶するヤツでしょ、友達にもいるわ〜、それに気をつけろってことね」 違います。 それも怖いけど、それはいわゆる「アニサキス症」。 内視鏡でアニサキスを掴み出せば治るし、数日我慢すればアニサキスも死んじゃいます。 ボクがいまからするのは、「アニサキス・アレルギー」による「アナフィラキシー・ショック」のお話。 死にかける上に、一生治らな

    www.さとなお.com(さなメモ): アニサキスにあたって、一生ほとんどの魚が食べられなくなった話
    toya
    toya 2018/05/09
    どうかお大事になさってください(としか、言えない……)
  • 認知症発症を公表、長谷川和夫医師に聞く 患者だからこそ分かる「生」の尊さ(1/3ページ)

    高齢化の進行に伴い、認知症を発症する人は7年後に700万人、高齢者の5人に1人に上ると予測されている。そうした中、認知症医療の第一人者で、昭和49年に認知症を鑑別する「長谷川式簡易知能評価スケール(長谷川式認知症スケール)」を開発した医師の長谷川和夫さん(89)が昨年、自らの認知症を公表した。発症後に感じたこと、伝えたいことなどを聞いた。(聞き手 加納裕子) ◇ ◆特別な待遇しない --認知症になったと、どう自覚しましたか 長谷川和夫医師 まず、時間の観念が薄くなった。今日が何月何日か、日めくりカレンダーで確認しても納得できなくて、何回も確認したのが始まり。また、出かけた後に「鍵をかけたかな」と、家に戻って確認する。その後、また確認したくなる。それを何回も繰り返し、これはおかしい、自分はアルツハイマー病じゃないかと思った。 --診断はどのように 長谷川 1年ちょっと前に医師の息子が僕を診察

    認知症発症を公表、長谷川和夫医師に聞く 患者だからこそ分かる「生」の尊さ(1/3ページ)
  • 「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」の改訂について |報道発表資料|厚生労働省

    平成30年3月14日 【照会先】 医政局地域医療計画課在宅医療推進室 室長補佐 堤 翼 (内線4134) 係 長 田中 史朗 (内線2662) (代表番号) 03(5253)1111 標記について、「人生の最終段階における医療の普及・啓発の在り方に関する検討会」での検討を踏まえ、日、改訂いたしましたので、お知らせします。 【主な改訂のポイント】 高齢多死社会の進展に伴い、地域包括ケアの構築に対応する必要があることや、英米諸国を中心としてACP(アドバンス・ケア・プランニング)の概念を踏まえた研究・取組が普及してきていることなどを踏まえ、以下の点について改訂を行った。 1 病院における延命治療への対応を想定した内容だけではなく、在宅医療・介護の現場で活用できるよう、次のような見直しを実施 ・ 「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」に名称を変更 ・ 医療・ケア

  • 絶望だって、分かち合えば希望に変わる。熊谷晋一郎さんが語る「わたしとあなた」の回復の物語 | soar(ソア)

    「わたしらしさ」、「わたしらしい生き方」…そんな言葉をよく聞くようになった。 多くの場合、こうした言葉は「自分の人生を自由につくっていくのだ」という前向きな意思や希望を伴った文脈で発せられているように思う。 だけど、「わたし」とはそれほど自由な存在なのだろうか。 病気や障害の苦しみや心の痛み、うまくいかなかった仕事や人間関係、忘れてしまいたい傷やトラウマ…それらも全部含めて「わたし」なのだと言われたら、いったいどうやって希望を語ることができるのだろうか。 2017年12月10日、さまざまなゲストの方と共に「回復」をテーマにした対話を行った「soar conference 2017」。第1セッションのゲストは、東京大学准教授の熊谷晋一郎さん。障害や病気の当事者が、グループで経験を分かち合いながら自身の困りごとを研究対象としてときほぐしていく「当事者研究」という営みに携わる研究者であり、自身も

    絶望だって、分かち合えば希望に変わる。熊谷晋一郎さんが語る「わたしとあなた」の回復の物語 | soar(ソア)
  • 女社長、再び入院する「まさか私がおっぱいおっぱい言うようになるなんて…」|ウートピ

    今回は誰にも隠す必要が無いので、スケジュール調整もさくさくっと、過分なストレスなく入院日を迎えられた。ただ、入院を伝えると「すわ!再発なのか!」とあちこちで一瞬、心配をかけることとなってしまった。「今回は形成手術」というと皆安心してくれたのだが、小林麻央ちゃんのブログの影響で、今では多分全国民が、乳がんの転移やステージに詳しくなっている感がある。 何より、まだ若い彼女が闘病生活をブログで発表したことによって、幅広い世代の女性達が「乳がん」を自分事としてシュミレーションする機会になったはずだ。検査へも行く人も増えるだろうし、保険に入る人も多くなると思うので、乳がん患者以外の女性達にとっても、自分自身の体に向き合い、将来に備えるきっかけになったのではないだろうか? 備えあれば、罹患してしまった時(罹患しないのが一番良いのは当たり前として)に、選択肢が増えるし困窮しない事につながる。 元キャスタ

    女社長、再び入院する「まさか私がおっぱいおっぱい言うようになるなんて…」|ウートピ
    toya
    toya 2017/09/15
    書籍化楽しみです/これたまに考えるな「私や妹が独身だった頃、この子たちはどこにいたのだろうか?夫や義弟が他の女性と結婚していたらどうなっていたのだろうか?」
  • 4ヶ月ほど入院してプログラマとして感じたこととか | そんなこと覚えてない

    毎月スライドが公開されてたブログが突然と更新されなくなって驚かれたかもしれませんが、3月20日から4ヶ月ほど病院に入院していました。 せっかくなので、入院している中で感じたことを書き下しておきたいと思います。 (しかし、この記事は書き始めて1ヶ月後に公開されたため、ある程度日常生活をした上で書かれている) 記事を結論を述べておくと「プログラマはこんな体でも世の中に貢献できる可能性がある」と感じた。 座っていて作業できて、リモートワークできる。努力しだいでは、世界で活躍するのも可能だ。 (世界で活躍はできていないけど) ざっくり目次 一体なにがあったのか 入院中に感じたこと 入院生活で改善したいこと 今後のこと まとめ 一体何があったか 心臓の血液を全身に流すチカラが弱くなってしまった。 もともと弱くなっていることはわかっていたが、これが悪化してしまい日常生活ができなくなりました。 そこで

  • 産まない選択(がん治療と卵子凍結についての話) - おっぱいサバイバー

    特別お題「『選択』と『年齢』」 いままでの人生をふりかえると、いくつもの選択をしてきました。一番初めにあった大きな選択は、中学3年生のとき、進学先を決めたことと、それにともなう入寮でした。その後も、進学、就職、引越し。誰かと付き合うこと、別れること。結婚すること。大きな買い物。...と、それぞれ家族や友だちの反対もあったけれど、すべて自分の意思で決めてきました。若くて健康だったわたしは、諸々のしがらみや、年齢はあまり気にせず「自分がやりたいか?」だけで選んでいたと思います。 乳がんになり、治療方針を決めるとき、医師から、ある選択を迫られました。 「子どもを産む可能性を、できるだけ高く残したいですか?」 妊孕性(にんようせい)といわれる「妊娠のしやすさ」は、基的には年齢によって決まり、高齢になればその可能性は下がる、ということはよく知られています。 抗がん剤治療をすると、妊孕性が下がるとい

    産まない選択(がん治療と卵子凍結についての話) - おっぱいサバイバー
  • それでもわたしは生きていく - おっぱいサバイバー

    小林麻央さんの訃報。あらゆる感情が押し寄せて、うまくことばにできません。 もちろん悔しさはあるけれど、どこかで、やっとつらい闘病が終わったのだという安堵の気持ちがあります。どうか安らかに休まれることをお祈りしています。 正直にいえば、いつか遠くない未来にこうなることは、わたしを始め、きっと多くの乳がん患者がわかっていたと思います。それでも気丈にブログを更新し生きていく麻央さんと、いつも通りに仕事を続ける海老蔵さんに、がん患者の生き方と夫婦の愛の形を学びました。 わたしは、自分の乳がん告知後しばらくは、芸能人のがんと向き合うことができませんでした。感情移入をしすぎて、他人事とは思えなかったからです。いまは、ほとんど元の生活に戻り、がん患者も一人一人全員違い、「わたしはわたしで生きていく」という気持ちが強くなりました。だから、もしも、この報道に向き合えない、乳がん患者やご家族の方がいても、それ

    それでもわたしは生きていく - おっぱいサバイバー
    toya
    toya 2017/06/23
    「でも、残ったものは、どんなことがあっても生き続けないといけない」
  • 司祭としての医師 - megamouthの葬列

    以下に、人の死について、非常に生々しい話を書く。 なので、直近に肉親を亡くされた方や苦手な方はご遠慮いただきたい。 news.livedoor.com というネットニュースを見た。 そもそも私はくわばたりえが好きではなく、それは彼女が仕事として代弁しようとしている層と、彼女がわざわざ着目するある種の醜悪な人間性に我慢ならないからで、大抵の場合、私はTVで彼女を見かけるとチャンネルを変えてしまう。だが、それは稿の主題ではないので、さておく。 このニュースを見て思い出したことがある。父を看取った時の事だ。 父が倒れた、という電話を受けた時、私は会社で仕事をしている最中だった。 私は、上司に事情を伝え、タクシーに飛び乗ると、自宅に向かった。 父は以前から心臓を悪くしており、その少し前からベッドからほとんど動かないような生活をしていたので、タクシーの中の私は半ば覚悟をし、半ば今回もなんとかなるの

    司祭としての医師 - megamouthの葬列
  • 「こんにちは、ニュー川崎貴子です」 女社長、第二の人生がスタートする|ウートピ

    女社長、「ニュー川崎貴子」になる 普段は面会時間に間に合わないので来れなかった夫が次女を連れてやってきた。長女はあることで私に怒られたため、一緒には来なかったようだ。「明日、一人で謝りに行く」という伝言を受け取る。はぁ~。子育ての茨道は続くよどこまでも。入院中であろうと、乳がんになろうと。 先生から外出許可が出たので、廃液パットを首から下げて久しぶりに外出着に着替え、3人で病院前の公園へ出かけた。子豚公園という名の小さな公園で、子豚のようにまんまるな次女が遊ぶのを平和に眺める。秋の澄み切った空気が香しく、燃えるような紅葉が目に美しい。 見るもの全てが細胞レベルでもキラキラしてるように感じるのは、「しばらく病院から出られなかったから」という理由だけではあるまい。 昔、「どうして人を殺してはいけないのか?」という若者の質問にある作家がこう答えていた。 「人間の赤ちゃんというのは、放っておけば死

    「こんにちは、ニュー川崎貴子です」 女社長、第二の人生がスタートする|ウートピ
    toya
    toya 2017/04/28
    「何より我が家には、これから思春期に突入するめんどくさい女がもう一人いるのだ。思春期VS更年期の仁義なき戦いにより、我が家の市民(夫や次女)をも抗争に巻き込んでしまいそうである」
  • 急性骨髄性白血病で入院しました - オーシャンブリッジ高山のブログ

    「つかえるITを、世界から。」をミッションとする(株)オーシャンブリッジのファウンダー、高山知朗(のりあき)のブログです。 もともとは社長ブログとして始めましたが最近は4度のがん(脳腫瘍、悪性リンパ腫、白血病、大腸がん)の闘病記が中心です。 今週の月曜日から虎の門病院に入院しています。先週の定期通院時の検査で「急性骨髄性白血病」が見つかったためです。 前回三年前の「急性リンパ性白血病」とは別の病気です。つまり再発ではありません。過去の治療の影響により発病した治療関連白血病、二次性白血病とのことです。脳腫瘍から数えて三度目のがん、そして二度目の白血病です。 つい先日、一月末に、一年以上かけて交渉してきたオーシャンブリッジのM&Aがまとまって、役員から退きました。不安から解放され、体力も少しずつ回復してきて、やっとこれから、当の意味で家族と自分のための人生を送っていけると思っていた矢先の告知

    急性骨髄性白血病で入院しました - オーシャンブリッジ高山のブログ
  • 子宮を全摘出する手術の立会人に「おっさんレンタル」を頼んだ話

    更新日:3月2日09時31分

    子宮を全摘出する手術の立会人に「おっさんレンタル」を頼んだ話