ブックマークしました ここにツイート内容が記載されます https://b.hatena.ne.jp/URLはspanで囲んでください Twitterで共有
昨年末にうっかり死んでしまったやましろさん。第一回チキチキjava-ja ymsr送別会に行ってきた。 やましろとは誕生日がほとんど変わらない同い年の友達で、焼肉食いに行ったり、java-ja.childrenという次世代java-jaと遊ぶ会をやったり、やましろがうっかりチャーターした東京湾花火クルーザーに自分がガチ船酔いする体質なの忘れててうっかり乗ったりした、そんな仲だった。俺の家にも2回来てもらって一緒にパーティしてる。こねこぴーもずいぶん遊んでもらった。最初に知り合ったのがどこだったかハッキリは覚えていないのだけど、java-jaの開催ログを見ると第三回にはやましろが参加していて第四回にはメイド喫茶について語っていた。 やましろが死んだことを発端としていろいろなことを考えてはや十数時間みたいな状態で、頭の中はどうにもまとまりそうにない。ダンプすると壮大なやましろポエムができあがり
zekitterというツイッタラーが局所的にTwitterで炎上をエンジョイしているんだけど、まれに鋭いことも言っており、いつだったか電車のドアーの前に立ち塞がる人々のことをケルベロスと呼んでいた。 的確であるので、僕もそう呼んでいる。男子、外に出ると七人の敵がいると言う。電車に乗ればケルベロス。日々東京都市のどこかで終わりなき戦いが繰り広げられている。 ケルベロスにも色んな種族があって、老ケルベロスからメスケルベロス、酔いどれケルベロスなどがある。若いケルベロスの一群が「うほほー混んでるー」とテンションが上がっていると本当に厄介。 人によって戦闘スタイルも色々あって、真正面からぶつかる、懐に潜り込む、ケルベロスのカバンの肩紐を引っ掛けて引きずり下ろすなどがある。だが「降ります」と交渉して理解を促すことや、ケルベロスの脇をすり抜けるなど無用な戦いを避けることが望ましい。言葉が通じるケルベロ
http://anond.hatelabo.jp/20140217163811 まあ聞いてくれ。信仰心などはじめからなく、純粋に飯を食う為だけに聖職者となった人間からのアドバイスだ。 その宗教を客観視できるのならば、入信するのはやめておけ。 祈るだけならばイワシの頭に対してだってできるし、 祈るだけならば他者は必要ない。 あんたがそこで見た他の連中は、あんたの持ってない信仰心を持ち、あんたの知らない生き方をしてるわけではない。 信仰心が強いのではなく、ただ単に、現状の生活において他の逃げ道がないだけだ。 信仰心は依存心と何も変わらない。依存の対象が人ではなく神となるだけであって、精神的自立には結びつかない。 ただそれでも傍から見れば、“信仰厚い人”という評価がなされ、“神への感謝と敬意を忘れない人”という見方がなされてしまう。 通常の価値観の持ち主なら当然、それのどこがいけない?と思うかも
信仰心っていうのは時として人を支える力になると思っている。 私には昔から特別な信仰心はないし、時々仏壇に手を合わせるくらいだけども 信仰心を持つというのは、どんなものなのか? また支えられる部分があるのかどうか? 比較的大きめだけど、そんなに有名ではない宗教団体。 誘導してくれたおばちゃんは気のいい面倒見の良い女性。まあただ その周りにいた人たちは、ちょっと狂信的で引いたけど。 その宗教の代表の言葉に、まったく心が震えることはなかった。 どちらかとうと集団の信仰のおかしさを感じた。 でも、一心に何かに対して想いを祈るという祈念の信仰は 普段の俗生活のなかで降りつもった「何か」を電気のアースのように 空中に放電してくれる役割を感じることはできた。 団体や代表に対して何も感じないが、祈る行為の尊さは案じたかな。
仏パリ(Paris)のレストランで、ソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)に写真を投稿するため、スマートフォンで料理を撮影する男性(2012年7月19日撮影、資料写真)。(c)AFP/ANA AREVALO 【2月17日 AFP】小粋なフレンチレストランで料理の写真を撮影すると、シェフが激怒してキッチンから飛び出してくるかも知れません──。 ソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)にアップするため、客がスマートフォンで料理の写真を撮ることに、ミシュランガイド(Michelin Guide)に名を連ねる店のシェフたちは、いい加減うんざりしているようだ。このような料理の写真を撮影してSNSに投稿する行為は「フード・ポルノ」と呼ばれている。 フード・ブロガーはもとより、シェフの中にも無料の宣伝になるとして写真撮影を擁護する声も聞かれるが、最近では度が過ぎているという意見が多数派を占めて
米ニューヨーク(New York)タイムズスクエア(Times Square)にある教会内に置かれた聖書(2013年12月12日、資料写真)。(c)AFP/Getty Images/Spencer Platt 【2月17日 AFP】比較的信仰が厚い国の米国では、科学と宗教を容易に融和させることができるとの調査結果が16日、米シカゴ(Chicago)で開かれた米国科学振興協会(American Association for the Advancement of Science、AAAS)の年次会合で発表された。 米テキサス(Texas)州ライス大学(Rice University)の研究チームは、科学者や福音派プロテスタントの信者などを含む米国人1万人以上を対象とした調査を行った。 社会学者のエレイン・ハワード・エックランド(Elaine Howard Ecklund)氏は「福音派(キリス
桃屋は2月下旬から、新商品「さあさあ生七味とうがらし 山椒はピリリ結構なお味」を先行販売します。対象エリアは東京、神奈川、千葉、埼玉、茨城、栃木、群馬、山梨で、順次全国に拡大予定とのこと。桃屋オンラインショップでの販売価格は400円(税込)です。 ▽ https://www.momoya.co.jp/products/detail/namashichimi.php 「さあさあ生七味~」は、「辛そうで辛くない少し辛いラー油」や「きざみにんにく」などを発売してきた食べる調味料シリーズの新商品です。山椒(さんしょう)のフルーティーな香りとしびれる辛味を生かすため、唐辛子を控えめに使用。ほか、ゴマ、ショウガ、のり、ネギ、ゆず皮の計7つの素材を、なたね油でコーティングしています。 内容量は55グラム。小さじ1杯(3グラム)当たりのエネルギーは、13キロカロリーです。桃屋によると、めん類や鍋、冷奴の薬
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E-WA/いーわ @ewa4618 「気象兵器だ」 RT @ryoko174: 都知事選での反原発派の負け惜しみフレーズ候補を一つ追加しておきます。 「候補一本化すれば勝っていた」 「しょせん都民は愚民」 「不正選挙だ」 「ぜんぶ雪のせいだ」←New 2014-02-07 19:10:44
この項目「昭和38年1月豪雪」は加筆依頼に出されており、内容をより充実させるために次の点に関する加筆が求められています。 加筆の要点 - 大きな被害が出た広島での出来事について (貼付後はWikipedia:加筆依頼のページに依頼内容を記述してください。記述が無いとタグは除去されます) (2017年12月) この項目「昭和38年1月豪雪」は加筆依頼に出されており、内容をより充実させるために次の点に関する加筆が求められています。 加筆の要点 - 京都府北部・丹後地方の状況について (貼付後はWikipedia:加筆依頼のページに依頼内容を記述してください。記述が無いとタグは除去されます) (2019年2月) 京都府峰山町の三八豪雪の被害を伝える毎日新聞の記事 昭和38年1月豪雪(しょうわ38ねん1がつごうせつ)は、1962年(昭和37年)12月末から1963年(昭和38年)2月初めまで、約1
(CNN) 米国の一部の教会に伝統として受け継がれているヘビ使いの儀式をテレビ番組で披露して有名になったケンタッキー州の牧師が、ヘビに噛まれて死亡した。 同州ミドルバロ郡の警察によると、ジェイミー・クーツ牧師は15日夕、ヘビに噛まれ、治療を拒んで死亡した。信者によると、クーツ牧師は聖書の1節を根拠として、神に選ばれた者は、たとえ毒ヘビに噛まれたとしても害はないと信じていたという。祖父の代から受け継いだヘビ使いの伝統を息子にも伝え、教会を継がせたい意向だった。 ナショナルジオグラフィックのテレビ番組では、マムシやガラガラヘビなどあらゆる種類の毒ヘビ使い術を披露。ヘビ使いは教会の神聖な儀式であり、「自分の揺るぎない信仰を示す手段として、危険を冒す価値があると考えていた」(ナショナルジオグラフィック広報)という。 同番組では、クーツ牧師がテキサス州で息子や信者と共に、岩の下に隠れているヘビをつか
第3章■作曲家という仕事 ♪次に「作曲家」という職業について詳しくお聞きしたいんですが。まず、えーと、作曲家というのは…職業…ですよね? うーん、あまり自信はありませんね(笑)。作曲家になってからもうかれこれ25年ほどになりますけど、いまだに「職業」を「作曲家」と言い切るのにはどうも抵抗があります。はっきり言って「作曲家」と言うのは、働いて、報酬をもらうという正しい意味での「職業」ではないですからね。 ♪そうなんですか? 同じ音楽家でも、「演奏家」は職業として分かりやすい。1回コンサートで演奏すれば「出演料」が収入になりますからね。そして、有名になり人気が出ればその「金額」が高くなり、たくさん演奏すればその分だけ収入は多くなる。「仕事」と「報酬」の構図がハッキリしているわけです。でも、作曲家にはそれがない。 ♪でも、曲を書いて報酬をもらっているわけでしょう? いや、もちろんポップス
推敲とかする気はない。思いついたまま書いてそのまま公開しておわる。故人の話の上不謹慎だが、気に食わない人も読んでよい。 昨日は山城の送別会だったので、送別してきた。 いろいろ悩んで、俺は会社を辞める友人の送別会くらいの気分で、参加することにした。俺は、もう十分皆悲しんだのだから、今度は笑わないといけないと、すごく強く思っていて、笑い飛ばして終わるために必死で笑っていた。ちょっと必死すぎてキモいくらい必死だったと思う。 今ここで笑わないと、次笑えない気がした。俺は今後も楽しく彼の思い出話をしたいのだ。苦い思い出になるのは、まっぴらごめんだった。 何人か泣いて、たくさんの人が笑って、あーやっと終わったぞ、これで俺はこれで山城を笑い話に出来るぞ、大丈夫だぞ。多分こうでいいんだ、もうこれ以上泣くと次はないぞ、だめだぞ、と思って、あー、うん、終わった。 送別会の後半、好きにマイクを奪って好きなことを
(個人の日記レベルのエントリであり、故人の思い出語りなので、ご存じない方はそっと閉じてください) 俺たちの幹事 @yamashiro が亡くなってしまった。知らせを受けたときは正直現実味が感じられなかった。知らせてくれたのが @meso だったから真面目に受け取ることができたというか、最初は java-ja の悪ふざけの一種かもしれないと思ってしまった。 今日 (日付上はもう昨日のことだが) 彼の送別会があった。皆で LT したり、真冬なのに打ち上げ花火を見たり、遺品を奪い合うビンゴ大会を行ったり、 java-ja らしい露悪的で自重しない送別会だった。今日会った人たちは皆それぞれのやり方で @yamashiro の死を受け止めようとしているので、そして遺族である妹さんも送別会で「書いてほしい」と仰っていたので、久しぶりに個人の日記を書こうという気になった。 送別会の帰り道で思い出したのは
昨年末、@Yamashiroが亡くなった。訃報を聞いたのは12/4の夕方だった。その日は、珍しく@j5ik2oからちょっと電話できるか?とFacebook messengerが飛んできた。飲みの誘いかなと思っていたら@Yamashiroの訃報だった。知らない人に伝えてほしいと社内の人や@kwappaに連絡した。 その日は、java-ja忘年会でもあり幹事は@mesoが引き継いで開催された。ぼくは色々あって忘年会は欠席だったので「なんかあったら連絡取れるようにしといたほうがいいだろ」という理由をつけて22時過ぎまで会社に残っていた。翌日、僕は@mesoと会社で話しながら「幹事がドタキャンとか最後まで迷惑な奴だな」とか言っていた。 彼が亡くなる直前は正直な所の関係性は良くなかった。彼自身にも思う所があってそのようなことをしていたのだろうけど、僕の目から見てそれは明らかにダークサイドだろというこ
山城のことを書くとなると必然的に長くなる。そういうのは面倒だからこの一ヶ月ほど、書き出してみては消すことを繰り返していた。とはいえ昨日の送別会でご親族から背中を押されもしたので、長すぎて読めないタグ覚悟で書けるだけ書いておこうと思う。あの世からもはてなブログは読めるだろう。なんせそっちには、しなもん会長だっているんだろ? 山城の訃報を知ったとき、ああ彼の番が来たのか、と考えた。ずいぶん早いじゃないか、と。それから、ひどく動揺した。訃報はAWSのセミナーを受けていたときにDMで受け取ったのだが、その後の受講内容はまったく覚えていない。動揺してしまった。どうせ人は死ぬ、だから誰が死んでも、それがたとえ自分であっても冷静でいようと決めていたのに、結局うまくいかなかった。 だって死んだのは山城だ。 山城との関係を語るのは、私には少し難しい。親しい友人というほど近い距離にいたわけではないし、おそらく
知り合いの弔事というものが最近まったく無くて忘れていた。人は死ぬ。 java-jaの忘年会にふらっと参加したところで聞いてたんだけど、いろいろ気分の整理もつかなくて、今日あった追悼イベントには行かなかった。あまりjava-ja的な活動で関わってはいなかった、という気分の問題もある。 俺は山城と同い年だ。飲み会で顔を合わせたときには、なんかすごいテキトーな感じで会話してた。技術の話とか、たぶん一度もしたこともないと思う。なんかそのへんにいる、似たような業種で、似たような職種で働いている、飲み友達だった。 最後に会ったのは某ビルのエレベータホールで、その時に彼がいるはずじゃない場所だったから、あれっと思ったのを覚えている。なんでここにいんの? そりゃこれこれこういう事情で。そっかー。おっす、また今度飲もうぜ。 まだその約束を果たしてない。またね。
java-jaの山城さんが去年の12月に亡くなったということで、送る会。 ymsr送別会 @yamashiro 最後に会った日 山城さんに最後に会ったのは、去年の10月にビープラウドに遊びに来た時でした。 BePROUD でモヒカンの仕事の邪魔してるなう 2013-10-04 16:27:47 via TweetDeck この一ヶ月ぐらい前にも六本木のビアガーデンに飲みに行ったり、屋形船に乗ったりと、飲み友達?みたいな感じでした。 初めて会った日 初めて山城さんに会ったのはjava-jaの第十二回のようです(あんまり覚えてない) 第十二回 - 天下一java-ja(ββ) 思い出とか 私が山城さんと話すときの話題は、「仕事の現場でどのような問題があってどういう風に解決した」とか、「こうすればエンジニアが幸せになれるのでは」、とか割と真面目なものが多かったように思います(それ以外の話を覚えて
家庭の事情で送別会には参加できなかったこともあるので、みんな以上にいっぱい想いを書きたいが、自分が知ってるのってどこまでなんだろう?もしかして全然知らないんじゃないかって不安になりながらも書いてみることにする。 完全に思い出話なので、知ってる人だけ知っといてもらえれば良いかと思います。 もっと書くことべきことをあとから思い出すかもしれないので、その時には追記します。 たしか彼と最初に遭遇したのは 1ksp#5 だったと思う。 当時の彼は女子大生とビリヤードしているところを友人に twitter でリアル実況されるなど、コンテンツとしての地位を確立しつつあるエンジニアだった。 この時はまだ、自分とのからみはなく、実際に頻繁にからむようになったのは彼が自分が勤めていた会社にやってきてからだ。 彼が年齢で 1 つ上で近く、家も近かったということもあり、プライベートでもけっこうからんでいた。30
僕のところにymsrの訃報が飛び込んだのは、12/4のjava-ja忘年会の夜にymsrを通じて友人となった@loveatからの電話だった。不慮の事故で死んだって聞いたけどマジかっていう確認の電話を僕にくれた。電話をくれた彼の声も、震えていた。 その時、僕は仕事の帰りで名神高速道路を走行していた。「いや、俺のところにはそんな話来てない。ごめんな。」で電話を切ったあと、あまりの話に驚いて直ぐに最寄りのSAに車を停めた。悪い冗談で確認電話が来ることもない。そういうことなんだろう。とにかく落ち着きたくてタリーズに駆け込んでコーヒーを飲んだ。で、facebookを見た。主語は隠されているけど多方面から似たような雰囲気のPOSTがあって、なんだよこれはっていう複雑な気持ちを一掃したくて一気に珈琲を飲み干したことを覚えている。 僕は2003年からブログを始めて、2006年にはてなダイアリーに移行した。
Ymsr送別会 #Ymsr Sun, Feb 16, 2014 One-minute readこのエントリは #ymsr というハッシュタグについて書かれている。なんのことかわからない人はタブをそっ閉じしてね。 メッセで済まない用件はだいたいロクでもない山城という男が死んだ。去年の12月のことだ。交通事故だったらしい。 仕事してたら、 @regtan からFBで「電話していい?」ってメッセージが入った。メッセで済まない用件はだいたいロクでもないものだってことはよく知ってる。対衝撃姿勢で覚悟を決めて「さあこい」と電話に出たら、この話。 人間心底びっくりすると「・・・まじで?」としか言えないもんだな、と改めて思い知らされた。 またよりにもよって、その日はjava-ja.忘年会2013の当日。 @meso が急遽幹事を引き継いだので、俺も勝手に手伝うことにして受付係をやっていた。近くのコンビニに
人間は死ぬ 身近な友人が死ぬというのは人生初めての経験だった。送別会は悲しい一方で最高に楽しかったのは事実で、印象的だったのは参加者がくちぐちに「気持ちに区切りがついた」と言っていた事だ。自分は一昨日まで葬儀の存在意義がわからず、葬式など必要無いと考えていたのだが、それは死者のためでは無く、生き残った人々のためにあるというのが理解できた。弔いの儀式は人類が古くに編み出した文化的な行為であると。 Bye Bye Yamashiro. この様なバカ騒ぎをしながら氏を偲ぶのはjava-jaに必要な儀式なのだ。 俺と山城 彼とは職場が一緒になった事は無いが、java-ja.jsというイベントを一緒にやったりしていた。歯に衣を着せぬ物言いをしてくれる貴重な友人でもあった。 最後にちゃんと話をしたのは、同じビルで働いていた時に、職場の近くでランチをした時だ。彼は「Google AnalyticsをGo
ブログ書くまでがなんとやらで。遅くなりますた。 さてYmsrの送別会に逝ってきた。いろんな人が色々書いているので詳細は書かないけど、花火もあがり、MBAで包丁もしたし、ベルギービールではれてMBAも破壊して、これでみんな前向けるんじゃないかなと。というかそのための会だったと思いたい。太一、よしおり、Mesoたん、他幹事みなさん本当にお疲れさまでした。とても良い会だった。 山城と僕は実はそんなに親しい関係というわけじゃない。ただちょっとアレがアレな感じでwww、お互い意識せざるを得ない関係であった事は間違いないw 一時期は確実に一歩ひかれていた。「おー、山城元気」(山城一歩あとずさりする)、みたいな。しかし、このネタ、当の本人がこの世を去ったあたでもまだ引っ張るのかと思いつつ、まあそれはそれで関係があってうれしい気もする。まさかお別れの会でもこのゲスいネタをやるとは思いもしなんだよ。。。 正
送別会には行ってないけど、僕もやっぱりお別れが言いたくてblogを書いた。 誰にも言ったことがなかったけど、艦これやってて山城という戦艦を見かける度に思い出してる。 ymsrさんに会ったのは、java-ja.jojo #2が初めてだったと思う。 その次が、Kuniaki.rb(main):001:0> - Kuniaki.rbだった。 訃報を聞いた時に、なんだか信じられなくて Kuniaki.rbで会った時に、LTをしていた姿がずっと脳内ループしていた。 joker1007さんが言ってるけど、僕も本当に同じことを思った。 人の死に触れたことが無いわけじゃないけど、自分より少し年上ぐらいの人間が死ぬなんて事はまだまだ遠い話だと思っていました。今でも良く分からない。 http://d.hatena.ne.jp/joker1007/20140215/1392482953 気持ちばかり先行して、う
一年くらい前に、とりあえずとっておいたはてなブログを初めてきちんと書く。 去年末のこと。至るところで書かれてるけれど、昨日はymsrさんの送別会だった。最初に報せを聞いたのは、仕事中で後輩からのIMだった。現実感が全然なくて、でも、その報せは社内で所縁のあった方々に回っていっていて、こんなにも突然で、こんなにも人生って非情なのかー、と思った。帰宅して、周りの所縁のあった方々がネット上で悲しんでるのを見て、ちょっとずつ現実感が湧いてきて、「ああ、もういないんだ」ととても悲しくなったのを覚えている。 思い出。当時自分がインフラを担当していたシステムのメンバーとしてアサインされてからいくらか経った頃だったか、その前だったか今となっては記憶があやふやだけれど、彼から誘われて囲まれる飲み会に行ったのが、なんやかんやと彼と飲むきっかけだったと思う。 それから色々とIRCでくだらない話をしたり、ちょいち
第一回チキチキjava-ja ymsr送別会 に参加してきたよ。 最後の餞として花火を送った。 山城花火! #ymsr pic.twitter.com/oY9dvAQBwY— (λ_ → かとじゅん) (@j5ik2o) February 15, 2014 ついろぐで@を送った相手を調べてみたら、山城が一番多かったな。 そのツイートを調べたがほとんど中身がないなと思ったら、Facebookメッセンジャーで結構話してた。 山城との最初の出会いは、たぶんSeasar Conferenceの懇親会だったと思う。彼もScalaが好きということで2011年5月ぐらいから話すことが多くなった気がする。同年8月には彼の紹介でドワンゴ社に転職した。彼を通してドワンゴ社内の人間関係を作ったといってもいいかもしれない。 ドワンゴに入社してしばらくして、Scalaを使うことができる新規案件をゲットした。チームに
(以下、基本的には故人の公開情報のみを元にした記述です。まずいとこありましたら、Twitter @DrFaust まで。) やましろ・ゆたかは、神奈川の人である。またの名を 世界のymsr , ymsr先生 など。 はてなidを id:Yamashiro0217、Twitterアカウントを yamashiro、githubアカウントをyamashiro としていた。 2013年11月30日、彼は流れ星を見に行った。このときなにか危険な目にあったらしい。が、これとは関係なく、その3日後の12月3日、彼は事故に遭い、それが元で死んだ。彼の最後の自筆ポストは、11月30日早朝の「死ぬかと思った」 であった。それ以降に、2つの RT がある。 彼は大学受験のとき、横浜キャンパスが近いため、神奈川大学を受験し合格した。しかし、通うこととなった平塚キャンパスは「くっそ遠かった」。 彼は、Java をメ
2014-02-16 やましろさん 彼と初めて出会ったのは2009年のvim勉強会のときだ。と、思ってたけど違った。そこでレオさんにはじめて出会って、MerbJogという皇居ランwith技術トークなイベントをやっていることを知って、OOPJogという名前でパクってはじめて、でそれからだ。彼はvimの勉強会でも楽しそうなら来そうだけど、基本eclipseメインだろうし、違和感を感じてた。記憶はすげー曖昧だな。 最初のやり取りは「OOPJogっていうイベントをやってるid:tsuyoshikawa」ですっていう切り出しに、ニコニコ笑いながら「java-jaのNo.2のやましろです」という返しで始まったは覚えている。自分はジョグイベントに紐づけて自分を不特定多数の人に覚えてもらおうと、名前を売ろうとしてた。それだけ言うと必死な感じだけど、2009年というとだいたいエンジニアでのtwitterブー
訃報を受けたのは、「怖いScala」というイベントの一週間後で、忘年会のときだった。 山城との思い出は、温泉とか朝まで飲んだりとかメイド喫茶行ったりとか色々あったけど、直近で印象に残ってるのは、太一と俺と山城と三人で飲んでるときに、アイツが「総理大臣になりたい。俺ほど総理大臣になりたいと思ってる奴はいないからきっとなれる!」とか妄言吐いてたのを太一と二人で徹底的に論破したこと。 今日もいつも通りみんなで飲んで、LTして、馬鹿な話で盛り上がって、山城いなかったけどそれが彼の残したものだと安心したし、それでもやはりちょっと寂しかったけど、でも楽しかっし、これからまたみんなで飲んでるときも、山城いないけど山城を感じることができそうな気がしたので、山城は仮想化されて物理山城は存在しなくても論理山城はみんなのなかにいるみたいだし、それはそれでひとつのあり方だと感じた。 だから、さよならはいわないでお
ある夏の日、山城さんが隣の席に引っ越してきた。騒がしかったので覚えている。 あっという間に、山城さんの私物の書籍とか箱とか本棚とかぬいぐるみがあたり一帯を占拠していて非常に狭くなった。 山城さんは体格が非常に大きく、さらにその後ろに座っている加藤さんの体格も同じくらい大きいので、もはや、私の左側は簡単に通行できなくなった。 山城さんの席の机は、一見、雑然としているが、ミクのフィギュアがおいてあって、座ったらパンチラがちょうど見える角度になっていた。そこだけ計算されたかのようだった。 数ヶ月して、彼とともにやってきたプロジェクトがポシャったときに、 その引導を我々メンバに告げる会があり、部屋を輪になって囲むかたちになっていたのだが、その時に私の対面にいたのも山城さんだった。 私はプロジェクトがポシャったことがとても悔しく、やるせなかった。 だが、たまたま目にはいった山城さんはとても笑顔だった
年末のjava-ja忘年会に出た時にyamashiroさんの訃報を聞いて、訳の分からないまま飲み明かした日から1ヶ月半、今日はyamashiroさんの送別会に参加してきました。 その送別会でyamashiroさんを送るための花火が上がりました。 自分がいきなりこの世から居なくなった時に、花火を上げてまで馬鹿騒ぎしてくれる友人が居る彼を心から尊敬します。 今日LTしていた皆さんほどyamashiroさんと付き合いがあったわけではなく、ちゃんと話をする機会があったのは2013年になってからでした。何度か勉強会の懇親会で喋って、やっと顔見知りぐらいになったぐらいです。 多分、最後に会ったのはこわいscala勉強会の受付の時だったかな。 あの時、体調が良くなかったので、本編が終わった後にすぐ帰ってしまったのが悔やまれます。 java-jaの忘年会の日、訃報を聞いて何が何だか良く分かりませんでした。
2014/02/16 01:00 ※ 商品のリンクをクリックして何かを購入すると私に少額の報酬が入ることがあります【広告表示】 smsr先生の送別会へ行ってきた。 花火は上がるはMBAにビールをかけるはで大騒ぎ。とても良い会だった。 さて、ymsr先生には子供も遊んでもらったりしていたので本来であれば一家で参加したいところだったけれど、まだ子供に知らせていないので1人でお別れに行ってきた。 親戚の年寄りが無くなったりといった経験はあるけれど、一緒に遊んだ人が亡くなるということは未経験で、そもそも人が亡くなることについて非常に恐怖感を持っているので知らせるのを躊躇している。しかも父親よりも若い人が世の中からいなくなるということは大変なショックを与えると思う。 でも福岡から来ていたきしださんに「10歳なら知らせた方が良かったかも」と言われて悩んでるところ。 モンハンのババコンガを見ればピンクの
Java界、PHP界で名を馳せた山城さんが亡くなりました。 java-jaというやんちゃなコミュニティの宴会部長。訃報を聞いた瞬間は「おいおい冗談にもほどが・・」と一瞬思ってしまったくらい。 もちろん死をネタにするなんてことはさすがにないだろうと次の瞬間には本当なんだろうと受け止めたけど、なんともやるせない。 たくさん勉強会で一緒したり、懇親会で飲んだり、お互い欲しい物リストにあるものを送りつけ合ったりした中でした。つい最近はFacebookやLINEで仕事の話もしていたところで、これから一層活躍するはずだった矢先。残念至極。 氏の人徳もあってたくさんの人があつまって送別会をしました。「告別式」みたいなしんみりしたものではなく、みんなでワイワイガヤガヤ楽しんで本当に素敵なお別れ会でした。 写真をパシャパシャ撮っていたけれども笑顔が沢山!整理できていないけれどもひとまずヨシオリさんの笑顔を1
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Googleが新しい広告手法「+Post ads」をテスト中だ。しかも、この+Post adsは、Googleが普及に躍起になっているソーシャルサービス「Google+」と密接に関わっている。Google+への投稿が、そのまま広告として表示されるからだ。 もしかすると、ソーシャル広告の世界に革命が起きるかもしれない。それも、FacebookやTwitterにはほとんど手を出せない領域で、Googleのみに可能という一人勝ちの革命だ。 まずは、次の動画を見てほしい。 ソーシャルな広告が外部サイトに出張 Googleの+Post adsには、Facebookのニュースフィード内広告やTwitterのタイムライン内広告と似ている要素と全く異なる要素が存在する。 まず、表示される広告コンテンツについてだが、+Post adsとFacebook・Twitterの広告との間に類似性が認められる。広告出
温暖で湿度の高い気候を有するわが国では、食品のカビは切実な問題となっております。 特に夏季にパンのカビについて、よくお問い合わせをいただいておりますが、パンのカビ発生のメカニズムは、詳細に研究されてきておりますので、その概略についてのQ&A及び弊社製品と他社製品のカビ発生に関する保存試験結果につきまして、ご紹介いたします。 Q1.どうして食パンにカビが生えるのですか? 食パンは、およそ38%前後の水分を含有しており、細菌が増殖しやすいかどうか判断する目安となっている水分活性値(注1)でみますと、食パンの水分活性値は0.96とカビの生えやすい食品といえます。 食パンの製造は、通常200~250℃で30~40分間の焼成工程があり、その際の中心部の温度は95℃を超えカビは焼成により死滅するため〔但し小麦由来の耐熱性菌(枯草菌)の芽胞は死滅せず残存しますので、焼成後の温度管理を適切にする必要があり
雪国の観点から書いてみる。 備え例年どのくらい雪が積もるか、最低気温が0度を下回るかで、備え方が変わる。 積雪の予想される地域では、タイヤはスタッドレスに替えるのがあたりまえになる。ひとりだけノーマルタイヤで走っていたら、危ないし、迷惑だからね。 職場にいたら、自動車での通勤が禁止になるレベルだ。 スコップやスノーダンプは、人による。もしものときに備えて、車にスコップを積んでおくのはいいと思う。使うのは、5年に1度もないが、帰宅時に会社の駐車場から出れなくなる悲劇を考えると安心を買うようなものだ。 この備えは、すればするほど、備えた年は雪が降らない。マーフィーの法則が発動したのか、今年は、スノーダンプやタイヤを新調したのだが、活躍のタイミングがほとんどなかった。 雪の神様へのお供えとして、毎年スコップを新しいものにすることをおすすめしておく。 雪が積もってしまったら気温が低い夜から朝のうち
1 エメラルドフロウジョン(岡山県) :2014/02/16(日) 15:14:48.12 ID:NukF85020 ?PLT(12030) ポイント特典 2月16日(日)の入学試験を多摩キャンパスで受験される方へ 現在、京王バス・神奈川中央交通バスが不通です。 大変申し訳ありませんが、JR横浜線・相原駅までお越しいただき、徒歩(4キロ)で会場へ向かって頂くようにお願いいたします。 なお、多摩キャンパスの試験開始は、1時間目を13:00~開始に繰り下げています。 ※下記リンクより、一部抜粋。続きはソースで http://www.hosei.ac.jp/NEWS/nyugakuannai/140216.html 4 ニールキック(catv?) :2014/02/16(日) 15:19:08.47 ID:NPi4WvpZ0 試験科目に競歩が課される法政大w 5 ヒップアタック(
大雪の影響で、長野発名古屋行き特急ワイドビューしなの24号(6両編成、乗客乗員約200人)が15日未明から丸1日、長野県木祖村のJR中央線藪原駅で足止めされた。名古屋駅に着いたのは16日午前4時ごろで、乗客は疲れ切っていた。 JR東海によると、特急は14日午後6時すぎに長野駅を出発し、午後9時半ごろ名古屋駅に到着予定だったが、大雪のため15日午前0時ごろ、藪原駅に臨時停車した。 除雪や安全確認を終えて運転を再開した16日午前1時ごろまで、乗客は約25時間、缶詰め状態に。暖房は使用でき、食料や水はJR側が用意した。乗客のうち妊婦1人が体調不良を訴え、救急車で病院に運ばれた。 乗客の長野県の男性会社員(34)は「仕事は全部キャンセルした。どこかで少し休みます」と、うんざりした様子だった。
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