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ブックマーク / blog.tinect.jp (236)

  • 哀しくなるほど不器用な人たちの話。

    仕事から帰った平日の午後7時過ぎ、急いで夕の支度をしながらNHKニュースを流し見ていた。 そしてニュースが終わっても何となくテレビをつけっぱなしにしていたら、続いて始まったのはクローズアップ現代。その日のテーマは「ミッドライフクライシス」だった。 番組中に、ちょうど読んだばかりのphaさんの著書「パーティが終わって中年が始まる」が出てきたので「おっ!」と思い、テレビのボリュームを上げた。 しかし、 「6月に発売されたこの、すでに2万3000部以上を売上げ、話題を呼んでいます」 という紹介のされ方に、ショックを受けてしまった。 ええ?2万3000? 話題のなのに、まだ2万3000部しか売れてないの? ついさっきのニュースで 「文化庁が5年に1回行っている読書の習慣についての調査で、1ヶ月に読む電子書籍を含むの数を尋ねたところ『1冊も読まない』と答えた人の割合は、62.6% 。ほぼ3人

    哀しくなるほど不器用な人たちの話。
  • 人にアドバイスをするのは本気で難しいので、素人が手を出す話ではない

    日常には、アドバイスを求められるシーンがあります。 例えば、こんな具合です。 「転職したほうがいいかなあ」 「どうしたら結婚できるかな」 「上司と合わないんだけど、どうすればいい?」 優しい人ならば、きっと「力になりたい」と思い、その人のために一生懸命、アドバイスを考えることでしょう。 しかし、よほど訓練を受けた人でなければ、アドバイスは辞めたほうがいいのです。 場合によっては、お互いに不快な思いをしてしまうかもしれません。 * 私はコンサルティング会社で長いこと働いてきました。 多くの方は、コンサルタントは、アドバイスを生業としているイメージがあると思います。 が、コンサルティング会社ですら、その内部で新人を教育するときには 「とにかく、お客さんに対してアドバイスをするな」 と教わりました。 いったいなぜ、「アドバイスをするな」と教えるのでしょう。 端的に言えば、「アドバイスは難しい」か

    人にアドバイスをするのは本気で難しいので、素人が手を出す話ではない
  • 妊婦が仕事を辞めるのは「しかたないこと」

    えー、この度、妊娠しました。 ……改めて書くとちょっと気恥ずかしいが、とりあえずいま妊娠5か月である。 でさ、妊娠してからすごく気になってることがあるんだけど、ちょっと聞いていいですか? 「仕事育児の両立」の話は延々とするのに、「妊娠中の仕事」については不自然なくらいスルーされてるのはなんで? 育児の前段階には絶対に「妊娠」があるのに、「妊婦が働き続けられる環境」の話をしないのはなんで? つわりで寝込んでるわたしでも、企業勤めを続けられますか? 妊婦って、まじで毎日体調悪いんですよ。なんの不調もない健康な状態ってどんなんだったっけ?って思うくらい。 もちろん妊娠といっても人それぞれ、あくまで「わたしの場合は」という但し書きがつくんだけど。 わたしはフリーランスだから働けるときに働くスタイルで、幸いクライアントに迷惑をかけずに仕事を続けられている。締め切りに余裕がある仕事しか受けてなかった

    妊婦が仕事を辞めるのは「しかたないこと」
  • カラオケで「友達が楽しめているかどうか気になって楽しめなかった」という次女の話を聞いて考えたこと

    子どもの成長ってホント早いよなーと思いました。 この記事で書きたいことは、大体以下のようなことです。 ・中学生になって、長女次女の「友達との遊び方」がだいぶ変わりました ・先日、次女が友達とカラオケに行ったのですが、「みんなが楽しめているのかが気になって、自分だけ楽しそうにしていいのかと思ってしまう」というようなことを話していました ・小学校の頃には聞かなかった話で、成長してるなーと感心しました ・誰かが楽しんでいると周りにも楽しさが伝わっていくから、楽しかったらどんどん楽しそうにしていいと思うよ、と伝えました ・「周囲が楽しんでいるか」を「自分が楽しめるか」より気にしてしまう、というのは大人でもありがちな話です ・「自己満足」を表に出すことへの忌避感、「楽しい」を前面に出すためらい、みたいなものもあるような気がしています ・ただ、個人的には、自分を楽しませるのは他人を楽しませる為の前提要

    カラオケで「友達が楽しめているかどうか気になって楽しめなかった」という次女の話を聞いて考えたこと
  • ロールモデル不在のなかで、私たちはどう年を取っていくべきか

    最近、ある人と「中年危機」の話をする機会があった。 「最近、中年危機の話をよく見かけますね」 「phaさんの『パーティーが終わって、中年が始まる』がヒットした影響じゃないですか」 「まあでも、年の取り方については割り切ったつもりでも、なかなか割り切れないですね」 個人のレベルでは、年の取り方をスムーズにし、中年危機を回避する方法は色々と思いつく。 けれども社会全体の話として考える場合、私たちの世代には私たちの世代ならではの年の取り方の難しいポイントもある。そうしたことについて、この文章では指摘してみたい。 ロールモデル不在のなかでどうエイジングしていくか 現代日の・私たちの世代ならではのエイジングの問題点、ひいては中年危機への対策の話として意外に馬鹿にならない盲点は、 《ロールモデルの不在》 だと私は考えている。 中年危機という言葉が生み出されたのは日ではなく、アメリカだ。まず、そのア

    ロールモデル不在のなかで、私たちはどう年を取っていくべきか
  • 20万円でも人は死ぬ

    ここに人がある。ひとりであって、仲間もなく、子もなく、兄弟もない。それでも彼の労苦は窮まりなく、その目は富に飽くことがない。また彼は言わない、「わたしはだれのために労するのか、どうして自分を楽しませないのか」と。これもまた空であって、苦しいわざである。 ふたりはひとりにまさる。彼らはその労苦によって良い報いを得るからである。 すなわち彼らが倒れる時には、そのひとりがその友を助け起す。しかしひとりであって、その倒れる時、これを助け起す者のない者はわざわいである。 「伝道の書‬ 4‬:8‬-10‬」 親会社から見放されたその後 おれの勤める零細企業は、親会社から見放された。そのことは前に書いた。 「手取り19万円の栄光の終わりに」 その後、どうなったのか。親会社は我が社に対する2,000万円くらいの負債をチャラにしてくれた。チャラにしてくれた分、それに消費税がかかり、意外なところから困ることに

    20万円でも人は死ぬ
  • 人と話すとMP削れていく人のための、「人付き合い」ルール。

    「人付き合いが得意です」という方は、どの程度いるでしょう。 個人的には、 「何を話したらいいかよくわからない」 「人と話すと消耗する」 という気持ちはよくわかります。 ところで先日、シロクマ先生が、次のような記事を書いていました。 結局、人と話すとMPは増えるか、減るか ・人と話すと精神力(MP)が増えるか減るかは、話す内容。状況によって左右される ・もちろん、その人の性質や気質によっても左右される ・体力によっても左右される。その体力の一番無難な回復法は「休息」 この投稿の中で気になったのは、冒頭で引用されていた、以下のツイートです。 多分人と話すとMPが回復していく生き物と、人と話すとMP削れていく生き物は根的に分かり合えないのだと思う。 — 前島賢(大樹連司) (@MAEZIMAS) August 30, 2024 「人と過ごすのが大好き」な人たちを見ると、確かに「別の人種だなあ」

    人と話すとMP削れていく人のための、「人付き合い」ルール。
  • 「その日の仕事が終わったら帰れる」ルールにしたら、効率的に働いた人は早く帰宅できるのだろうか?

    先日、『「楽をするヤツは好きになれない」という昭和の経営者』という記事を拝読した。 そのなかでとくに印象的だった、「仕事が終わったら自由に帰れるようにする」という話を紹介したい。 一昔前は、「みんな仕事してるのに、自分だけ帰るつもりか?」という圧が強く、とりあえず仕事をしているフリをしてオフィスに残る人がたくさんいたそうだ。 だからこそ記事の筆者は役員会で、「仕事が終わったらいつでも好きに帰っていいように、就業規則を変更しましょう」と提案した。 この時間に帰る、という目標があれば、そこから逆算して「どうやったら効率的に仕事を終わらせるか」を考えるようになる。 逆に、早く終わらせたぶん余計な仕事が回ってくるのなら、だれも頑張らない。 仕事の目的は、定時までイスに座っていることではなく、あくまで成果を上げること。「従業員の時間を買っている」という経営者の考えは古い。だから、「終わったら帰る」で

    「その日の仕事が終わったら帰れる」ルールにしたら、効率的に働いた人は早く帰宅できるのだろうか?
  • ベストセラー『ふしぎなキリスト教』で、キリスト教をマイナスから学び直してみる

    マイナスからのキリスト教 おれはかつて、このサイトでキリスト教(宗教)についていくつか記事を書いてきた。書いてきたうえで思うのだが、おれのキリスト教理解は足りていない、不十分だ、それどころか間違ってさえいるかもしれない。 小室直樹に、キリスト教、イスラム教、儒教、仏教の違いを学ぶ。 _ Books&Apps おれたち日人には「信仰」がわかるのだろうか? _ Books&Apps 「過ちては則ち改むるに憚ること勿れ」という。過ちかどうかわからないが、おれのキリスト教についての理解について、違うところが出てきたので、それを記しておきたい。 前提として、おれは極めて雑に浄土真宗、親鸞の教えを支持するものであって(信仰ではない)、キリスト教者ではない。 で、キリスト教マイナス理解のおれがまずマイナスから学ぼうと思ったはなんであろうか? 『ふしぎなキリスト教』、これである(以下『ふしキリ』)。

    ベストセラー『ふしぎなキリスト教』で、キリスト教をマイナスから学び直してみる
  • 「生成AIを使いこんでいる人」だけが知っていること

    最近は生成AIも一通り新発表ラッシュが終わり、ChatGPTが登場した直後の「熱狂」は一通り収まってきたように感じる。 おそらく現在は 「ちょっと触ってみて、すごいと思ったけど、あまり実用性を感じられなくて、今はたまに使うくらい」 という人が多いのではないかと思う。 いわゆる「失望の谷」に入った状態だ。 なぜ生成AIは「失望の谷」に入ったのか。 その原因は明らかで、生成AIを使って、自分が狙っているクオリティの成果品を出すのが難しいし、プロンプトを考えるのが面倒からだ。 例えば、こんな状況を想像してほしい。 朝出勤してきて、最初に 「昨日一緒に飲みに行った、お客さんの部長さんに「お礼」のメールを書きたい」 とする。 多くの方が想像する通り、お礼のメールは結構書くのが面倒だ。 そこで、「生成AIを使ってみよう」と、次のようなプロンプトをChatGPTに打ち込むとどうなるか。 昨日一緒に飲みに

    「生成AIを使いこんでいる人」だけが知っていること
  • 性能向上が早すぎて、生成AIが私の作業を代替するのに2年しかかからなかった。

    生成AIの先駆け、ChatGPT2022年11月の登場から、2年弱が経ちました。 この間に、生成AIの性能は瞬く間に向上し、 最近では、「生成AIを使いこなしている人」にとっては、自らの仕事の代替がすっかり当たり前になりました。 私も例外にもれず、相当な数の執筆を生成AIに頼っています。 ところで約1年ほど前に、こんな記事を書きました。 「生成AI仕事で使い倒す人たち」に取材して回ったら「自分の10年後の失業」が見えてしまった そして、私は一つの確信を得ました。 それは、「私は間違いなく10年後、失業する」です。 今になって、私はようやく、上の記事が間違いであることに気づきました。 実際には、「私の作業が生成AIに代替されるまで、2年もあれば十分」だったからです。 生成AIの出力品質はどんどん上がっている なぜそう言えるのか。 実は、少し前まで、生成AIは ・ハルシネーションを起こす(

    性能向上が早すぎて、生成AIが私の作業を代替するのに2年しかかからなかった。
  • 出生前診断によって子に障害が見つかった場合、これを堕胎する自由があるのか。

    「内なる優生思想」とわたし たいへんむずかしくて、結論の出ない問題について語りたいと思う。「内なる優生思想」についてだ。 「内なる優生思想」については、今までもいくらか興味を持って、などを読んでは思うところも述べてきた。 たとえば、『リベラル優生主義と正義』というでは、旧来の優生思想から、今後の人類の優生思想、たとえば病気や障害を避けるばかりではなく、エンハンスメントするようになったらどうなるのかといった問題まで語られていた。 人が子を残すとはなんぞや? 『リベラル優生主義と正義』を読む – 関内関外日記 リベラル優生主義と正義 で、このごろ、森岡正博の『生命学に何ができるか 脳死・フェミニズム・優生思想』というを読んでいたら1970年代の日における議論について詳しい話が載っていた。また、あらためて考えてみたいと思った。 生命学に何ができるか: 脳死・フェミニズム・優生思想 そもそ

    出生前診断によって子に障害が見つかった場合、これを堕胎する自由があるのか。
  • 「問題を作る」「間違えさせ方を考える」ことで得られるものは大きい、という話

    どうもしんざきです。最近ようやく「店でちゃんと挽いてもらったコーヒー」の美味しさに気づき、遅まきながら人生初のコーヒー店通いを始めています。人生には色んな沼があるものですね。カフェインを摂り過ぎないように気をつけます。 この記事で書きたいことは、大体以下のようなことです。 ・中学受験の際、長女と次女の成績が一時期伸び悩んでいました ・二人で問題を出しあってきゃっきゃ遊んでいるのをみて、作問学習が有効かもなーと思いつきました ・「相手が間違えそうな問題を作る」というテーマでちゃんと作問をさせてみたら、その科目の成績がだいぶ伸びました ・作問学習は一般的なものですが、特に「間違わせ方を考える」ということを意識するのは、間違わせ方のパターンを学べるという点で試験対策に非常に有用です ・一歩進んで、「出題者の意図を考える」というところまで行けると、仕事をする上でも重要なノウハウになります ・出題者

    「問題を作る」「間違えさせ方を考える」ことで得られるものは大きい、という話
  • 「オタク」大衆化の歴史と、その条件について調べてみた。

    30年ほど前、オタクは、「キモくて不気味でコミュニケーションできない人々」とみなされていた。 しかし今日ではそうではない。オタクという言葉は“推し”という言葉と同じぐらいカジュアル化し、要するに、誰でもオタクと名乗れるようになった。 それで救われた人もいるし、かえって救われなかった人、誰でも名乗れるようになったオタクを名乗りづらくなった人もいるように思う。今日は、そんなオタクという言葉の過去と現在について振り返ってみたい。 はじめに「オタクは異端である」という宣告があった オタクの過去を振り返る際のスタート地点をどこに置くのかは、論評の性質によって早くなることも遅くなることもある。 論では、さしあたり1983年から話を始めたい。1980年代の段階でオタクはすでに存在していて、当時は「おたく」と平仮名で書くのが一般的だった。 では、その1983年に何が起こったか。オタクに宣告が下されたので

    「オタク」大衆化の歴史と、その条件について調べてみた。
  • とにかく、男は弱いよな。惑溺するよな。そう思ってしまう。

    令和の映画『蒲団』 あまり大作ではない映画『蒲団』をミニシアターで観た。 『蒲団』って、田山花袋の『蒲団』? そのとおりだ。国語の教科書に載っていただろう。日の私小説のはじまりとも、自然主義文学のはじまりともいわれる作品だ。 なんとなくあらすじを知っている人もいるだろう。蒲団でなにをするのか知っている人もいるだろう。 でも、読んだことある? おれはなかった。おれが大好きな高橋源一郎の「日文学史もの」でもよく出てくるのだが、なんとなく読んでいなかった。古典的名作ってそういうものでしょう。開き直り。 で、映画『蒲団』。こちらはあくまで田山花袋作品を「原案」としている。 舞台は令和の現代だ。先生(主人公の時雄のことをこのエントリーでは「先生」と呼びます。おれのなかでなぜかそうなっているので)は小説家ではなくテレビドラマの脚家だ。そこに、脚家志望の若い女性が弟子になりたいと押しかけてきて…

    とにかく、男は弱いよな。惑溺するよな。そう思ってしまう。
  • 「楽をするヤツは好きになれない」という昭和の経営者

    世の中には、「親を殺されたのですか?」というくらいにうま味調味料、「味の素」を毛嫌いする人が多い。 グルメ漫画『美味しんぼ』の作者、雁屋哲氏などは、その急先鋒だろうか。 「うま味調味料は舌を麻痺させる」 「すべての料理が同じ味になる」 といった強い調子で、折につけ同作品の中でうま味調味料(味の素)への攻撃を繰り返してきた。 そんな私自身、味の素そのものを最後にべたのはおそらく50年近く前の、幼少期の頃だ。 オヤジがきゅうりのぬか漬けに味の素と醤油をかけ、晩酌をしていた時のこと。 「お父さん、何その白いふりかけ」 「これか?味の素っていって、美味しさが増す調味料だよ」 「美味しそう、僕にもちょうだい!」 そんなこと言って一口もらったのだが、きゅうりのぬか漬けに期待する味ではなく、2口目はおねだりしなかった覚えがある。 そんな記憶もあり私自身、味の素そのものを購入したことはないし、自分の料理

    「楽をするヤツは好きになれない」という昭和の経営者
  • ほとんどの人は建設的な議論ができない

    議論とは何か。 日国語大辞典によれば、「互いに、自己の意見を述べ、論じ合うこと。意見を戦わせること。」 と定義されている。 ビジネスにおいては、もう少し拡張してもいいかもしれない。 意見を戦わせる目的は2つある。 一つは 「意見を戦わせることで、どの意見が優れているか(正しいか)、判定すること」 そしてもう一つは 「意見を戦わせることで、よりよい意見を生み出すこと」 この2つを目的とした議論を、「建設的な議論」と呼ぶことにする。 ほとんどの人は建設的な議論ができない しかし。 私は様々な会社で議論を見聞きしてきたが、「建設的な議論」ができる人はそれほど多くない。 組織内における議論のほとんどは、「自分の地位を上げること」と、「相手を貶めること」に使われてしまうからだ。 議論の目的が「意見」を出したり、質を高めることではなく、人の評判を操作するだけに使われる状況。 これが「不毛な議論」だ。

    ほとんどの人は建設的な議論ができない
  • 同級生をチクってほくそ笑む、残酷な少女たち

    パリオリンピックが開幕した。 日では、体操女子日本代表のエース・宮田笙子選手の飲酒と喫煙問題。 それに続くオリンピック出場辞退の話題がくすぶっている。 「法律とルールを破ったのだから、オリンピック出場辞退は当然であり、自業自得」なのか、 「オリンピックを目指して努力してきた若い選手に対して厳しすぎる。日社会があまりに不寛容」なのか。 私にはよく分からない。 どちらの言い分も正しいので、要はバランスの問題なのだろう。 そんなことより私が気になったのは、誰がどのような動機でその問題を通報したのかということだった。 内部からの情報提供ということだが、オリンピック開催が目前に迫り、宮田選手も事前合宿地入りしていて、今さら選手交代(補欠選手の繰り上げ出場)もできなくなっている時期に、どうしてわざわざ? こんな大事になってしまうくらいだから、その情報提供は揉み消せるような内容ではなかったのだろう。

    同級生をチクってほくそ笑む、残酷な少女たち
  • 「批判を仕事にする」のは、もうやめろ。

    「不機嫌をまき散らす上司」と聞けば、おそらく多くの人が眉をひそめるのではないだろうか。 きっと誰にでも、心当たりがあるだろう。 イラ立ちを顔に出し、乱暴な言葉で部下をコントロールしようとする輩である。 あろうことか、指示を求め話しかける部下にまで暴言を吐き、仕事をぶち壊すような管理職も珍しくない。 こういった人がリーダーにふさわしいと考える人などいない。 にもかかわらず、このスタイルで部下を抑圧し、おかしなリーダーシップを発揮しようとする人は当に多い。 政治家などはその典型で、怒りに満ちた顔で先鋭的に他者を攻撃することが“仕事”と考える。 マスコミもまた、長年、他者・他社を徹底的に攻撃・批判することを“オピニオンリーダーの仕事”と考え続けてきた。 しかし時代は変わり現在、多くの人はこのやり方に大きな嫌悪感と反発を持ち始めている。 怒りで歪んだ顔、攻撃的な言葉など、私たちは基的に嫌いなの

    「批判を仕事にする」のは、もうやめろ。
  • 『メガトン級「大失敗」の世界史』を読み、人類の「やらかし」に思いを馳せる。

    メガトン級「大失敗」の世界史 とてつもない失敗をやらかした時には、迷うことなく書をお読みください。人類がどれほどヘマを繰り返し、救いようのない災いをまき散らしてきたか。 こんな宣伝文句を見て、おれは『メガトン級「大失敗」の世界史』というを手に取った。 メガトン級「大失敗」の世界史 (河出文庫) 原題は「HUMANS:A Brief History of How We F*cked It All Up」というらしい。 おれは英語圏の四文字言葉の感覚はわからない。いずれにせよ、ヒューマンズの話である。われわれ人類はどれだけ大きな失敗をやらかしてきたのか。 失敗は大きく二つにわかれる。人類の人類に対する失敗、人類の自然環境に対する失敗。 前者については専制君主の失敗、民主主義の失敗、戦争の失敗、植民地の失敗、外交の失敗、テクノロジーの失敗……とある。 人類の人類に対する、あるいは国家に対する

    『メガトン級「大失敗」の世界史』を読み、人類の「やらかし」に思いを馳せる。