ブックマーク / tsukikana.hatenablog.com (137)

  • 薔薇と新緑の“ミナトヨコハマ”へ - 一筋の光、降り注ぐ光。

    毎年5月はローズガーデンへ出向き、薔薇で心を満たすという幸せをいただく、と決めている私。いつもは、ゴールデンウィーク近くになってから、さあ、今年はどこのガーデンへ行こう?と考え始めるのだが、今年は違った。 今年は、 横浜。 私は現在、東海地方に暮らしていて、ありがたいことに近場にも素敵なガーデンはいろいろある。けれど、今年はさまざまな思いから、ローズガーデンは横浜に行くと決めていた。いや、ガーデン云々よりも先に、まず横浜ありき、だったかな。 実はここ数年、横浜、それも「港の見える丘公園」を何十年ぶりかで訪れたいと、ずっと願っていて。そんな中、去年、ある方のブログ記事を拝見し、行くなら薔薇の季節にしようと決めた、というのが正しい。あかねさん、素敵な記事をありがとうございます(*^^*) ✻きっかけをいただいたあかねさんの記事 akane2020.hatenablog.com 今週、ゴールデン

    薔薇と新緑の“ミナトヨコハマ”へ - 一筋の光、降り注ぐ光。
  • 小さなポピーの思い出 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    道端に、淡いオレンジ色の花をよく見かけるようになった。 ひなげしの一種の、ナガミヒナゲシ。 毎年、この花を見つけるたびに、あの春の日を思い出す。次女が小学校に入学したばかりの、あの頃。 黄色い帽子に真新しいランドセルの1年生たちは、学校が終わると、途中まで引率の先生に連れられて集団で帰ってくる。最初のうちは、解散場所まで保護者が迎えに行っていたが、やがて自分たちだけで家まで帰るようになった。 大丈夫かな。ちょっと心配しながら家で待っていた私。大きな声で「ただいまー」と帰ってきた次女は、「ママ、これ、どうぞ」」と、小さなポピーを数、差し出してくれた。それが、ナガミヒナゲシだった。 それから数日の間、次女はこの花を道端で摘んでは持ち帰ってきてくれたと思う。その姿を見たわけではないが、黄色い帽子のヒヨコのような1年生が、道端にしゃがんで花を摘む様子が、私にはありありと目に浮かんだ。新しい環境に

    小さなポピーの思い出 - 一筋の光、降り注ぐ光。
  • 駆け足の春に思うこと - 一筋の光、降り注ぐ光。

    今年の桜は早かった。そんなに急がなくても、というくらい早くから咲き始めた。 数回のお花見散歩をしたが、3月下旬でも汗ばむような陽気。「花冷え」という言葉を、使う機会のない年だった。 そういえば、今年初めてツバメを見たのは、3月15日。我が家の前の電線にとまってこちらを見ているのを、夫が発見した。 あまりに早い時期なので、越冬ツバメか?と最初は思ったが、なんとなくボサボサで、気のせいかお疲れ気味にも見える。いかにも旅をして来た、という感じだ。 今年もこのマンションの1階に、巣をかけてくれるのかな? お帰りなさい、と声を掛けたくなる。 寒の戻りもあまり感じないまま、季節はどんどん進んでる。少し、怖いくらいに。今年の夏は、早い時期から猛暑になる可能性も高いらしい。ああ、恐ろしい。 怖がっているだけでなく、暑くなる前にいろいろやっておきたいことがあるのだけど間に合うかな、とちょっと焦る自分もいる。

    駆け足の春に思うこと - 一筋の光、降り注ぐ光。
  • 寂しくもあり、あたたかくもありー実家の片付け進行中 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    清水から帰ってきたら、ニオイスミレが咲いていた。 冬枯れの景色だったベランダに、そこだけ色が付いたようだった。ほのかな甘い香りも春の訪れを告げている。 律儀だなあ。 ほったらかしだったのに、ちゃんと今年も花を咲かせてくれて、嬉しいような申し訳ないような気分になる。疲れが、ゆっくり癒えてゆく。 清水には、今回は4日間滞在した。12月に2泊で行ったときは、銀行さんに行ったり業者さんを迎え入れたりするのがメインで小さな作業しかできなかったが、1月下旬に弟夫婦が5日間片付けに入ってくれ、おかげで整理もかなり進んだように感じる。 ✻昨年暮れの清水行きを書いた記事はこちら↓ tsukikana.hatenablog.com それでもまだまだ、やることは残っている。どうしていいのやら、迷っていることもたくさんある。遠くにある実家の片付け・・・いやあ、手ごわいわ。 毎回出るごみの量もすごいのだ。 静岡市清

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  • お洒落リノベの古民家に集合!―愛知・長久手の町家ステイ - 一筋の光、降り注ぐ光。

    関西に暮らす長女が、先日、一家でこちらに帰省した。といっても、我が家に、ではない。 私の誕生日をみんなで過ごしたい、と言ってくれたのが先月のこと。その気持ちがとても嬉しかったし、私もみんなとゆっくり過ごせたら、と願った。 ただ、ひとつ問題が。 ひとり暮らしをしている次女も加えて、総勢8名となる。当なら「みんな、おいで~泊まっていきなよ」と言いたいところだが、夫婦ふたりで住んでいるこの3DKにはちょっとキビシイ。泊められるお客さまはマックス3名かなあ。 そこで夫が、我が家からクルマで十数分の場所に、みんなで泊まれる家を探してくれたのだった。旅館ではなくて、民泊施設。一棟貸しの古民家だ。 古民家ではあるけれど、素敵にリノベーションされている。「町家ステイ オリーブとぶどう」という名前も可愛い♡ 問題解決!一気に気分が上がっていった。笑 当日は、買い出し班の長女と次女が、昼前に名古屋の久屋大通

    お洒落リノベの古民家に集合!―愛知・長久手の町家ステイ - 一筋の光、降り注ぐ光。
  • 柔らかな心で - 一筋の光、降り注ぐ光。

    暖かい日が続いた先週と打って変わり、今週は最強寒波が到来。厳しい寒さになりそうだ。体が縮こまらないように気を付けなくては。 硬くなったなあ。 毎日、ストレッチをするたびに、わが身体の柔軟性低下を情けなく思う。続けているのに、なかなか柔らかくなってくれない。やり方が間違っているのかな。やらないよりは大分マシではあるのだが。 子どもの頃は、体は柔らかい方だった。ブリッジをしてみせると、大人が感嘆してくれたものだ。 いつからできなくなったんだろう。夫によると、結婚してから家で何度か、私は得意気にブリッジをしたらしい。すると、少なくとも20代後半まではできていたのか。 娘が幼稚園に行っていた頃。鉄棒の逆上がりができるようになりたいと言うので、近所の公園に行って特訓することにした。 自分がお手を見せようとやってみたところ、できない。 いやまさかと再度試みるが・・・できない。いっこうにできない。 シ

    柔らかな心で - 一筋の光、降り注ぐ光。
  • 歩きたい気持ちが、前を向かせてくれる - 一筋の光、降り注ぐ光。

    ここのところ暖かい日が続いていて、まだ2月というのが信じられないほどだった。昨日は美容室へ向かう片道15分のウオーキングが、なんとも爽やかで気持ち良く、マスクの中で鼻歌を歌っていた私。上着、脱いじゃった。 その前の日も、午前中、夫と近くの川べりを散歩。ぽかぽか陽気で、光る川面は童謡そのもの。紗のかかったような景色の中を歩けば、まあるい休日、という言葉が浮かんだ。 そして、梅の花の蜜を吸っているメジロを撮影していたら、次から次へとお仲間が集まって来て、ちょっと焦ったけど笑ってしまった。 青空の下、抹茶色の小さなお饅頭が、いっぱい飛び回っている! メジロってあまり人を怖がらないのかな。きっとあの梅の木は、みんなの行きつけのレストランなのね。 小鳥たちを見ていると、好きなように飛べていいなあ、と思う。ボリュームのある鴨や鷺や鵜も、この辺りではよく見かけるが、その飛んでいる姿の美しさといったら。い

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  • 真冬の追憶散歩―折戸、そして三保松原 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    私にとっては「激動だった」と言いたいような2022年が、あと数日で終わる。 いつもの年と同じように今年も暮れていくんだね、と、ちょっと不思議に思いながら、先週後半、また清水に行ってきた。これが年内最後の帰省。 人とのアポイントもあり、早めに済ませておきたい片付けもある。短期間で、諸々用事を済ませようと頑張った。 とにかくちゃちゃっと終わらせ、早く帰りたかった。コンパクトな滞在はいつものことだし、年の瀬、私もそれなりに忙しいので。両親もいない実家に長居は不要、という思いもある。切なくなってくるしね。それに、温暖な静岡だけど、今年は寒い! けれども今回、少しだけお楽しみの時間を持つことができた。 最終日、お昼をべようと外に出たら、あまりにも富士山が綺麗だったので、もっと眺めの良い場所でその全容を見たいと思った私。富士山は近所の駅からもよく見えるのだけど、タワーマンションが邪魔をしたりして、い

    真冬の追憶散歩―折戸、そして三保松原 - 一筋の光、降り注ぐ光。
  • 琵琶湖へ―湖畔に泊まるお祝いの旅 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    一大きな湖。 もちろんそれは知っていたが、日一古い湖でもあり、日で唯一の「古代湖」であるとは知らなかった。 ※古代湖とは、概ね100万年以上存続し、多くの固有種がすんでいる湖。バイカル湖やビクトリア湖など、世界中に20か所ほどしかない。琵琶湖は約400万年前に生まれ、60種類以上の固有種がすんでいる。 まるで神話の世界…。 波打ち際にたたずんでいた私は、夜明けを迎える琵琶湖の、その神々しいまでの美しさに魅了されていた。 淡く光る湖面を見つめていると、いにしえの記憶を持つこの湖が、こちらに何か語りかけているような気がしてくる。優しい波音を、ずっと聞いていたかった。 12月になり、夫が還暦を迎えた。出会ったとき、彼はまだ25歳になったばかりだった。長い年月を共に過ごしたのだなあと、なんとも感慨深い。 先日は、娘たちがお祝いの旅行を企画してくれた。長女一家と次女と、私たち。総勢8名での琵

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  • 力をいただくということ―森林浴と動物園 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    11月も駆け足で過ぎ去ろうとしている。 清水に事務手続きのために行くなど、あれこれ用事が重なっていた上に、やりたいことがどんどん増えてきていて、なんとも気忙しい。時間が足りない。 それでも「欲」が出てきたのは喜ばしいことで、父が倒れ亡くなった2月からの数か月は、当に何も意欲が湧かず、何もかもがどうでもいいとすら思えていた。 あの無力感、脱力感から、ゆっくりとだけど抜け出せたのだから、私の心の回復力も捨てたものじゃない、のかな。今もまだときどき、泣いちゃうけどね。 忙しくはあるのだけど、今年の秋は紅葉に何度も心を洗われている。 先月末から今月あたまにかけて、軽井沢で期待以上の紅葉を楽しめた後も、ライトアップの始まった名古屋市熱田区の白鳥庭園で、水鏡に映り込む幻想的な夜の庭を味わった。 夜も美しい白鳥庭園 そして先日は、錦秋に染まる東山公園を歩いてきた。 ちょっと張りきって歩き過ぎて、今また

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  • 秋の森へ行こう―7年ぶりの軽井沢 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    海と山、どっちが好き? そう聞かれると困ってしまう。無性に海を見たくなるときがあるし、山の空気の中に身を置きたいときもある。 今は山…いや、森、かな。 そういう気分だ。ちょっと前から私、森が恋しくて仕方ない。 ただ、どこの森でもOKというわけではなくて。 全く知らない場所へ行きたいわけでもない。いつかは行ってみたいと思っている憧れの地はあるけれど、今はちょっと、そんな気分でもなく。 好きな森がある、好きな町へ行きたい。 感染状況がある程度、落ち着きをみせ、ようやく旅行に前向きになっても許される雰囲気になってきて、私たち夫婦が旅先に選んだのは、軽井沢だった。次女もタイミングが合い、急な誘いだったにも関わらず、同行したいと言ってくれた。 宿泊先を選んでいる頃、全国旅行支援が始まり、資金的にも助かったりして、幸先の良さに嬉しくなる。まるで導かれているようだ。 軽井沢は7年ぶり。前回は友人たちとの

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  • 雨と虹とサーフボード―ホ・オポノポノ手帳2023 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    たったひとりでも、誰かに頼らなくても、ハワイ伝統のヒーリングメソッドを実践することができる、SITHホ・オポノポノ。 2015年の秋、翌年の手帳「毎日を幸せにするホ・オポノポノ手帳2016」を新聞広告で見掛け、何か引き寄せられるように感じて入手したことが、私がこのメソッドと出合うきっかけだった。 tsukikana.hatenablog.com そして今年も、来年のホ・オポノポノ手帳をお迎えした。 この手帳、23年版で10周年を迎えるそうである。私にとってはこれが8冊目。毎日の記録や計画を記し、自分との対話をするのに、今ではもうすっかり欠かせない存在となっている。 構成は毎年同じだ。巻頭のふたつの詩のバック写真と、この手帳オリジナルの新しいクリーニングツールの紹介、そして巻末のヒューレン博士とKRさんの対談だけが新しく、その外に目新しいものは全くない。 でも、日々のクリーニングを促してくれ

    雨と虹とサーフボード―ホ・オポノポノ手帳2023 - 一筋の光、降り注ぐ光。
  • ずっと、見ているよ♡―喪失感を超えて - 一筋の光、降り注ぐ光。

    見て。 ほら、見て見て。 ・・・ああ、何回言われただろう。今もまだ、あの子たちの可愛らしい声が耳に残っている。 シャボン玉、綺麗だね。たくさん、上手に作れたね。 関西に住む長女一家が、家を新築して引越しをした。引越し当日は行けなかったけど、翌々日に、旧宅の清掃と新居での荷ほどきの手伝いをするために、夫と次女と3人で出向いた。 あれからもう1週間以上たつのか。 彼女たちと過ごせた時間、作ることができた思い出のひとつひとつを、甘く切なく胸に抱きしめるような毎日だ。 彼女たちがこれまで住んでいた場所は、和歌山県の奈良寄りの都市。そこを私が初めて訪れたのは、もう5年半くらい前になる。長女が初めての子を生んだときだ。 ✻その頃の話です↓ tsukikana.hatenablog.com 近くを優雅に流れる紀の川が、美しくて好きだった。そこは高野山のふもとでもあった。娘たちが何か大きなものに守られてい

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  • 8月のベランダから - 一筋の光、降り注ぐ光。

    我が家は東向きに掃き出し窓が2か所あり、晴れた朝はここからサンサンと日光が注がれる。冬はありがたいのだが、夏は大変だ。 遮光カーテンを通しても輻射熱が部屋に伝わってくる。外側にオーニングを取り付けたいと、夏が来るたび毎年思い、そして毎年諦める。サッシも外壁も、対応できそうにないから。 苦手な夏。 まだ当分、猛暑が続くらしい。もう、息も絶え絶えなんですけど。 ベランダの植物たちに水遣りをするとき、私はツバの広い麦わら帽子をかぶる。それから、洗濯物を干すときは、黒いサングラスをかける。 出勤する夫をこのベランダから見送るときは、帽子とサングラスを両方着用することもある。自分では往年のハリウッド女優みたいでしょ、くらいに思っているが、見上げた夫は苦笑する。その恰好で手を振らないで、恥ずかしいから、という顔。笑 ああ、ありがたいな。 こんな風に、のんきに日々を過ごせているのは、なんてありがたいこと

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  • 父の初盆 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    私の父は6人兄弟の次男。母の違う兄もひとりいたから、正確には7人兄弟だ。私の母は9人兄弟の三女。 親戚が多いのである。小さい頃は、おじさんおばさんの名前を覚えきれなかった。母方の兄弟については、今も順番があやしい。会ったことのない従兄弟もいる。 そんな私には、両親に連れられてお墓参りに行った、という記憶がない。祖父母の葬儀の後に大勢で行ったことはあるが、お盆やお彼岸には多分、行っていないと思う。 父が転勤族で遠方に住んでいたから、という理由もあるのだろうが。地元に住む親戚、特に長男夫婦に、きっとお任せしてしまっていたのだろう。いや、もしかしたら時々は、清水に帰ってお墓参りもしたのかな。私が覚えていないだけかもしれない。 夫と結婚してから、お盆には彼の実家に行くようになった。お墓参りにも連れて行ってもらった。キュウリとナスを馬と牛に見立てて装飾し、お仏壇に供える、という風習も初めて知った。

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  • 父母の愛した家へ - 一筋の光、降り注ぐ光。

    外は、雨。 この季節はどうにも気分が上がらない。梅雨はだるさとの闘いだ。重い空の下、軽やかにターンするツバメを見る。少し励まされた気がした。 清水から帰って3日たち、ようやく体の痛みが薄らいできた私。階段の上り下りが難しいほど、腿の裏から腰にかけて、特にお尻のほっぺたがひどく痛かった。 たった2日間の滞在だったのに、どうしてこうも疲れてしまうのか。疲れ果てるまで動き回ってしまうのか。 行く前には、あんまり張り切らないでおこうと決めていたんだけどな。家中の窓を開けて風を通そう、水道の栓をひねって水を出そう、父の下着類を処分してちょっとだけ片付けよう、庭の草もみっともなくない程度にちょっとだけ抜いてこよう。ちょっとだけ、ね。その程度の心づもりだった。 あわよくば、時間を作って散歩がてら海を見に行こうかな、くらいに軽く考えていた。せっかく清水に行くのに、しかも今回は夫もいるのに、働くだけじゃつま

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  • 遠い記憶と遊んだ町散歩―白壁と尼ケ坂 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    尼ケ坂、という言葉に反応した。 新聞の地域版で読んだ記事だった。名鉄瀬戸線の清水駅から尼ケ坂駅にかけて、約550メートルの高架下を利用したお洒落な商店街があり、人気スポットになっているという。2019年にオープンした「SAKUMACHI商店街」。 私の脳裏に、尼ケ坂の昔の景色が広がった。坂を上った先の白壁の町も。まるで絵をめくるように。 長く生きてくると、思い出の町、場所も増えてくるものだが、名古屋の白壁、尼ケ坂界隈も私にとってそのひとつ。数えてみたら、いやだわなんと、半世紀も前の思い出だった! あの辺りが今、どんな風になっているのか、この目で見てみたい。懐かしい町を、歩きたい。 そんな風に思い立ち、夫を誘って基幹バス新出来町線に乗り、「白壁」で降りた。 実は、白壁は二重三重に懐かしい町。大人になって、この地に戻ってきてからは、仕事の取材などで何度も訪れているし、散策もしている。ただ、そ

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  • 心の花にも水遣りを―グリーフワーク - 一筋の光、降り注ぐ光。

    机で調べ物をしていると、鳥のさえずりが聞こえてきた。それがすぐ近くだと気付き、ベランダを見ると、ヒヨドリだった。物干し竿にとまっている。 このお客さんは毎年、春から初夏にかけてよくいらっしゃる。鉢植えのブルーベリーの花を荒らしたり、実をべ尽くしたり、困ったお客さんなのだ。 でも、この日はブルーベリーには構わずに、ただ歌を歌っていた。雨が降っていたので、洗濯物は外に干していなかった。広々とした物干し竿で、雨宿りでもしていたのかな。それとも私に会いに来たの? 窓に近づくと飛び立ってしまった。恐れていた通り、大きな落とし物が残されている。床だけでなく、エアコンの室外機の上にも、手すり壁の上にも。ジョーロに水を汲み、ベランダに出て洗い流す私。 ふと、ついでにベランダの植物たちを眺める。元気がない。来、今が一番美しく輝いてくれている季節のはずなのに。 水遣りはしているけど、他に何も手入れをしてい

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    tsukikana
    tsukikana 2022/06/04
  • 雨上がりのローズガーデン - 一筋の光、降り注ぐ光。

    5月の雨は、五月雨(さみだれ)か? いえ、五月雨は旧暦の5月あたりに降る長雨のことで、つまり梅雨のことらしい。夏の季語でもある。そして、「五月雨式に…」などと言う時は、だらだらと、断続的に、小出しにする、などあまり良い意味で使われない。さつきあめ、と読むときもあるそうで。 でも、5月に降る雨は、つい“さみだれ”と呼びたくなる私。そして、それは優しく美しい雨であり、悪い意味では使いたくないのだ。絹糸のように細くて、少し輝きも帯びていて、とても素敵なのだから。 もっとも、梅雨だって農作物には大事なものだし、しとしと降り続く雨の情緒も捨てがたい美しさがある。“五月雨式”だって、もしかしたらビジネスのテクニックのひとつになっていて、良くないものと決めつけられないのかも? とにかく、私は5月の雨は結構好きなのである。 しかしこの雨、ぐずつくように続くと「梅雨の走り」と呼ばれることがあり、そうなると、

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  • 温かい法事と、辛い帰省(後編) - 一筋の光、降り注ぐ光。

    陽を受けて輝く新緑が美しい。 私の大好きな5月が始まった。 今、ゴールデンウィークの真っ只中。コロナ禍による行動制限のない3年ぶりの大型連休だということで、どこも賑わっている様子だ。 私は……今年も遠くには行かないつもり。混雑は昔から苦手で、不要不急でなければ人込みは避けたいタイプ。それにやっぱり、まだちょっと感染が怖い。 だからこそ、GWになる前の週に、新幹線に乗り清水に行ってきたのだった。 ✻この記事は、前回の記事↓の続きです。 tsukikana.hatenablog.com この前、清水に行ったのは3月の第2週。つまり1か月以上、誰も住んでいない家を放置してしまっていたことになる。4月も慌ただしかったが、3月も忙しかったのだ。塞ぎこんでもいたし。 夜になっても灯りもつけてもらえず、朝になっても雨戸も開けてもらえない。あの家が今、そんな状態にあることに、私は落ち着かない気持ちになる。

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    tsukikana 2022/05/03