<就任から52日後、東日本大震災が起きた> 通常の幹部人事は7月だから、1月18日付は異例。退任する(当時の国土交通相)馬淵(澄夫)さんが、最後に自分でやりたい人事をやるということで、突然の内示だった。着任後、6県の知事とあいさつは終わっていたが、大半の市町村長とは面識がなかった。 あの日は局長室…
![徳山日出男さん(元東北地方整備局長) ルート確保へ、くしの歯作戦 | 河北新報オンライン](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/f521fa2da5c02532365f901f9372fa86d5e6c2c1/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fkahoku.news%2Fimages%2F2021%2F01%2F29%2F20210129khn000037%2F001_size7.jpg%3Ftimestamp%3D20240503013901)
<就任から52日後、東日本大震災が起きた> 通常の幹部人事は7月だから、1月18日付は異例。退任する(当時の国土交通相)馬淵(澄夫)さんが、最後に自分でやりたい人事をやるということで、突然の内示だった。着任後、6県の知事とあいさつは終わっていたが、大半の市町村長とは面識がなかった。 あの日は局長室…
2011年3月11日の東日本大震災から10年という節目を迎える年になりました。 現代企画室は東京の出版社ですが、末盛千枝子さんを通して被災地とかかわる仕事をさせていただきました。 出版社すえもりブックスを主宰し、すばらしい絵本を数々手がけてきた末盛千枝子さんの著書『人生に大切なことはすべて絵本から教わった』を出版したのが2010年。そのご縁は末盛さんが岩手に移住されてからも続き、末盛さんがかつて編集した絵本などを復刊する「末盛千枝子ブックス」の立ち上げ準備を進めていた頃、2011年の東日本大震災が起こりました。故郷である岩手に移られてまもなく、あの大震災を体験した末盛さんは「被災地の子どもたちに絵本を届けられないか」と呼びかける手紙を知人、友人に送りました。 末盛さんの声を受け止めた盛岡市中央公民館が、絵本を受け入れる場所を提供し、「3.11絵本プロジェクトいわて」が立ち上がります。末盛さ
写真:岩波友紀 (*前編「ある町長の死(1)」から続く) 2011年3月11日。福島県浪江町(なみえまち)の馬場有(ばば・たもつ)町長は町議会の3月定例会が休会日だったため、町長室で副町長らと会議をしていた。 午後2時46分、震度6強の激震。 町長室の棚から地元銘品の大堀相馬焼の大壺が落ちて割れ、テレビを押さえようとした副町長が真横に飛ばされた。隣の秘書室からは「ドカーン」という轟音。慌てて駆けつけてみると女性職員が書棚の下敷きになっていた。 急いで女性職員を救助すると、今度は総務課から「町が全部やられた」と叫ぶ声が聞こえた。町役場は阪神・淡路大震災後に建設された耐震構造の鉄骨4階建てだ。それがまるでコンニャクのように揺れ続けている。 数分後、ようやく揺れが収まった。災害マニュアルに従って2階の庁議室に災害対策本部を設置すると、町内の被害を把握するため、秘書係長を連れて町役場の外へと飛び出
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写真:岩波友紀 10月上旬、私が暮らす福島県南相馬市の南隣にある浪江町の公立学校で小さな運動会が開かれた。東京電力福島第一原発の北約8キロにある「浪江町立なみえ創成小・中学校」。2018年春の開校以来、小学生15人、中学生2人、こども園の園児10人が通っている。 秋晴れの下、放射性物質が舞い散らないよう人工芝が敷き詰められた校庭には多くの地域住民やボランティアらが詰めかけた。2017年春に避難指示が一部解除されたものの、町内で授業を再開できたのはこの「なみえ創成小・中学校」だけであり、通っている児童生徒の数は住民登録している子どもたちのわずか2%にも満たない。原発事故で全町避難を強いられた浪江町ではあの震災から8年半が過ぎた今も、子育て世代ほど避難先の学校に子どもを通わせていたり、現地に保護者のネットワークなどができてしまったりして故郷に戻ってこられないのが実情なのだ。 校庭に集まった大人
写真:岩波友紀 私が福島県南相馬市にある朝日新聞南相馬支局への転勤を命じられたのは、東京でオリンピックが開催されるちょうど1年半前にあたる2019年2月のことだった。 南相馬市は東日本大震災で水素爆発した東京電力福島第一原発から北に約30キロの距離に位置している。政府が発令した原子力緊急事態宣言は未だ解除されておらず、未曽有の原子力災害からの復興はまだ緒に就いたばかりだというのに、翌年に迫ったオリンピックでは東北地方の復興を世界に広くアピールするために「復興五輪」と銘打たれるのだと聞かされていた。私はそんな歴史的な混濁をその象徴たる原発被災地で目撃できることを職業記者として有り難く思うべきなのか、はたまた「復興」と「五輪」という本来は相容れない、お互いが限られた国家予算を侵蝕し合うべき事物を一緒くたにして大騒ぎすることに社会人として深く恥じ入るべきなのか、自分でも考えがうまくまとまらないま
大熊町の歴史や震災と原発事故の教訓を伝える資料の保存について検討してきた委員会が、新たなアーカイブ施設の整備などを町に提言しました。 大学教授や町民でつくる委員会は、2年かけて検討した結果を提言書にまとめ、29日、白井哲哉委員長が渡辺利綱町長に手渡しました。 それによりますと、復興事業や中間貯蔵施設の建設などで家屋の解体が進む中、古文書などの貴重な資料を早急に収集することや、全町民が避難した原発事故への対応に関する公文書の保存、それに、津波の被害を受けた県栽培漁業センターなどの建造物を、震災遺構として活用することなどを提言しています。 また、震災前、700点余りの歴史資料を保管してきた町の民俗伝承館が帰還困難区域にあることも踏まえ、震災と原発事故の教訓を伝える資料とあわせて保存・活用する新たなアーカイブ施設の整備も提言しました。 提言書を受けとった、渡辺町長は「次の世代に記憶をしっかりと継
熊本地震関連の公文書が入った段ボールがずらりと並ぶ旧NHK熊本放送会館。復旧・復興が進むにつれ、公文書は今後も増えていくという=熊本市中央区 熊本市は、熊本地震の復旧・復興に関する公文書(震災関連文書)は「地震の教訓を未来へ残すための重要な資産」として廃棄せず、10年間は全て保存することを検討している。その後、残すべき文書を選別する考えだ。そのための経費や場所の確保には課題もあるが、識者は「災害の全容を知る基礎資料となる公文書を残すのは被災自治体の責務」と指摘している。 同市中央区の旧NHK熊本放送会館3階。約380平方メートルある一室にはA4用紙なら4700枚入る文書保存箱がずらりと並ぶ。被災家屋の公費解体申請書や公共施設の復旧工事関連の文書などが入っており、その数は約2500。「ほとんどが熊本地震が発生した2016年度分」と市総務課の担当者。 こうした震災関連文書は、内規で定める担当部
2011年3月の東北地方太平洋沖地震の発生から8年がたち、多くの人たちの努力によって復興が進んできている。 だが、2016年4月の熊本地震、2018年6月の大阪府北部地震、2018年9月の北海道胆振東部地震など、大きな地震は後を絶たない。さらに、地震災害以外にも、集中豪雨による水害や土砂災害、また大雪による災害なども発生しており、日本で生活を続ける以上、災害への備えは欠かすことはできない。 そのような災害への対策を考える上で、被災した人の体験や当時の状況の記録は重要な役割を持つ。そして、その記録に多くの人が触れられるよう、デジタルアーカイブとして公開する試みも進んでいる。これら災害の記録は、災害への備えや教育にどのように生かされるべきだろうか。 2019年1月に東北大学災害科学国際研究所で開催されたイベント、「東日本大震災アーカイブシンポジウム 震災の記録を伝える〜自然災害と防災教育」から
東京電力福島第一原発事故の対応費用が総額81兆~35兆円になるとの試算を民間シンクタンク「日本経済研究センター」(東京都千代田区)がまとめた。経済産業省が2016年に公表した試算の約22兆円を大きく上回った。 81兆円の内訳は、廃炉・汚染水処理で51兆円(経産省試算は8兆円)、賠償で10兆円(同8兆円)、除染で20兆円(同6兆円)。 経産省試算との大きな違いは、汚染水の浄化処理費用を約40兆円と大きく見積もったことや、除染で発生する土壌などの最終処分費用を算入したことなど。また、この汚染水を、水で薄めたうえで海洋放出する場合は、廃炉・汚染水処理の費用が11兆円になり、総額も41兆円になるとした。 これに加えて事故で溶け落ちた核燃料(デブリ)を取り出さずにコンクリートで封じ込める、いわゆる「石棺」方式を採用した場合は、廃炉・汚染水の費用が4・3兆円になり、総額も35兆円になるとした。ただ、「
2019年3月10日、気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館(宮城県)がオープンしました。 被災した気仙沼向洋高校旧校舎に「震災伝承館」を加えた施設であり、旧校舎を見学できるほか、展示室や震災関連映像を上映する映像シアター等が設けられています。 気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館オープン(気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館, 2019/3/8) http://www.kesennuma-memorial.jp/event/detail.php?id=2 施設案内(気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館) http://www.kesennuma-memorial.jp/about/ 気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館(気仙沼さ来てけらいん, 2019/3/5) http://kesennuma-kanko.jp/densyokan_0310open/ 参考: 岩手県、陸前高田市内に整備中の「東日本大震災津波
「原発爆発」映像の衝撃 20世紀は「映像の世紀」と呼ばれる。写真や映画、テレビは20世紀に入って偉大な発展を遂げた。21世紀に入り、これにネットが加わった。人々は歴史的な事実を映像として記憶する。「ケネディ暗殺」「東京オリンピック」「アポロ11号」から「ベルリンの壁」「天安門事件」「昭和天皇崩御」「地下鉄サリン事件」「9.11同時多発テロ」「東日本大震災」まで、歴史的出来事は映像として人々の脳裏に刻まれている。 映像が残っているということは、そこにカメラがあり、映像を記録した人間がいたということだ。「原発爆発」映像は、間もなく8年目を迎えようとする東京電力福島第一原発事故の象徴として、私たちの脳裏に焼き付いている。 1号機の爆発は3月12日午後3時36分だ。すでにニュース部門を離れていた私は自宅でテレビを観ていたが、1号機で「何かあった」ということ以外、リアルタイムで伝えられた情報は皆無だ
津波の被害が大きかった宮城県名取市閖上地区で、流されず残っていた水産加工会社「佐々直」の旧本店工場が、10月下旬にも解体されることになった。名取市が一時、震災遺構として保存を検討したが、民間施設ということもあり断念。同地区で津波の傷痕を示す建物はほぼなくなる。 1981年ごろ建造の鉄骨2階建てで、かまぼこなどをつくっていた。東日本大震災で閖上は最大9メートルの津波に襲われたが、工場の海側にがれきが積み上がり、別の建物もあったことから、津波の力が抑えられたとみられる。佐々木直哉社長(72)は地震の後、避難をせず2階に一人残り、ひと晩水に囲まれながらも助かった。周囲の建物はほとんどが流失した。 一帯は震災メモリアル公園になるため、取り壊しを迫られていた。佐々木社長は「我々はどうしても災害を忘れてしまうだけに、残せればよかった。命を守った建物でもありさびしい」と話す。内陸部の仮設工場などで操業を
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