加藤さんが戦前を回顧した原稿用紙。金子からグルー大使あてに依頼された「志あれば必ず道あり」の言葉が見える 太平洋戦争を挟む四十年以上にわたり、在日米国大使館(東京)で通訳官を務めた男性が、晩年まとめようとした回顧録の草稿や資料が見つかった。男性は一九七〇年に九十一歳で亡くなった加藤冬作(ふゆさく)さん。日米開戦を回避しようと情報交換していた枢密顧問官の伯爵金子堅太郎と米大使ジョセフ・グルーとの間で、メッセージの伝達役を果たしていた。 (奥田哲平) 加藤さんは一八七九(明治十二)年に、現在の名古屋市南区で生まれ、小学校の教員などを経て、二十五歳で単身渡米。ニューヨークで三年間英語を学び、一九〇八年に米大使館陸軍武官室に通訳官の職を得た。四一年十二月八日の日米開戦で職を離れ、日本が主権回復した翌五三年に復職。六四年に八十五歳で退職するまで勤めた。
![東京新聞:日米開戦回避の願いつなぐ 奔走通訳官の遺品発見:政治(TOKYO Web)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/74bed259a22b904bb256831334d37ee7d92a322d/height=288;version=1;width=512/http%3A%2F%2Fwww.tokyo-np.co.jp%2Farticle%2Fpolitics%2Fnews%2Fimages%2FPK2015080302100121_size0.jpg)