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ブックマーク / www.homes.co.jp (6)

  • 竣工以来85年、国の重要文化財に指定された今も“現役”建築の名古屋市役所本庁舎

    故郷、名古屋を離れて38年。帰省する機会も減ったが、テレビの旅番組で名古屋の映像を見ると、懐かしくなる。 名古屋と聞いて、いの一番に思い出すのは、名古屋城と熱田神宮だ。尾張からは織田信長、豊臣秀吉を輩出し、徳川家康が戦国時代に終止符を打った後は、家康によって名古屋城が築かれ、計画的なまちづくりが進められた。今も、かつての城下町に官庁やオフィスビルが林立する。 熱田神宮は、三種の神器のひとつ、草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を祀る古代からの社だ。ちなみに筆者の名前は、「熱田(あった)さんに相談して決めた」と両親は言い、神宮の参道は子ども達の通学路でもあった。 故郷を代表する2つの名所に次ぐ第3の存在に気づいたのは、意外にも旅先の台湾だった。台湾の南部、「高雄市立歴史博物館」を訪れた時、胸の奥からフツフツと、ある故郷の風景が湧き上がった。名古屋市役所の庁舎とどこか似た建築だったからだ。 高雄市

    竣工以来85年、国の重要文化財に指定された今も“現役”建築の名古屋市役所本庁舎
  • 岡藩時代の繁栄ぶりを窺わせる竹田市の『武家屋敷通り』。まち並み保存へのチャレンジを聞いてきた

    大分の玄関口であるJR『大分』駅から豊肥線に乗って約1時間30分、大分県竹田市(たけたし)は人口約2万3000人の小さなまちだ。 小さいながらも観光資源は実に豊富で、かの作曲家・瀧廉太郎が『荒城の月』の構想を練ったとされる岡城の城壁が今も残されており、岡藩時代の繁栄ぶりを窺わせる城下町のまち並みには『武家屋敷通り』と呼ばれる石垣と土塀の路地が続く。また、近年では『竹田の隠れキリシタン』のミステリーが話題となり、全国からこの小さなまちに観光客が押し寄せている。 観光資源が豊富に揃い、観光地としての話題性にも事欠かない…他の自治体からすると羨ましい状況ではあるが、現在竹田市では大切な市の資源のひとつである『武家屋敷通り』のまち並み保存について、様々な課題を抱えているという。竹田市教育委員会文化財課長であり歴史資料館の館長を務める佐伯治さんに話を聞いた。 ▲文治元(1185)年に築城された岡城

    岡藩時代の繁栄ぶりを窺わせる竹田市の『武家屋敷通り』。まち並み保存へのチャレンジを聞いてきた
    tsysoba
    tsysoba 2018/05/18
    大分県竹田市。「江戸時代の武家屋敷通りだけでなく、明治・大正から昭和の戦前の建物まで、日本の建築史をまちの風景から知ることができる」とは気になる。
  • 「高田世界館」日本最古の映画館の、解体の危機から再生に至るまで

    最近の映画館は、アミューズメント施設化が進んでいるようである。座席が揺れたり風が吹いたりする最新設備の映画館も魅力的だが、一世紀前からほぼそのまま残りいまも現役で上映する映画館があることをご存じだろうか。多くの人々が過ごした歴史ある空間で見る映画は、ここでしかできない体験となるかもしれない。 新潟県上越市にある「高田世界館」は、1911年(明治44年)建築。当時、軍隊が近隣に誘致され、約2,000人の人が移り住んできた。急激に増えた人口に対応しようと、問屋街だったまちは急ピッチで商業開発が進む。牛鍋屋や旅館など、相次いで新しい店が増えた。そんな中、娯楽の需要に応える施設として芝居小屋「高田座」ができた。(現、高田世界館)当時の新聞には『ルネッサンス式白亜の大劇場』と記されたそうだ。芝居小屋として営業をしたのは5年だけで、すぐに映画館に業態を変更。「世界館」と名称も変更するのだが、いまも建物

    「高田世界館」日本最古の映画館の、解体の危機から再生に至るまで
  • 道路建設で存続の危機にある中野区唯一のかやぶき古民家。保存を願う市民団体の思いを聞いた

    筆者が取材に訪れたのはよく晴れた秋の日。敷地内の草むしりをしたり、屋敷森に面している道路をほうきで掃いたりと、「中野たてもの応援団の有志たちが思い思いに掃除にいそしんでいた。 「作業の役割分担など決めず、参加メンバーそれぞれが興味のあることをやっています。建物は老朽化していて傾いているのですが、応援団メンバーには建築士や大工さんなど建築関係者もいるので、木のつっかえ棒を取り付けて支えるといった応急処置もやらせていただいてきました。できる人ができることをやる。そんなスタンスで、細田さんのご了承をいただいてお手伝いをさせていただいています」と、中野たてもの応援団事務局の十川百合子さん。かく言う十川さん自身も建築士で、この応援団の発起人でもある。 十川さんは、建築士として住宅設計などに携わるかたわら、協同組合伝統技法研究会の会員として歴史的建造物の調査や修理、活用、保存に取り組んできた。2009

    道路建設で存続の危機にある中野区唯一のかやぶき古民家。保存を願う市民団体の思いを聞いた
  • 江東区深川江戸資料館。江戸深川の庶民の暮らしを忠実に再現!

    今からおおよそ180年前の江戸時代末期。 現在の江東区西側の隅田川沿いは、「深川佐賀町」という町であった。(現在の佐賀一丁目・二丁目) 深川といえば、"江戸っ子"、"深川めし"が思い浮かぶ人も多いのではないだろうか。江東区にある深川江戸資料館は、まさにその江戸庶民の暮らしが再現されている。 もともと、深川江戸資料館のある土地には、江東区役所があった。今から約30年前、区役所の移転により、跡地をどう活用するかの検討がされたという。そのころ、今ほど江戸深川がどんな場所なのかがあまり知られていなかった。「深川の江戸の風景、暮らしを知ることが出来る場所にしたい」、という想いで深川江戸資料館はこの地につくられた。資料館は小劇場やレクホールなども併設し、地元の人のコミュニティの場としても活躍している。 ちなみに江戸東京博物館の開館は1993年。深川江戸資料館はそれよりも早い1986年に開館しており、江

    江東区深川江戸資料館。江戸深川の庶民の暮らしを忠実に再現!
  • 博物館明治村を歩く。明治~昭和初期の名建築に出合う!明治村の成り立ちと歴史

    愛知県犬山市にある「博物館 明治村」。その名の通り、明治時代の建築をメインに、大正時代や昭和初期までの名建築が移築・保存されている野外博物館だ。およそ100万m2という広大な敷地に、国の重要文化財に指定された10件を含む、60以上の建造物を保存・展示している。例えば、アメリカの建築家、フランク・ロイド・ライトにより設計され、大正12年に完成した帝国ホテル中央玄関は、明治村の中でも人気の高い建物のひとつだ。ドラマや映画などのロケでも多く使われ、明治時代へとタイムトリップできる風情が漂う。 明治時代は鎖国がとかれ、世界の文化が日へ急速に流れ込んだ。建築をはじめ、文化、生活様式など、あらゆる面で近代化の基盤となった重要な時代だ。 現在は全国各地で古い建物を保存する取り組みが行われているが、1965(昭和40)年にオープンした明治村は、建物のテーマパーク的な存在としては先駆け。今回は、明治村学芸

    博物館明治村を歩く。明治~昭和初期の名建築に出合う!明治村の成り立ちと歴史
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