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ブックマーク / yonosuke.net (16)

  • 翻訳ゲリラ:生物学的性はバイナリーだ、たとえ性役割がレインボーだったとしても | 江口某の不如意研究室

    生物学的性は、有性生殖をおこなう植物種や動物種すべてにおいて二値変数として定義される。少数の例外を除いて、すべての有性生殖生命体は、一つでも三つでもなく二つの型の配偶子を生み出し、それらはそのサイズの違いによって識別される。メスは、定義によって、大きな配偶子(卵)を生みだし、オスは、定義によって、小さく、通常は運動性の配偶子(精子)を生みだす。メスとオスの配偶子のサイズにこのようにはっきりと二分法が成り立つことは、「異型配偶子接合」(anisogamy)と呼ばれており、生物学の根的な原理を指す(図1)。 生物学的性は、子孫を生みだすためのふたつの別々の進化的戦略を反映している。つまり、メスの戦略は少数の大きな配偶子を生みだし、オスの戦略は多数の小さな(しばしば運動性の)配偶子を生み出す。この根的な定義はすべての有性生殖する生命体に妥当する。セックスに関連した遺伝子型と表現型(性染色体、

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    type-100 2024/08/08
    “生物学的性”は遺伝子(のみ)によって定義されるものでもないし、役割によって定義されるものでもない、という話。性的スペクトラムはあくまで表現型の多様性。
  • 五野井郁夫先生の「キャンセルカルチャーはデモクラシーを窒息させるのか」にはビビりました | 江口某の不如意研究室

    前のエントリではちょっとミル『自由論』の話して、出典の話で終ってしまったのですが、それではあんまり失礼かもしれないので、論文の内容にも少しコメントしておきたいと思います。 私が見るところでは、五野井論文は以下のような構成になっています。 不買運動などのボイコット運動は正当な民主主義運動ですし、それはツイッターでのハッシュタグ運動などに発展しています。(前回触れたミル解釈はここで出てくる)ボイコット運動の延長としてキャンセルカルチャー=コールアウトカルチャーを説明します。ハッシュタグアクティビズム、ノープラットフォーミングなどを紹介します。その問題点は恣意的になりやすいこと、いつ「キャンセル」が終るかわからないことなどです。キャンセルされた有名事例を列挙します。トマス・ポッゲ、ピーター・シンガー、J.K.ローリング、リチャード・ドーキンス、チャールズ・マレー、スティーブン・ピンカー、V.S.

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    type-100 2023/06/10
  • 八重樫徹先生の「猥褻」論(1) 猥褻の定義 | 江口某の不如意研究室

    『フィルカル』っていう若手中心の哲学とカルチャーに関するすばらしい雑誌があって、いつも楽しく読ませてもらってます。八重樫徹先生っていうこれまた優秀な先生が性表現の問題を哲学的に分析する話を連載しているのでじっくり読まざるをえないですね。とてもおもしろいです。 第1回と第2回は性表現と「猥褻」の問題を扱ってて、第1回だけだともうひとつ何をしたいのかわからなかったのですが、第2回が出て「なるほど勉強になる」ってな感じでした。でもちょっと最近気になっている「定義」との関係で問題があるなとも思ったのでメモしておきます。 八重樫先生のはちょっと入りくんだ議論になっていてコメントしづらいところもあるんですが。第1回と第2回で性表現のなかでも「猥褻」とされるやつの概念やそれの規制の道徳的正当化みたいな話なんだけど、第1回で「猥褻」の概念分析やって、第2回でそれがなぜ「悪い」かの話をしてるわけです。これは

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    type-100 2022/10/20
  • 北田先生から怒られてしまった (1) パフォーマティヴってなんですか

    『現代思想』のジュディス・バトラー特集号に載ってた、北田暁大先生の「彼女は東大を知らないから:実践のなかのジェンダー・トラブル」という論文で、私が日頃ツイッタやブログで適当にかきなぐってることについて怒られてしまったのでお返事しようかと思ったのですが、先生の論文はものすごく難しくて何を言ってるのか理解するのにとても時間がかかりました。けっこうがんばって読んだんだけど、結局よくわからなかった。バトラー様まわりはほんとうに時間ばっかりかかって人から憎まれるだけでなにもよいことがないので、泥沼みたいなのところにひきづりこむのやめてほしい。 どうも北田先生がやりたいのは下のような議論らしい。 東大の瀬地山角先生は東大でおこなわれたトークショーで小説家の先生に対してトーンポリシングだかサイレンシングだかをおこない、そしてそれは悪いおこないである。 瀬地山先生の行為がそうした悪いものであるという北田先

    北田先生から怒られてしまった (1) パフォーマティヴってなんですか
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    type-100 2022/06/19
  • 性的モノ化とセクシー化 (1) 「性的モノ化」の議論のむずかしさ | 江口某の不如意研究室

    ポルノやソフトな表現での「性的モノ化」(客体化、物象化)の問題については、ごく簡単な論文もどきも書いたし、もう飽きてる感じではあるんですが、時々ツイッター検索とかをかけると、いまだに時々この概念が使われてるようですね。 何度も書いているように、ポルノとかの「モノ化」の問題の一つは、単なるモノや動物ではない価値をもっていると考えられる人(パーソン)や女性を、単なるモノ(オブジェクト)として扱うこと、勝手に鑑賞したりよしあしを品評したり人の意思に反して操作したりする対象・客体(オジェクト)として扱うことは、他人や自分に対してもつべき尊敬・尊重の念に反するので道徳的に問題がある、というものです。特に女性は男性から性的なモノ、セックスや痴漢や盗撮という行為の対象となりやすく、それよって被害を受けたり、他人がそうされているのを知って少なくとも不快になったりする。いくないですね。(ちなみにここでのモ

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    type-100 2021/02/24
    objectifyそのものが問題なのではなかろうと思っていたので、参考になる。
  • KANEBOの「生きるために化粧をする」CMを見てみました | 江口某の不如意研究室

    少し前に、KANEBOの新しいCMがごく一部で話題になってました。KANEBOはいまリブランディングとかやってて、会社のイメージとか変えるつもりだったんすね。「I Hope.」だそうな。 https://www.youtube.com/watch?v=C86Sgcke5YI なんかおちつきの悪い英語ですね。まあそれの第2弾が「なんのために化粧をする?」「私は生きるために化粧をする」だそうで、ツイッタでも違和感があるとされ (https://togetter.com/li/1561913)、国内でもけっこう有名なフェミニストの千田有紀先生も論評書いてました。 私も見てみたんですが、私は美的にもメッセージ的にも圧倒されましたね。KANEBOは気だ!みたいな。CMの傑作だと思います。これはかなり複雑な作品で、よくわからないっすね。でもなんかツイッタや千田先生の反応はちょっとちがうようにも思う。

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    type-100 2020/08/15
  • Dropbox Businessは非常に危険です | 江口某の不如意研究室

    (この記事は、Dropbox社に対してフェアじゃないものになっています。続きの「Dropbox Businessは馬鹿が使うと非常に危険なことを検証しました」も読んでください) 最近、非常に重大な事故を起こしてしまったので報告します。実際の被害は、最高が7だとすると3か4ぐらい、しかし潜在的な危険度からいうと7段階で7、ってくらい重大。Dropboxでファイルを大量に失なってしまったばかりか、個人情報流出の危険をおかしてしまいました。(実際には流出といえるものはありませんでしたが) Dropbox Businessチームに招待され参加して「アカウントを統合」すると、自分では抜けられない状態になる それだけでなく、それまで自分がもっていたファイルもすべてチームのものになる 個人用の契約が勝手に解除されてしまう 私のアカウントを削除すると、管理者は私のファイルを自分のものにすることができる 管

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    type-100 2020/06/21
  • 星野源先生の「うちで踊ろう」を鑑賞して重なろう | 江口某の不如意研究室

    なんか政府の偉い人が星野源先生の「うちで踊ろう」という曲にのっかって「コラボ」して問題になったそうで、それをきっかけにこの曲を知りました。実は最初に聞いたのがその問題の動画だったのですが、これほんとにいい曲で、へんなおじさん(とかわいい犬)が映ってるのがぶっとんでしまった。 はまってしまてそのあと何回も聞いてしまいました。私が気づいたことを書いておきますね。 勝手な妄想がはいってるので注意。 たまに重なり|合うよな| 僕ら|() | C | B7 | Em7 | G7 | 扉閉じれば|明日が生まれるなら|遊ぼう| 一緒に| | C | B7 | Em7 | G7 | (キメ) |Am7 Bm7 | F/G | ここまで、4拍でコードが1個です。コード進行は、名曲Just the Two of UsのIV△ – III7 – VIm7 – I7 ってやつそのまんまですね[1]実はこのコードの

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    type-100 2020/04/22
  • 堀あきこ先生の「メディアの女性表現とネット炎上」はフェミニスト的メディア批判をうまく説明しているので勉強しよう | 江口某の不如意研究室

    堀あきこ先生のインタビュー記事についてツイッタでいろいろ失礼なことを書いてしまって、反省して論文も読んでみました。学者のインタビューだけ読んで論文読まないほど失礼なことはないですからね。 堀あきこ (2019) 「メディアの女性表現とネット炎上:討論の場としてのSNSに注目して」,『ジェンダーと法』,No. 16 この論文「メディアの女性表現とネット炎上」は、ここしばらくずっと論じられてるのに対する堀先生からの答えという感じでとても勉強になったので、ぜひ紹介しておきたいですね。この論文はとてもまじめなもので、最近の広告表現とかについてのネット議論について、目下のフェミニスト主流的立場をわかりやすく書いてくれているので、みな読むといいと思う。入手しにくいのよねえ。学会雑誌はこれからはオープンアクセスを目指してほしいと思う。 女性を使った表現については、(1) 固定的な性役割、(2) 性別役割

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    type-100 2020/04/01
  • 伊藤公雄先生のマーガレット・ミード | 江口某の不如意研究室

    性差の科学編集委員会 (2011) 『性差の科学の最前線』、京都大学大学院文学研究科社会学教室、っていう報告集があるみたいなんです。google bookにひっかかってきて発見しました。 まだ入手できてなくてよくわからないのですが、そのなかの伊藤公雄先生の文章がとてもひっかかりました。こんな感じです。 まあミードの『サモアの思春期』はデレク・フリーマンの『マーガレット・ミードとサモア』でかなり厳しく批判されて、それがフェミニズム/ジェンダー論に対するバックラッシュに利用されたよ、でもミードのサモアの話と、(前のエントリで紹介した)伊藤公雄先生たちが使ってるSex and Temperamentのニューギニアの話は違うよ、ってな話ですね……。そうか……。……。 デレク・フリーマン先生の『マーガレット・ミードのサモア』は有名なのですが、パプアニューギニアの方の研究についてもデボラ・ゲワーツ先生

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    type-100 2020/02/14
  • 「ジェンダー論と生物学」 (7) 性暴力、性欲、ドーキンスの麻薬患者 | 江口某の不如意研究室

    加藤先生は一応、原因と理由が切り離せないという話を、性暴力の話をつかって説明しようとしているように見えます。しかしここも私にはわからない。 ここで改めて性暴力(と呼ばれる人間の行動)について考えてみよう.性犯罪を犯した少年たちの治療教育に長らく携わった藤岡淳子によれば,性暴力とは「性的欲求によるというよりは,攻撃,支配,優越,男性性の誇示,接触,依存などのさまざまな欲求を,性という手段,行動を通じて自己中心的に充足させようとする」行為であるという(藤岡2006: 15). (pp. 156-157) ここで挙げられている藤岡淳子先生の『性暴力の理解と治療教育』は国内ではよく読まれているのようです。私はちょっと問題があると思っているのですが、ここでは触れません。「性的欲求によるというよりは」を、「性的欲求だけではなく」ぐらいに解釈してよいならとりあえずOK。 「性的欲求」が性暴力の一要因で

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    type-100 2020/02/01
  • 「ジェンダー論と生物学」 (3) なぜ鳥に「浮気」を使ってはいかんのか | 江口某の不如意研究室

    まえのエントリの最後、加藤先生の見解では、人間以外の生物には性別役割や性差別が存在しないので、性的二型が性役割や性差別にどう関係するかという課題は、生物学ではなく人文社会系のジェンダー研究の課題だ、ということになる。 これは見た目よりも複雑な主張ですよね。性差別は人間社会以外には存在しない、っていうのはありそうな話だってのはみとめてもよい。なぜなら性差別は(おそらく定義からして)性によって人々を不適切に、差別的に扱うことであり、人間以外の存在者について、「道徳的に不適切な振る舞いだ」などということが言えるとはおもえないから。 「性別役割」の方はそれに比べるともっと面倒になる。オスとメスがちがった行動をとったりすることは人間以外の生物について認められる。もちろん、「ネコのメスはこうするべきだ、そうしないと不道徳なメスだ」などということはありえないが、たとえば鳥のつがいや、ゴリラやオットセイ

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    type-100 2020/02/01
  • 「ジェンダー論と生物学」(2) 性的二型とか | 江口某の不如意研究室

    んで、加藤秀一先生のに関するエントリの続きもしばらくだらだら書きたい。私、よくわからない文章を見ると、それにつてなんか書いておかないとものすごく気持ち悪くて、ずっとそれについて考えちゃうんよね。 ジェンダー研究と生物学研究がすれ違いつづける理由の一つは、実は関心の対象が異なるのに、そのことがしばしば理解されていないということである。 まず、「生物学」っていう学問のくくりについて先生がどう考えてるのかよくわからんのよね。フェミニズム/ジェンダー論などとバッティングしているのは、生物学そのものというよりは、社会生物学、そして 進化心理学と呼ばれる分野 だと思う。まあウィルソンの「社会生物学」とトゥービー&コスミデス組やデヴィッド・バス先生たちの進化心理学は同じものだ、っていう話もあるわけだけど。とにかく基的に問題になるのは、心理学や人間行動学という分野で扱われるような人間の行動の話が中心であ

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    type-100 2020/02/01
    “人間以外の生物にはそもそも「性別役割」や「性差別」は存在しない”?
  • 加藤秀一先生の「ジェンダー論と生物学」は問題が多いと思う (1) まずは細かいところ | 江口某の不如意研究室

    年末、このブログでも何回か取り上げている加藤秀一先生の「ジェンダー論と生物学」という文章を読む機会がありました。(社会構築主義を中心にした)フェミニズム/ジェンダー論と、生物学の間の葛藤と、その調停の試みの思想と歴史という感じの論説なのですが、なんかいろいろ違和感があってしょうがないので、メモだけ残しておきます。論文は下のに収録されています。 まずそもそもこのネタで論文や論説書くときに、当然あがってくるべきだと思う文献が出てこないのでおどろきました。ピンカーの『人間の性を考える』はさすがに文献としてとりあげられていますが、社会生物学/進化心理学側の人々の言い分を十分に展開したものが言及されていない。特に、オルコックの『社会生物学の勝利』やセーゲルストローレの『社会生物学論争史』はそのまんまなのでなぜまったく出てこないのか理解しがたいです。ソーンヒルとパーマーの『人はなぜレイプするのか』、

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    type-100 2020/01/26
  • 宇崎ちゃん問題 (5) 「表象の「悪さ」」の「悪さ」がわかりにくい | 江口某の不如意研究室

    小宮先生の文章(『世界』のと『現代ビジネス』のの両方)では、「表象の「悪さ」」とかそういう表現が頻繁に出てくるのですが、この「悪さ」っていう表現にも私はひっかかってしまう。これはかなり面倒な事情があって、ちょっとここでは簡単には説明できないのですが、いくつか私の「困り」を説明しておきたいと思います。 どういう種類の「悪さ」か:それは「道徳的な悪さ」か?「表象の悪さ」っていわれたときに、ある表象(つらいので、以後表現とか表現物とか書くことにします)が悪いことがある、ってことを言ってるのはもちろんわかる。問題は、その悪さというのはどういう種類の悪さかということです。人を殴るのは悪い。これは道徳的に悪い。道徳的に悪いというのがどういうことかというのもこれまたむずかしいのですが、人を殴るのは悪いので、殴るのをやめるべきだというのは当然として、さらに、人を殴るのは避けるべきだ、人を殴った人は罰される

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    type-100 2019/12/19
  • 宇崎ちゃん問題 (4) 「モノ化」は「客体化」でもやむをえない | 江口某の不如意研究室

    ちなみにここで小宮先生にはあんまり責任がない「客体化」もむずかしいって話もしとかないとならんかな。 牟田先生が「客体化」って使ってんのに私は「モノ化」にして、小宮先生も「客体化」にしてて、まあどうせ専門用語だからobjectificationっていう英語に対応する訳語だってわかってりゃそれでいいでんですが、私「モノ化じゃなくて客体化だろ!」「モノ化という訳語はだめではないか」って言われちゃってるので、ちょっとだけいいわけ。 これ実際カタカナ使っていいんだったらオブジェクト化でもよかったし、あるいはさらにさかのぼって「物象化」「物件化」とかそういう訳語も可能だったかもしれないわけです。十数年前に論文モドキ書いたときはかなり悩んだ末に「モノ化」にしたんですが、今思えばもう「モノ扱い」でもよかったくらいだと思ってます。その方がわかりやすいでしょ。日常的だし。 あの論文ではとにかくヌスバウム先生の

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    type-100 2019/12/19
    性的客体化という言葉はあんまりよろしくないんじゃないの、と俺も思う。人間の認識行為の根本にあるのも客体化なので
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