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  • # 第16回芸術評論募集|MAGAZINE

    © Culture Convenience Club Co.,Ltd. All Rights Reserved. 美術手帖はアートのポータルサイトです。当サイトの情報は編集部まで寄せられた情報に基づいています。

    # 第16回芸術評論募集|MAGAZINE
  • 第16回芸術評論募集 【次席】北澤周也「東松照明『日本』(一九六七年)と「群写真」―社会化された自由な「群れ」―」|美術手帖

    第16回芸術評論募集 【次席】北澤周也「東松照明『日』(一九六七年)と「群写真」―社会化された自由な「群れ」―」『美術手帖』創刊70周年を記念して開催された「第16回芸術評論募集」。椹木野衣、清水穣、星野太の三氏による選考の結果、次席にウールズィー・ジェレミー、北澤周也、佳作に大岩雄典、沖啓介、はがみちこ、布施琳太郎が選出された(第一席は該当なし)。ここでは、次席に選ばれた北澤周也「東松照明『日』(一九六七年)と「群写真」―社会化された自由な「群れ」―」をお届けする。 はじめに 東松照明(1930~2012)の初期作品『日』(1967)は、東松が唱えた「群写真」概念の質を、実践的に内包させた写真集である。そこでは、異なる時空間で撮影されたテーマ別の写真群が、構図やテクスチャー、あるいは被写体の同質性によって内容的断絶を持ったイメージ同士をリンクさせると同時に、書籍における読みのリニ

    第16回芸術評論募集 【次席】北澤周也「東松照明『日本』(一九六七年)と「群写真」―社会化された自由な「群れ」―」|美術手帖
  • 第16回芸術評論募集 【佳作】はがみちこ「『二人の耕平』における愛」

    第16回芸術評論募集 【佳作】はがみちこ「『二人の耕平』における愛」『美術手帖』創刊70周年を記念して開催された「第16回芸術評論募集」。椹木野衣、清水穣、星野太の三氏による選考の結果、次席にウールズィー・ジェレミー、北澤周也、佳作に大岩雄典、沖啓介、はがみちこ、布施琳太郎が選出された(第一席は該当なし)。ここでは、佳作に選ばれたはがみちこ「『二人の耕平』における愛」をお届けする。 小林耕平+髙橋耕平 接触の運用の往復 「【ALLNIGHT HAPS 2017後期】「接触の運用」#5 」(HAPS、2018)会場風景 撮影=松見拓也 1、接吻―接触 髙橋耕平と小林耕平の二人が2016〜18年に展開した「二人の耕平」(*1)は、「接触」を通じて「愛」という状態について考察するものである。と、つい〈考えさせられてしまう〉のは、「同化」がテーマのこのプロジェクトに髙橋が混ぜ込んだ、接吻やセックス

    第16回芸術評論募集 【佳作】はがみちこ「『二人の耕平』における愛」
  • 第16回芸術評論募集 【佳作】沖啓介「Averages 平均たるもの エドワード・ルシェから始める」

    第16回芸術評論募集 【佳作】沖啓介「Averages 平均たるもの エドワード・ルシェから始める」『美術手帖』創刊70周年を記念して開催された「第16回芸術評論募集」。椹木野衣、清水穣、星野太の三氏による選考の結果、次席にウールズィー・ジェレミー、北澤周也、佳作に大岩雄典、沖啓介、はがみちこ、布施琳太郎が選出された(第一席は該当なし)。ここでは、佳作に選ばれた沖啓介「Averages 平均たるもの エドワード・ルシェから始める」をお届けする。 1枚のスライドを持っている。スライドにはカリフォルニア大学のスタンプが押してあり、ホルダーにはアーティストの名前や制作年とともに、作品のコレクターの名前も見える。絵画作品の記録だ。 かつてリバーサルフィルムのエマルジョンナンバーは、カラー写真を撮影するときには、必須のチェック項目だった。エマルジョンナンバーによって色補正フィルターを選んだ。写真によ

    第16回芸術評論募集 【佳作】沖啓介「Averages 平均たるもの エドワード・ルシェから始める」
  • 第16回芸術評論募集 【佳作】布施琳太郎「新しい孤独」

    第16回芸術評論募集 【佳作】布施琳太郎「新しい孤独」『美術手帖』創刊70周年を記念して開催された「第16回芸術評論募集」。椹木野衣、清水穣、星野太の三氏による選考の結果、次席にウールズィー・ジェレミー、北澤周也、佳作に大岩雄典、沖啓介、はがみちこ、布施琳太郎が選出された(第一席は該当なし)。ここでは、佳作に選ばれた布施琳太郎「新しい孤独」をお届けする。 アマリア・ウルマンのプロジェクト「Privilege」(2016年2月23日のインスタグラム投稿より) 0 主体なき時代の芸術にむけて 今日の社会において人間から失われたのは孤独である。差異や体系といったものが全面的に破綻し、すべてが幻想のなかで触覚に一元化された。終わりなき日常の一部となった突然のカタストロフィ。わかりやすいだけの物語に傾倒していく大衆。そして主体の消去。こうして自分が自分に話しかける時間――孤独は失われた。新しい貧しさ

    第16回芸術評論募集 【佳作】布施琳太郎「新しい孤独」
  • 第16回芸術評論募集 【佳作】大岩雄典「別の筆触としてのソフトウェア——絵画のうえで癒着/剥離する複数の意味論」

    第16回芸術評論募集 【佳作】大岩雄典「別の筆触としてのソフトウェア——絵画のうえで癒着/剥離する複数の意味論」『美術手帖』創刊70周年を記念して開催された「第16回芸術評論募集」。椹木野衣、清水穣、星野太の三氏による選考の結果、次席にウールズィー・ジェレミー、北澤周也、佳作に大岩雄典、沖啓介、はがみちこ、布施琳太郎が選出された(第一席は該当なし)。ここでは、佳作に選ばれた大岩雄典「別の筆触としてのソフトウェア——絵画のうえで癒着/剥離する複数の意味論」をお届けする。 山直輝 実体のない風景としての人物 2018 山直輝の〈歯〉 1982年生まれの画家・山直輝の絵画《実体のない風景としての人物》(2018)[図1]は、山の主な制作環境であるAdobe Illustrator特有の挙動を画面上に残している。中央下には左端が画面上で垂直に削られたテーブル、そのうえに、およそ人体のような

    第16回芸術評論募集 【佳作】大岩雄典「別の筆触としてのソフトウェア——絵画のうえで癒着/剥離する複数の意味論」
  • ある彫刻家についての覚書──それでもつくるほかない者たちのために

    第二次世界大戦に際して、日政府は寒天の輸出を禁じるという奇妙な措置を講じている。この背景には、19世紀末に細菌学者のコッホが(彼の助手であるワルター・ヘッセのファニーのアイデアで)細菌培養に寒天を使用して以降、世界中の研究所で寒天の需要が激増したという事実があった。寒天は日特有の輸出品であることから、これを禁止することは他国の細菌兵器研究を遅延させるうえできわめて重要な意味をもつ。ただその結果、日の漁村には大量の天草(寒天の原料)が余ることとなった。この余剰寒天を大胆にも特撮映画に採用したのが円谷英二である。1942年の映画『ハワイ・マレー沖海戦』(監督=山嘉次郎)においても、一部の海面のシーンに寒天が使われているという。ミニチュアの軍艦を水に浮かべての撮影では波や水しぶきの不自然さが際立ってしまうという弱点を、寒天は見事に解決してくれている。寒天は人々によってべられ、細菌培養

    ある彫刻家についての覚書──それでもつくるほかない者たちのために
  • REALKYOTO – CULTURAL SEARCH ENGINE » 対談:島袋道浩×浅田 彰 一休さんと現代美術(上)

    構成:浅田 彰+編集部 対談写真:編集部 展示・作品・会場写真提供:島袋道浩 編集協力:斉藤雅子 浅田 今日は昨年、京都造形芸術大学大学院グローバルゼミでも教鞭を執られた島袋道浩さんをお迎えしました。去年の春、島袋さんがここで話をされたとき予告されたように、京都府で「京都:Re-Search」というアーティスト・イン・レジデンスのプログラムをやっていて、その成果が『大京都』と称して発表される。その一環として、去年の夏、京田辺市で島袋さんが応募者の中から選んだ3人のアーティストのレジデンスの成果とともに作品を発表された。まずはそれを振り返るところから始めましょうか。 島袋 そうですね。京都というとどうしても京都市が主役になっちゃうじゃないですか。でも、京都府には、北に天橋立があったり、南に京田辺があったり、そういう地域の魅力をアーティスト・イン・レジデンスによって発見し、アーティストの作品を

  • ボイス・トランスレーションーー“バ美肉”は何を受肉するのか?|Real Sound|リアルサウンド テック

    古くから、女性の美声は妖しいものとされてきた。この声は儀礼や芸能の場において神を言祝ぎ、あるいはエロスを操り、死を招くものとして扱われた。高い声はそれが特定の身体から発されたことをマスキングする。そして男性にとってそのような女性の声は、化粧や衣装、果ては映像編集などの視覚的な操作によって「女性を装う」ことが可能になってもなお、最後に残った障壁であった。それは異性装においてももちろんのこと、虚構のキャラクターを創作する場合においても同様である。 稿に始まる二つの文章は、「バ美肉」と呼ばれるウェブ上にアップされた動画について書かれたものだ。これは、Youtube上にアップされた「バーチャルYouTuber」(以下VTuber)という、3DCGでデザインされたキャラクターにリアルタイムで声を吹き込んだ動画群(あるいはその制作者)の、限定的なジャンルを意味している。まだ認知され始めたばかりのジャ

    ボイス・トランスレーションーー“バ美肉”は何を受肉するのか?|Real Sound|リアルサウンド テック
  • 僕とイエスと掘っ立て小屋 2004/05/27 運命の赤い糸というものは、なにも恋人たちを結ぶためだけにあるのではない。人と人との出会いと別れの数だけそこかしこに結ばれては消える、無数の糸の絡み合い。まあ36年も生きていれば、いろいろな糸が絡みついてくるものだけど、とっくの昔に切れたと思っていた赤い糸が、文字通り紆余曲折を経て目の前に現れることもあったりするのだ。 新宿の街をブラブラしていた時、その声は突然背後から響いてきた。しょぼい街宣車のスピーカーから流れるアジテーションは、叫び声にも似た強烈な音色で

    “ 僕とイエスと掘っ立て小屋 2004/05/27 運命の赤い糸というものは、なにも恋人たちを結ぶためだけにあるのではない。人と人との出会いと別れの数だけそこかしこに結ばれては消える、無数の糸の絡み合い。まあ36年も生きていれば、いろいろな糸が絡みついてくるものだけど、とっくの昔に切れたと思っていた赤い糸が、文字通り紆余曲折を経て目の前に現れることもあったりするのだ。 新宿の街をブラブラしていた時、その声は突然背後から響いてきた。しょぼい街宣車のスピーカーから流れるアジテーションは、叫び声にも似た強烈な音色で大都会のビルの谷間こだました。なんとなく聞き流して紀伊国屋にでも入ろうかと思った瞬間、信じられないような言葉が飛び込んできた。 「…世界経済共同体…わたくし、又吉イエスは!…」 又吉イエス…ああ、それは沖縄が誇る、いや隠したかったかもしれない有名人の名前である。1998年に全国的に注目

    僕とイエスと掘っ立て小屋 2004/05/27 運命の赤い糸というものは、なにも恋人たちを結ぶためだけにあるのではない。人と人との出会いと別れの数だけそこかしこに結ばれては消える、無数の糸の絡み合い。まあ36年も生きていれば、いろいろな糸が絡みついてくるものだけど、とっくの昔に切れたと思っていた赤い糸が、文字通り紆余曲折を経て目の前に現れることもあったりするのだ。 新宿の街をブラブラしていた時、その声は突然背後から響いてきた。しょぼい街宣車のスピーカーから流れるアジテーションは、叫び声にも似た強烈な音色で
  • アニメとゲームと恋の楽園

  • 『vaporwaveがどのようにしてインターネットで作られ、そして、壊されたか。』

    vaporwaveがどのようにしてインターネットで作られ、そして、壊されたか。 | CAHIER DE CHOCOLAT [ORIGINAL] HOW VAPORWAVE WAS CREATED THEN DESTROYED BY THE INTERNET An exploration of the anti-consumerism music that died the way it lived. AUG 19, 2016 http://www.esquire.com/entertainment/music/a47793/what-happened-to-vaporwave/ Photo Illustration by Kevin Peralta vaporwaveがどのようにしてインターネットで作られ、そして、壊されたか。——ふさわしい死に方をした反消費主義の音楽についての考察 201

    『vaporwaveがどのようにしてインターネットで作られ、そして、壊されたか。』
  • 女児時代、プリパラで育って本当によかった - プラスチック科学館

    私がプリパラに出会ったのは高校に上がるか上がらないかのギリギリの年齢だった。テスト勉強の合間に、大好きだったプリキュアCGダンスEDをyoutubeで探していた時だった。再生終了時、関連動画自動再生でファルルの「o-week-old」が流れた。私は名前も知らない画面の中の偶像《アイドル》に一瞬で「落ちた」のだ。 www.youtube.com 必死になってwikiを見に行った。「女の子のキラキラ」から生まれた緑髪のねじ巻き電子人形《ボーカルドール》。この時点で幼少期はリカちゃん、そして小学校でボカロに触れてオタクになった我々ゼロ年代が逃れられるわけがなかった。それは恋とか推しとか二文字で済む感情ではなく、それら全てを包括した「彼女と同一の電子存在に近づきたい」という憧憬だった。テスト期間ひたすら0-week-oldを作業用BGMに聞き続け、考査終了と同時に私はプリパラの視聴を始めた。 プ

    女児時代、プリパラで育って本当によかった - プラスチック科学館
  • 2020年3月に、美学会の2019年度若手研究者フォーラム発表報告集に掲載された論文です。

    『藝文攷』25号に掲載された「翻訳:ニコラ・ブリオー『関係性の美学』美的なパラダイム」は、Nicholas Bourriaud, Relational Aesthetics, Translated by Simon Pleasance & Fronza Woods with the participation of Mathieu Copeland, Les presses du reel, 2002のThe aesthetic paradigm (Félix Guattari and art) pp.86-105.の後半部分のpp.95-105.を翻訳したものです。掲載の字数制限のため、ブリオーの主張が中心となっている後半部分だけにしました。しかし、前半部でブリオーはガタリの思索や活動について詳細に述べているため、後半部だけではわかりにくい部分も多いです。そのため、『藝文攷』25号には掲

    2020年3月に、美学会の2019年度若手研究者フォーラム発表報告集に掲載された論文です。
  • 浅田彰【映画の21世紀は『EUREKA』をもって始まる】

    映画の第二世紀は青山真治をもって始まる。劇場映画デビュー作『Helpless』(1996年)の予告篇で蓮實重彦のそんな言葉が大きく映し出されたときは、この戦略家ならではの大げさな誇張に辟易したものだ。不明を恥じねばならない。現に映画の21世紀は青山真治の『EUREKA』をもって始まったのである。 物語自体は寓話的と言っていいほど単純だ。1992年。福岡県で起こったバスジャック事件で、6人の乗客と犯人が死に*[2]、運転手(沢井)と通学途中のロー・ティーンの兄妹(直樹と梢)だけが生き残るが、沢井はやがて出奔し、兄妹は自閉と失語に陥る。2年後。沢井は家に戻り、土方として働き始める。他方、兄妹は、母が出奔し、父が交通事故で死んで、二人きりで暮らすようになる。たまたまそのことを知った沢井は、兄妹の家に住み込み、そこに兄妹の従兄の秋彦*[3]も加わって、奇妙な共同生活が始まる。だが、それが安定するこ

  • REALKYOTO - 2017年フランス大統領選挙の後で

    浅田 彰(あさだ・あきら) 1957年、神戸市生まれ。 京都造形芸術大学大学院学術研究センター所長。 同大で芸術哲学を講ずる一方、政治、経済、社会、また文学、映画、演劇、舞踊、音楽、美術、建築など、芸術諸分野においても多角的・多面的な批評活動を展開する。 著書に『構造と力』(勁草書房)、『逃走論』『ヘルメスの音楽』(以上、筑摩書房)、『映画の世紀末』(新潮社)、対談集に『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫)、『20世紀文化の臨界』(青土社)などがある。 最新のエントリー 19.05.01 昭和の終わり、平成の終わり 19.03.29 原美術館のドリス・ファン・ノーテン 19.03.07 マックイーンとマルジェラ――ファッション・ビジネスの大波の中で 18.12.07 映画のラスト・エンペラー――ベルナルド・ベルトルッチ追悼 18.11.03 トランプから/トランプへ(5)マクロンとトラン

  • 「日本画」という移動ルート。 村上春樹『騎士団長殺し』を美術で読み解く

    「日画」という移動ルート。 村上春樹『騎士団長殺し』を美術で読み解く2月24日、村上春樹の新刊長編小説『騎士団長殺し』(新潮社)が発売された。長編作品としては、2010年に刊行された『1Q84 BOOK3』から実に7年ぶりとなった作は、肖像画家の「私」を主人公に、美術が大きな要素として全編を貫いている。その『騎士団長殺し』をインディペンデント・キュレーター、長谷川新が独自の視点で読み解く。(稿には物語の詳細に触れる箇所が含まれています) 文=長谷川新 村上春樹『騎士団長殺し』 「日画」をめぐる物語 村上春樹の新作『騎士団長殺し』は、《騎士団長殺し》という題名の「日画」をめぐる物語である。作には、これまで村上が執拗に登場させ続けたプロット、モチーフが改めて繰り返し登場しているが(との離婚、霊性を帯びた少女、井戸、戦争、生き霊、謎の超常的存在など)、この「日画」はそのなかでも異

    「日本画」という移動ルート。 村上春樹『騎士団長殺し』を美術で読み解く
  • 追悼しない - 能町みね子のふつうにっき

    迷ったけど、中途半端に140字を連発して真意が伝わらないのが嫌なので、別の箇所に書いたものをここに転載する。 思い出などは特に書かない。自分のためだけにわがままな文を書く。 腹が立つ気持ちと、悲しい気持ちと、恐怖がかわるがわる訪れる。忙しい。気持ちだけで大変なので仕事などできない、と思いながらちゃんとギリギリのことはやっているので、自分の鈍感さを頼もしく感じながらも憂う。毎日15回くらい泣いている。昨日も起きていきなり泣いてびっくりした。今も泣いている。 昨日は人との仕事が終わったあともう何をしたらいいかわからず、国会図書館からなんとなく歩いた。歩いたら文藝春秋に着き、ホテルニューオータニの華やかな光の前を通り、土手に上って真っ暗な道を歩き、四ツ谷にたどりつき、四ツ谷のロンに初めて入った。喫煙可の表示を見て、思いつきで、吸わないタバコを買って来て吸った。強いものをやっても定着しないだろうと

    追悼しない - 能町みね子のふつうにっき
  • Thomas Ruff

    ロラン・バルトの言うように、写真とは「それがあった( Ça-a-été)」ということの光化学的痕跡であるとすれば、現在のディジタル画像は最初から0と1の集積でしかなく、コンピュータによっていかようにも変換することができる。そこには、たんなるアナログ写真からディジタル写真への変化というだけではない、ほとんど写真の死ともいうべき断層が横たわっているのだ。 ベッヒャー夫の下で写真を学び、いかにも写真らしい写真から出発したルフも、1980年代末にはすでにコンピュータによる画像処理を導入し、やがては処理する画像も自分の撮った写真にこだわらなくなる。天文台やアメリカ航空宇宙局(NASA)のデータ、あるいは新聞写真、さらにはインターネットから拾ったポルノグラフィックな映像までが、コンピュータ上で自在に処理され、写真ではない何ものかとして出力される。 注目すべきは、そこでルフがいかにも写真らしい見かけに

    Thomas Ruff
  • 『君の名は。』の大ヒットはなぜ“事件”なのか? セカイ系と美少女ゲームの文脈から読み解く

    新海誠はアニメ界の「鬼っ子」的存在 新海誠監督の新作アニメーション映画『君の名は。』が、記録的な大ヒットを続けています。公開10日間ですでに興行収入が38億円を突破したといいますから、これはもはや2010年代のアニメ界におけるひとつの「事件」といってよいでしょう。今年の夏はさまざまな意味で「平成の終わり」を実感させられるニュースが相次ぎましたが、まさにアニメ界においても、名実ともにいよいよ「ポストジブリ」の新時代が到来したことを感じさせるできごとです。 しかも注目すべきは、今回のヒットが、内容的にもスタジオジブリやスタジオ地図(細田守)のように、老若男女、幅広い層から支持されているというよりは、10~20代の若者世代、とりわけ女性層に特化して受けているらしいという点です。この『君の名は。』をめぐる現在の盛りあがりには、ゼロ年代から新海作品を観続けてきたアラサーのいち観客として、いろいろと感

    『君の名は。』の大ヒットはなぜ“事件”なのか? セカイ系と美少女ゲームの文脈から読み解く