仲春はゆっくりと通り過ぎる 寝て起きたら3月である。今日の東京の最高気温は20度を超えている。正月のインフルエンザが完治して、これでやっと健康で文化的な本年度を始められるぞ、と意気込んだのも束の間、今度は原因不明の高熱を出して1週間寝込んだ。 脳がグツグツ煮える音が聴こえそうなほど…
http://a-pure-heart.cocolog-nifty.com/2_0/2007/10/post_b62c.html そもそも、異文化コミュニケーションというのは何のことなのでしょうか。 「異文化」と「コミュニケーション」するといっても色々なフェーズがあります。 A:自分が異文化に溶け込む(異文化を理解する) B:異文化を自分が属する文化規範に従わせる(異文化を征服する) C:自分の利益と反しないものに関しては理解も征服もしない(無関心) 一般的に言って、Aの態度が取れれば非常に良いという事は明らかです。ところが、少し考えればわかる事ですが、「全ての異文化」を理解する事などほとんど不可能に近いでしょう。オタクでもDQNでもイスラム教でもなんでもいいのですが、その文化を理解しようとするためには多大なコストがかかります。皆がみAの態度を取れれば何の問題もないわけで、それができてれば
男性には売ることはできません すべての女性向けサークルにいわれることはないが、いくつかサークルを見て回るときに、ちょこちょこといわれることがある。 会場できれいな表紙の本があって、それを手に取ったところでいわると悲しい。もちろん、イベントに行く前からWebサイトでイラストや漫画を見て、「このサークルの本がほしいな」と期待しながらスペースに向かったところで、これをいわれても悲しい。 「腐女子」がいろんなメディアで取り上げられる中、ひやかしのような形で人がくることも多くなるだろうから、自衛する必要があるだろうし、単純に自分の性癖とかフェチを男に見せたくないということもあるだろう。何より僕のようないかついキモオタに売る本などないのだろう……。 最近は、立ち読みでも「すいません、ちょっと」といわれてしまうことがあるので、売ってもらえる、あるいは立ち読みさせてもらえるだけでも「ありがとう」という気持
背伸びしなければ成長できないわけではないが、成長したいという欲望は実際の成長に役立つし、背伸びはどうしても成長への欲望に付随する、ので、やむをえない過剰さとして見過ごすのがよかろうとなる。が、背伸びが屈折すると優越感を得たいという欲望にすりかわってきて、このへんになるともはや別口だろうしどうしたものかと思うが、しかし成長の過程で手ごたえだとか確かさがあったほうが楽しいしやりがいも出てくるってのも事実だし、成長可能性の間口は広いほうがよいのだから、やはりそこも見過ごすのがよかろうと判断、することはできる。 第一、優越感ゲームってのは結構むずかしいのである。なにしろ、日夜ニッチにはしる努力ばかりしている類のオタだのサブカルだのというのは、その先進性がふつうのひとにまったく理解されない。理解されないというのは、言い換えれば劣等感をもってくれないということだ。そして、劣等感をもってくれない相手には
編集家・竹熊健太郎さんのウェブサイトで、「フジでオマイラキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」という記事を拝見した。この記事において竹熊さんは、「才能無き者が無いままにクリエイターとして突き進んでいくこと」に関して色々なことを書いている。自分にそれほどの才能や情熱が無いにも関わらず、オタク趣味ばかりにエネルギーを差し向け続けたまま、いい歳に来てしまった人がどうなるのかについても、フジテレビ「プレミア5」の放送内容と合わせて解説している。とても面白い内容なので、まだ読んでないオタクさんは是非一度読んでみて欲しい。 それはそうとして、この記事を読んで私が思い返したのは、「そういえば最近、オタク仲間と話をしている時に、オタク中年化問題が話題になることが多いなぁ」ということである。ある程度オタク界隈に詳しい人と話をすると、なにかしらの形でオタク中年化問題が話題に出ることがある。このテキストでは、オタ
この4年間脱ヲタ道を邁進してきたけど、どうも限界を感じつつある。 確かにいい服は揃った。 着まわせる量もある。 ファッション雑誌を読み、ある程度の組み合わせはちゃんと出来るようにもなった。 でも、決定的に足りない部分がある。 ソレは・・・何と言っていいか・・・うまい言葉は見つからないんだけど・・・ 何と言うか「リアル感」というか・・・。 つまりは、ソレを「着る」んじゃなくて「着こなす」。 いや、着こなしの知識はある。 そうじゃなくて・・・知識とかじゃなく・・・。 何と言うか・・・「感覚的に着こなす」「自然に着こなす」・・・。 つまり「知識」としての着こなしじゃなくて「ライフスタイル」としての着こなし・・・。 上手いこと言えないけど、そんな感じだ。 そしてそんな「リアル感」の根本は、断言すれば「音楽」と「スポーツ」じゃないだろうか。 「何を唐突な」という意見は甘受する。 「極論過ぎる」という
個人サークルも増えてきた昨今、一人でイベントに参加する人も多くなりました。そんな折、女性の一人サークル参加の方で「困った男性客」に悩んだ経験のある方は少なくないと思います。きっと困った事をしている男性本人にはわからないのだと思いますが、女性にとって知らない男性というものはどんな状況でも多少なりとも怖いものなのです。それがたとえ「好意」によるものであったとしても、相手がそれを「迷惑」「恐怖」に感じているという事は大いにありえる事です。 以下に迷惑な男性客の例をあげてみます。 1)なれなれしい。 1度でも話したら友達(脳内彼女?)と思っているふしがある。メール・手紙などが妙になれなれしい。やたらにプライベートを詮索する。 2)スペースの前で長居する。1日に何度もスペースに来る。 自慢話や業界内輪話、ジャンルには関係のあることかもしれないが自分には興味の無い事(例えばロボットアニメジャンルで女性
木曜に再放送があったので見ました。「趣味を生きがいにする話@東京・ヲタ芸ライフ」 。 「ヲタ芸」という語はほとんど誘い文句みたいなもので、アイドルのイベントを自ら運営しているヲタと、就活を前に悩む青年との対話の物語でした。だからヲタ芸うんぬんということの感想はあまり書けない。せいぜい「腕の伸び切っていないロマンスは美しくない」という美学を語るにとどまる。 そんなことよりなにより、ヲタの実存ということに関して、深い問題提起をしてくれている番組であった。「仕事にそのエネルギーを使えばいいのに」なんていうのはヲタじゃない立場からすれば当然の疑問である。それに対して、「好きなものが仕事であるかないかに大差があるのか」というこれまた当然の返答をする。アイドルイベントの現場を通し、「仕事を生きがいにしたい、何も行動していない人間」と、「趣味を生きがいにし、行動を起こす人間」という対比がなされる。 ここ
若年世代におけるサバイブ感覚の強さとコミュニケーション志向に関連して、脱オタについても少し。 そういえば、コミュニケーションスキル/スペック改善という意味の脱オタが現れつつあったのも(現実を生き延びろという気分と、コミュニケーションの重要性が脚光を浴びつつあった)90年代後半だった。昔は秋葉原を行きかうオタクの服装は“なるほどオタクだ”と思わせるものが多かったけれど、最近はそういう人も大分少なくなってきた。2006年頃には、秋葉原もコミケもすっかり「キモオタの相対的減少」を呈し、とりわけ若年コミケ参加者においては審美性を疎かにしている参加者がいよいよ少数派になってきている。2000年頃のコミケでは考えられなかったことだが、ここ数年の間に若年オタク層の処世術はかなり変化してきており、若年オタクを中心にコミュニケーションにリソースを振り分けた人間が着実に増えていると思う。二十代後半〜三十代前半
↑タコシエ・オンラインにて絶賛発売中!通販可能!在庫切れの際はご容赦ください。 【関連サイト】 ・純粋なココロ(旧サイト) ・世界のはて(はてなダイアリー別館) ・Twitter@Masao 【正直、むしろ古いと思った】 ・さて次の企画は - 95年エヴァンゲリオン文化圏の終わり--知的な塹壕としての「ゼロ年代の想像力」スタートと、よしながふみ「フラワー・オブ・ライフ」完結について ↑の記事で絶賛されていたので、産まれて始めてSFマガジンを買って、「ゼロ年代の想像力」を読んでみたんだけど…… ゴメン、これ書いてる宇野常寛氏の感性こそが、時代遅れだと感じてしまった。「セカイ系」が90年代的な時代遅れの感性だとしたら、「決断主義」は2000年代前半的な5年くらい時代遅れの感性だと思う。 この文章で宇野氏は、「バトルロワイヤル」「デスノート」「ドラゴン桜」「野ブタ。をプロデュース」と
平沢唯命の愛生ファンでスフィア中心だったが、現在、小倉県民とラブライバーにもなった。アニメ聖地巡礼、スクフェスやってる。 「萌えOTAKU」の産生の原因とその現状をめぐる基礎分析 [要 旨] 日本アニメ(Animation)・コミック(Comic)・ゲーム(Game)(以下「ACG」)文化は独特に存在し、数十年の発展のともにACG人口の年齢層も拡大し、いろいろな大人向けのACGも誕生した。空想的な二次元で「仮想現実」を作り上げるを通して、現実に対するさまざまの不満を紛らす機能は日本ACGの最も魅力的なところであり、それに対する熱狂の「オタク」も産生した。日本ACGが「宇宙戦争系」から今の「萌え系」へと変化するのは、「恋愛資本主義」(第3章に参照)による恋愛格差で、日々に衰えていく純愛を取り戻すための誘導体である。が、「萌えOTAKU」たちは二次元にあまり溺愛されすぎるため、現実恋愛条件がよ
ファッションにこだわるお洒落さんは、生まれたときから「おぎゃー!ところでママ、俺、カルバンクラインのべビー服着たいんだ。赤ちゃん本舗なんてダサくて着られねぇよ」と言うわけも無く、はじめはおかんの選んだ服を言われるがまま着ていたはずなんだ。 それが変わるきっかけは、誰かに服を誉められることだ。 服を見た友人が「なんか、お洒落なもの着てるね」とか「ファッションセンスあるよね」とか「かっこいいね」と言ってくれた経験により、人はファッションに目覚める。女の子が男の子よりファッションにうるさい傾向にあるのは、女の子のほうが良い服を着ることで、チヤホヤされる経験が多いからだろう。 ところが、ブサイクの場合、この手の思い出は一切ないのである。だってキモイんだもん。よって、脱オタをさせるには、徹底的にオタクを褒めちぎることが寛容なのではないかと思う。
『新世紀エヴァンゲリオン』『キューティーハニー』などの制作で知られるアニメ制作会社「ガイナックス」の赤井孝美氏が取締役を辞任したことが、ネットで大きな話題となっている。 辞任の発端は4月上旬の同社社員による「キモヲタは何故2chに悪口を書くのか」というタイトルのmixi日記にある。同社社員は現在放映中のアニメ、『天元突破グレンラガン』を第1回から「終わっている」といきなり評価した2ちゃんねるのスレッドに激怒。「文句を言うなら見なきゃいいのに」や「お前ら何様だ? バーカバーカ、キモヲタ死ね!!」などと書いた。さらには「こんな奴らを相手に商売しなきゃならんのかと思うとうんざりです」と書いた。 この日記に対し、赤井氏が「何故見る(笑)」と意見をつけたうえで、「そんなのマトモに読むのは、肛門に顔近づけて深呼吸するようなもんです。必ず屁を吸ってしまいますぞ」とコメントした。その後も同社社員を擁護
・狐の王国 - ハルヒダンスに見る二種類のオタク 上に挙げた記事と、そのブクマコメを見て。 非常に悪い意味で「オタク界隈的」な光景が繰り広げられていると感じた。ハルヒダンスを踊っている連中じゃなくて、2chやらはてぶやらで、このダンスは外向的か内向的かとかってメタ話をしている連中のほうに。 ハルヒダンスそのものよりも、この「同族をメタ視せずにはいられない自意識過剰さ」や「自己卑下の激しさ」こそが、非常に嫌な意味で「オタク界隈的」だと感じる。正直言って、キモい。 僕はオタク文化は基本的に好きなんだけど、この文化が唯一キモいと感じる点は、文化をベタに楽しまず、メタ視してギャーギャー言い合い、しかもそのうえ勝手に同属嫌悪や自己嫌悪に陥る連中が多すぎるところですよ。なんでそこで自己嫌悪する?そんなに自分の所属する文化に自信がないの?とか思いますよ、えぇ。 確かにハルヒダンスは「『外向』ではなくて『
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