入試改革や人文社会科学系の学部の廃止を含めた組織再編など、文部科学省の方針に国立大学側からは懸念の声があがっているようだ。文科省の方針の是非はどうなのか。 まず大学生に関するデータを見よう。2014年の学生数は、国立44・7万人、公立12・9万人、私立197・6万人の計255・2万人。国立大生は6人に1人である。 その国立大で、文系を人文科学、社会科学、教育の学部生として、文系比率をみれば37・1%となる。同様に、公立の文系比率を見ると44・2%、私立では59・3%と、国立の文系比率は低い。 国立の文系比率は、10年前の2004年は39・8%、20年前の1994年は43・4%と、年々低下している。その傾向は、公立文系比率も私立文系比率も同じである。 大学の文系教科は、大きな教室で大人数の講義形式でできるので、大学経営としてはコストパフォーマンスがいい。また、私立の大学経営では、入学試験の収
「支援法に掲げられた理念が守られず『骨抜き』になっている」と訴える支援者や避難者=21日、東京都千代田区で 「法律の理念が守られず骨抜き」。東京電力福島第一原発事故後、被災者を支援するための「子ども・被災者支援法」が成立し三年となる二十一日、都内でシンポジウムが開かれ、福島県が、自主避難者への住宅無償提供を二〇一七年三月で打ち切る方針を決めたことに厳しい批判が上がった。避難者らは九月、「避難の権利」実現に向け全国組織をつくる。 (片山夏子)
一一月七日、反対する多くの市民の声を前に、鹿児島県議会は川内原発の再稼働を求める陳情を賛成多数で採択した。傍聴報告、いち早く出されたFoE Japanやフクロウの会の緊急声明など、すでにインターネット上に流れている。無惨な議会の様子や反対派の声など、ここでは割愛するしかないが、この国の政治家たちの、福島原発事故への無反省と、どれだけの人が苦しもうが一部の人間の利益を優先するという確たる方針だけはよく見て取れる。人を人と思わず、自然をなめきった政財界が結託した阿呆な政策結果に泣かされるのは、やはり人であり自然である。県議会の、政府を信じるというパフォーマンスは、痛すぎる。 そういった政治家と企業の好き勝手を許すわけにはいかないと、現地と全国の反対運動は、このひどい事態の中でも諦めずに果敢に闘われている。反天連にも老体にむち打ち関わり続けるメンバーがいる。私個人のできることなどないに等しいが、
沖縄戦で大本営がゲリラ戦を目的として、やんばる地域の十代の少年らを集めて組織した「護郷隊」の一部で、上官の命令により少年同士による制裁が行われていた実態があったことが分かった。名護市教育委員会の市史編さん係嘱託員、川満彰さんが複数の関係者から証言を得た。 少年らの中には仲間の射殺を命じられ、実行していたケースもあるという。「上官絶対」の軍事論理が少年らを支配していた現実が浮き彫りになった。 護郷隊は、米軍の沖縄上陸を見据え、1944年秋から召集が始まった。少年らは幼なじみの5、6人のグループに分けられ、在郷軍人が上官として訓練指導に当たったとされる。爆弾を持っての体当たりや背後からの急襲といったゲリラ戦の訓練が昼夜問わず実施される一方、山や谷、民家があってもひたすら直進するといった訓練も課された。その課程で上官への服従や全体責任を押し付ける軍事論理の浸透も図られたとみられる。 川満さんや元
「レッテル貼りはやめて」。集団的自衛権の行使容認や安全保障関連法案の議論で、安倍晋三首相は繰り返し言う。政治とは言葉の応酬であり、絶妙な言い回しが政権をゆさぶった例も少なくない。「レッテル貼り」について考えた。 昨年7月14日、集団的自衛権をテーマに開かれた衆院予算委員会の集中審議。民主党の海江田万里氏が「抑止力を高めると軍拡競争が始まるのでは」と指摘すると、首相は「私を抑止力万能主義と決めつけるが、抑止力をほとんど認めていないような、さすが民主党だ」。さらに「レッテルを、私がレッテルを貼ったなら謝るが、海江田さんもレッテルを貼ったなら取り消していただきたい。お互いにレッテルを貼りあうという不毛な。海江田さんがまずレッテルを貼ったから、私もレッテルを貼った。レッテル貼りの議論ではなくて、レッテル貼りではなく中身の議論をすべきだと思う」。 1回の答弁で8回も「レッテル」という単語を使い、「レ
「もはや戦後ではない」 経済企画庁(現内閣府)が経済白書にこう記述したのは昭和31年、今から60年近く前の話である。当時の鳩山一郎首相の孫で、ルーピー(クルクルパー)と呼ばれた鳩山由紀夫元首相が政界を引退してからも、すでに随分たつ気がする。 昭和60年の施政方針演説で中曽根康弘首相(当時)が「戦後政治の総決算」を訴えてからも、はや30年が経過した。あの時代を象徴したこの言葉も、もうあまり思い出されることもなくなった。 それなのに、日本はいまだに「戦後」という堅牢な枠に閉じ込められたままだ。今年はメディアや国会で「戦後70年」が強調されており、戦勝国はお祭り気分ではしゃいでいるが、筆者はこの言葉を使うこと自体に抵抗を覚える。 なぜなら70年と言えば、人が生まれて学校へ通い、社会に出て年金受給者となる時間をさらに上回る長い歳月なのである。にもかかわらず「戦後」はいつまでたっても終わらず、日本は
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