タグ

ブックマーク / hakuainotebook.blog38.fc2.com (8)

  • 博愛手帖 たとえ話

    ある人が別の人を説得するために用いる語りの方法は色々あるが、論じたい事項を何か別のものになぞらえることで、相手の理解を深めたり、相手の気づいていないことを気づかせたりしながら議論を進める、たとえ話の技法は昔からのものらしい。かの『三国志』(『三国志演義』ではなく、同時代の陳寿による史書)にも、呉の幕僚の諸葛謹――諸君の中にも、弟の諸葛亮の方はご存じという向きもおられよう――は、その篤実な人格によってだけでなく、たとえ話を有効に活用することで君主の信任を得たというエピソードがわざわざ記されている(注1)。また明治時代の日では、同じ時期に成立した新しい国民国家としてイタリアに注目しようという動きがあり、マッツィーニ、カヴール、ガリバルディといったリソルジメントの指導者たちが、自国の木戸孝允、大久保利通、西郷隆盛という「維新三傑」になぞらえられて紹介されたという(注2)。 生来粗暴で、こちらが

    unorthodox
    unorthodox 2015/09/18
    "「邪悪なる北朝鮮」のストーリーに安易に寄りかかっているだけのところに、本質的な意味での知性なり悟性なりの成長はあり得るのか"
  • 博愛手帖 何を考えた復刊?

    最近は一般的な書籍だけでなく、マンガの読者の高齢化も進んでいるのだろうか、マンガを大きく扱っている屋に行くと、1970年代の古い作品の復刊が結構目立つようになっている。かくいうわたしも、横山光輝の『時の行者』(1975年―1979年連載)が、作者の生誕80周年を記念した全4巻の「新装版」として出されていたのを見かけて、つい購入してしまった。日の戦国時代から江戸時代にかけて起こった数々の事件に、「時の行者」と呼ばれる未来から来た少年が立ち会っていくという、SFの衣装をまとった歴史マンガである。表現は地味だが、一コマ一コマごとの絵柄もカメラワークも実に丁寧かつ端正で、現代マンガにあふれている種のコケオドシはない。傑作とまではいかないが、作者の力量は十分に確認できる作品であると思う。ずっと昔に立ち寄った理髪店の客待ち席の書棚に、新書サイズの古い版が中途半端に一冊だけ置いてあったのを読んで以来

    unorthodox
    unorthodox 2015/02/17
    本を開く前に裏表紙で勝手にお互い様みたいな話にしてズッコケてどうする。 >いまも日韓では、排外的ナショナリズムがぶつかり合い
  • 博愛手帖 引用(25)

    unorthodox
    unorthodox 2014/10/29
    "大抵の時代、日本人は事大主義者であり機会主義者ではなかったのか。"
  • 博愛手帖 堕落に終わりはない(2)

    「後半部分もぜひ紹介して」と前回の記事のリード文に書いておいて、選挙どころか正月も過ぎてしまっていた。ブリクモン氏のコメントについて「個人の見解」をまとめるつもりだったが、時間がないまま今日まで来ているので、先に翻訳の方だけでも完全に紹介することにした。 なお、選挙の結果についてのわたしの見解は、前回紹介した武井昭夫の考察に尽きる。つまり日では、支配階級に対する被支配階級のイデオロギー的従属がかつてなく強化されている以上「そりゃこうなるだろう」ということである。しかし、「国防軍」だの「徴兵制」だのを真顔でペラペラする安倍晋三のようなペラペラな人物が再登板したことで、中国ないしは朝鮮を敵とする帝国主義的対外戦争の危機がより高まったのは間違いなく、この点については「そりゃこうなるだろう」とも澄ましてもいられない。安倍首相は賢い人間ではないだろうが、おそらく彼の賢いブレーンは、「護憲派」の最後

    unorthodox
    unorthodox 2013/01/15
    "反―反戦左翼がオルタナティヴなプログラムをひとたび放棄するということは、彼らが事実上、世界の問題に対して最小限の影響を持てる可能性すら放棄したということである。"
  • 博愛手帖 堕落に終わりはない(1)

    友人の一人曰く、「選挙の前後というのは概ね自分をとりまく政治状況について改めて認識させられるという意味で非常に不快になる」。実に同感である。 2009年、当時存命していた「古典的マルクス主義者」武井昭夫のを紹介する際にわたしは、 「人民が持つべき階級意識を失い、情報産業の操作によって容易に動かされる存在に成り果てている」 「資主義への対抗勢力が示すべき変革のプログラムを示せていない」 「その結果として労働者や市民は、『政治的ニヒリズム』と『盲動的ポピュリズム』を振り子のように行き来する、自己と社会の変革への道を見失った『民衆』へと衰退している」 といった、自分なりに読み取った著者の見解の大枠について述べた。しかしこうした日の傾向は、とりわけ2010年代に入りますます進行しているらしい。今年の11月、ひさしぶりにこの「手帖」に文章を書き加えた際、わたしは紹介文を現在のように書き換えた―

    unorthodox
    unorthodox 2012/12/20
    "日本においても、中国や朝鮮といった近隣諸国と「やらかす危機」が勃発する際には、こうした人士が必ずや大量発生することであろう。" おそらくは"人道的介入"などの美名の下に、左派までもが諸手を挙げて。
  • 博愛手帖 神の風

    私の通っていた高校は男子校で「文科系」の部活が少なく、たとえば演劇部などという洒落たものもなかった。しかしわたしが2年生になった事だろうか、突如それが発足することになった。Aという教師が「演劇部つくるぞ、お前たちついてこい」とぶち上げたのである。学生の方からそういうものが欲しいという要求があったのではない。A氏は多くの教師仲間から「指導力」および「知的能力」の不足がささやかれており、そのような評価を(特に校長から)払拭するための発案だと、別の教師からは聞いた。もっとも「演劇部」というアイディアそのものは生徒に新鮮だったため、「一丁演劇でもやってみるか」と入部した生徒もいるにはいたが、それだけでは頭数が足りなかったため、A氏は自身のクラスから人間を無理やり徴募した。幸いにしてA氏のクラスにいなかったわたしと友人連中は冷ややかにこの動きを見ていたのだが、これが笑ってもいられない事態となった。ま

    unorthodox
    unorthodox 2012/12/04
    "上記のような特攻の物語から「我々」が「戦争反対」を導き出す場合、その内実は「日本人が死ぬ戦争に反対」「日本人の財産を破壊する戦争に反対」のレヴェルにとどまりがちなのではなかろうか。"
  • 博愛手帖 「墓場の平和」賞

    unorthodox
    unorthodox 2012/11/14
    "国際社会の「平和」の敵である植民地主義と帝国主義が、「ナショナリズムの克服」「民主主義」「人権」といったそれ自体は考慮する価値のある「西洋の価値」を盾に取って、やりたい放題にしている"
  • 小林勝「贍星〔せんせい〕(明治七十八年)」 博愛手帖 引用(16)

    それは日人にだって、善良な奴はいるだろうさ、と達城天池は思った、朝鮮人と親しくつきあっているのは大勢いるだろうさ。しかし、これだけは知っておくがいい。貴様らが支配者としておれの国にのりこんできた、その日から、鮮人という蔑称でよびすてた日から、貴様らは朝鮮人を理解できなくなったのだ。それはそういうものなのだ。どんなに善良な奴でも、どんなにあどけない子供でも、こと朝鮮人に関してはもう絶対に理解できなくなってしまっているのだ。それが支配者というものの運命なのだ。それが日人であり倭奴〔いのむ〕である貴様たちだ。義務徴兵を明治維新に比較し、下着〔パジ〕をもんぺになぞらえるのは、貴様らの勝手だ。そうした貴様らの恩恵の数々を耐えながら、おれたち朝鮮人は三十年をすごしてきたのだ。その三十年が朝鮮人すべてにとって、大人からいたいけない子供まで、どんなものなのか、貴様ら日人には絶対にわからないのだ。 小

    unorthodox
    unorthodox 2011/08/30
    「支配者というものの運命」 むしろそういう"在り方"をこそ見据えなければダメ、ということだろうか
  • 1