なんか論文くさい書き出しになってしまいましたが。 きっかけは先日のツイートです。 興味深いツイートだなぁ。 同じようなことをずっと感じてる。日本人作家の中国小説って良くも悪くも大陸本場のテイストが脱臭されてる。和製麻婆豆腐を食べてる感じ。長くなるから今度ブログで書きたい。 https://t.co/k7OyyyycQh — 春秋梅菊 (@chunqiumeiju) 2023年2月14日 ※追記 記事のきっかけになったツイートなのですが、私が引用元様のツイートの意図とは違う方向まで話を拡大してしまい、そのことでご指摘を受けたので取下げさせていただきました(引用元様には直接謝罪のうえ、ツイートの取消しでご了承いただいてます)。私のツイート趣旨は、この下の文章の通りなので、そのまま読み進めていただければ問題無いかと思われます。 長く中国大陸のコンテンツ(ドラマ・映画・小説)に触れていると、日本人
旅行中に出会った人との会話が織りなす心の機微を描いた短編集。いずれも「言葉」が持つ不思議な力がテーマになっています。 「砂浜に坐り込んだ船」を読んで池澤の文章に憑かれたので、再読ではありますが、本書を手に取りました。4年前に読んでいたのですが、以前とは印象が誓うのは塩味が年を取ったからなのか? やはり詩人「池澤夏樹」の言葉に対するこだわりはナンパない。 一つの言葉が、人類に福音を与え、人類から争いをなくしてしまう最終兵器人るという「レシタションのはじまり」 父から受ける暴力が原因で8歳から英語しかしゃべらなくなった日本人が、17歳になってカナダの北部を旅行し心の重しをやっと下す「20マイル四方で唯一のコーヒー豆」 ロシア人と結婚した男が、離婚後年に2回だけ会う娘。しかし母とロシアで暮らす娘はだんだん日本語を忘れて、父との会話が通じなくなってきます。「ヘルシンキ」 ほとんど言葉が離せないのに
ツェランの詩をハイブリッドに織り込みながら語られる小説だけでも十分に堪能できますが、訳者による解説が理解が深まるような構成となっており、「注釈付き翻訳小説」という帯の惹句にも納得できました。 この作品は、二十世紀を代表するヨーロッパ詩人であるパウル・ツェランの詩が随所に散りばめられ、エクソフォニー(母語の外へ出る旅)を日本語とドイツ語で文学のなかで表現し続ける多和田葉子氏によってドイツ語で書かれ、それをツェラン研究の第一人者である関口裕昭氏が翻訳して日本語で出版し、「注釈付き翻訳小説」という新たな可能性を切り開いた前代未聞の小説です。 難解なツェランの詩を理解しながら読みすすめるのは、茨の道を歩むにひとしいし、理解も覚束ない。しかし、多和田葉子の本文は、ひとつの意志の目標に向けてゆるやかにすすんでゆくようである。 コンサートホールを死者の魂の往還する場所=トポスにみたてたかのような次のよう
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